宮城・福島震災復興支援本部から(2014年10月)
2014/10/18
多賀城市営桜木住宅“みんなの壁”プロジェクト
10月18日(土)、宮城県多賀城市の市営桜木住宅の地区内に再建された桜木保育所で“みんなの壁”のお披露目会が行われました。
この“みんなの壁”には、東日本大震災で被災した桜木保育所の元園児をはじめとする、子供たちのたくさんの思い出が込められています。
かつて、桜木保育所は先日完成した市営桜木住宅の向かいにありました。しかし、東日本大震災で園庭や保育所内が土砂やガレキに埋もれてしまい、保育所として運営できなくなってしまいました。このため、震災当時に保育所に通っていた園児たちは、卒園式ができなかったのです。
災害公営住宅を建設するURは、多賀城市と一緒になって、地区内に保育所の再建だけでなく、モニュメントの制作を通じて桜木保育所の思い出やみんなの想いを地域に残すべく“みんなの壁”プロジェクト を企画しました。震災当時に桜木保育所へ通っていた園児たちのほか、保護者の皆さんや保育士さんらに協力してもらい、桜木保育所の思い出を詰め込んで壁画を制作し、市営桜木住宅の顔とすることにしました。 この壁画が“みんなの壁”です。
“みんなの壁”は2種類のタイルアートから成っています。一つは、中央のモザイクタイルによる絵です。これは元園児たちから聞いた「桜木保育所での楽しかったこと」をもとに、仙台市生まれの絵描き、朝倉弘平さんがデザインした絵をモザイクタイルで表現しました。もう一つは、それを取り囲むように並ぶ絵タイルです。絵タイルには、元園児それぞれが「 桜木保育所に通っていた頃の「笑顔」や「思い出」 」をテーマにクレヨンで絵を描きました。
この“みんなの壁”は2回のワークショップを通じて制作されました。
今年5月に行われた第1回ワークショップでは、約20人の子どもたちが友達や保育士の先生方と久しぶりに再会しました。保育所の思い出を話し合ったり、「笑顔」と「想い出」をテーマに絵タイルを制作したりしました。懐かしい顔が集まると、子どもたちから桜木保育所の楽しかった思い出が次々と出てきましたよ!
7月に行われた第2回ワークショップでは、朝倉さんが描いた作品をもとに、モザイクタイルによる壁画制作を行いました。
この2回のワークショップを通じて、子どもたちからは「先生や友達に久しぶりに会えてうれしかった」、「タイルに絵を描くのが楽しかった」との感想があがっていました。
SPRING KIDSのタイトルの意味
“SPRING”は春。春は始まり。春はピンク。春の花は桜。
春の太陽の光を浴びて、桜の蕾が少しずつ大きくなり、やがて、うすピンクの花を一斉に咲かせる。
“SPRING”はバネ。
恐くて縮まったり、怒られて嫌な気持ちになったり、悲しいことがあって下を向いた心が、バネの力で上向きになる。
“SPRING KIDS”は春の子どもたち。バネの子どもたち。
みんな、桜の花をトランポリンみたいにして、元気に飛び跳ねている。
この作品には、ワークショップで子どもたちから聞いたブランコやむしとりの様子など楽しい思い出が表現されています。また、多くの子どもたちから出てきた“ダンゴムシ”も描かれていますよ!(ぜひ、下絵のどこにダンゴムシが描かれているか探してみてください!)
朝倉さんの作品はモザイクタイルで表現するため、2.5m×3.0mの範囲に1センチ角のカラータイルを一つ一つ並べていく方法で制作することになりました。使用したタイルの数は、なんと約3万個にも及びます!
このようにして今年10月、 “みんなの壁”がお披露目されました。子どもたちが完成した作品を見るのはこれが初めてです。
URと一緒にプロジェクトを進めてきた多賀城市保健福祉部こども福祉課の秋山聡美さんからは「完成までの間に行き詰まったこともありましたが、URと企画段階から意見を重ねて進めてきたモニュメントの完成を迎えることができました。お披露目会では、子どもたちや保護者のみなさん、保育士の先生方の笑顔が見られ、プロジェクト担当者として込み上げるものがありました。それはこのプロジェクトに、URを始め、本プロジェクトを支援してくださったみやぎ・わらすっこプロジェクトの方々、デザインを監修してくださった朝倉弘平さんとビルド・フルーガスの方々、そしてタイルを提供してくださった名古屋モザイク工業株式会社の方々と多くのみなさんの力を結集し、協力して作り上げてきたからだと思います」と、プロジェクト参加者・関係者への感謝の気持ちとこれを達成した安堵感がすこし入り混じった様子で語ってくれました。
“みんなの壁”は、市営桜木住宅で入居者が行き来するコミュニティデッキに掲げられています。かつての桜木保育所の思い出を地区に留めるだけでなく、この元気いっぱいのモニュメントをきっかけに、新たな市営住宅の入居者、周辺住民、そして桜木保育所の園児たちと、様々な人の間で新しい交流が生まれたら素敵ですね!
2014/10/17
多賀城(たがじょう)市桜木(さくらぎ)地区災害公営住宅竣工
10月17日(金)、多賀城市桜木地区災害公営住宅(市営桜木住宅)が竣工し、入居が始まりました。
この住宅は、4棟全160戸で構成され、住戸タイプは1LDKから3LDKまでの4タイプです。東日本大震災による津波で2メートル近く浸水した地域に立地するため、将来の津波被害に備えて住戸を2階以上に配置するとともに、地域住民の一時的な避難場所としての津波避難ビルの機能も持たせています。また、常日頃から入居者や地域の人々が触れ合えるよう、各住棟の2階に「みんなのリビング」という交流スペースを設け、コミュニティデッキでつないでいます。
ソフト面の工夫として、入居者に高齢者や子育て世帯が多いことから、生活の相談ができる高齢者生活相談所や保育所を住棟内2階に併設しています。
また、1階には多くの方々が集える集会所を設けています。
当日は、入居式が開催されました。
多賀城市の菊地健次郎市長からは「保育所や高齢者相談所の整備により子供から高齢者まで安心して暮らせる環境を提供する。また入居者のみでなく、公園広場などで地域との交流を深め、地域にも貢献する住宅となってほしい。この住宅で入居者の皆さまが早く新しい生活環境に慣れて、皆で和気あいあいと楽しい生活を過ごしてもらえればと思う」と、桜木住宅が入居者や地域住民へ快適な生活環境を提供することを願う言葉をいただきました。
また、URの上西郁夫理事長は「多賀城市内初の災害公営住宅が竣工し、入居者の皆さまにご案内でき、非常に嬉しく感じている。住宅建設にご協力いただいた多賀城市を始めとした関係者の皆さまに感謝の意を表したい。この入居式を機に、改めて多賀城市の復興に向けて更なる支援を約束したい」と感謝の意とともに、今後の多賀城市内での災害公営住宅建設への意気込みについて述べました。
その後、上西理事長から菊地市長へ。そして菊地市長から入居者代表の馬場さんへと、鍵の引渡しが行われました。
入居者代表の馬場さんは「被災後、住み慣れた多賀城を離れ、石巻、埼玉、石巻と住まいを転々としていたが、こうして多賀城に戻って来られることがうれしい。新たな住環境に不安はあるが、入居者の方々との生活を楽しみにしている。また、被災時に皆で助け合った経験を活かし、入居者の方々や周辺住民の方々と交流し、助け合いながら新たな生活を始めたい」と、新たな生活への希望を語られました。
URは多賀城市内において、新田(にいだ)地区で48戸、鶴ケ谷(つるがや)地区で274戸、宮内(みやうち)地区で50戸の計372戸の災害公営住宅の建設を今後も進めてまいります。
2014/10/5
気仙沼市鹿折(ししおり)地区で鹿折復幸マートオープン!
10月5日(日)、URが復興土地区画整理事業を進めている気仙沼市鹿折地区で、仮設商店街「鹿折復幸マート」のオープニングセレモニーが開催されました。
この地区には、震災後の平成24年3月、「鹿折復幸マルシェ」という仮設商店街が建設されました。今般、かさ上げ工事を進めるにあたり、いずれ移設となることを前提として建設したものの、事業が進んだため、このほど地区内の別の場所に移設し、「鹿折復幸マート」と名を改め、再出発することになりました。
復幸マートは、4棟からなり、飲食・物販・事務所の計21店舗が軒を連ねます。なかには、メカジキの背びれの付け根を煮込んだ気仙沼名物「ハーモニカ煮」を食べることができる飲食店もあります。
この日は、地元に古くから伝わる「八幡(はちまん)太鼓(たいこ)」が披露されました。小さな子どもを含めた奏者の息のあった演奏に、会場からは感動の拍手が沸き起こりました。
他にも、マジックショーやシンガーソングライターによるステージライブ、気仙沼市ご当地キャラクター「ほやボーヤ」のエアトランポリンなど、子どもから大人まで楽しめるイベントがたくさん用意されていました。
そして、日本有数の漁港である気仙沼らしく、温かいサンマのすり身汁が振る舞われました。すり身汁の温かさが、冷たい空気が漂い始めた初秋にピッタリでした。
地区の工事の様子がよく分かるようにと、鹿折復幸マートのすぐ近くに、到達した津波と同じ高さの見学台を整備しました。
鹿折復幸マートの小野寺修一代表は、「今日を再出発点として、本格的な店舗での営業再開に向けて、一層励んでいきたい」とあいさつされました。
気仙沼市にお越しの際は、ぜひ鹿折復幸マートにお立ち寄りください。そして、見学台から復興の状況をご覧ください!
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