街に、ルネッサンス UR都市機構

宮城・福島震災復興支援本部から(2018年03月)

2018/3/17

いわき市で復興への願いを込めてさくらの植樹祭が開催

3月17日(土)、いわき市で津波によって被災した豊間地区・薄磯地区・沼ノ内地区で、復興への願いを込めてさくらの植樹祭が開催されました。

植樹祭を主催した「復興さくらの会」は、3,000本ものさくらを公園や防災緑地などに植えることで震災復興の足跡を後世に残し、この一帯をさくらの名所として再生させるために3地区で結成しました。3年前には第1回の植樹祭が行われ、今回はそれに続くものです。

当日は肌寒かったものの天気に恵まれ、吉野正芳復興大臣や清水敏男いわき市長をはじめ、今回植樹するさくらを寄贈したNPO法人「育桜会」や県内の大学生、地元金融機関職員や地域住民など約200人(?)が参加し、3地区で海沿いの防災緑地を中心に、大漁桜や大島桜など約800本ものさくらを植えました。

<現在の豊間地区(平成30年2月28日)。防災緑地(赤く囲ったエリア)などを中心に植樹しました>

植樹に先立ち、豊間地区の高台にある豊間防災公園の広場で記念式典を開催し、主催者である「復興さくらの会」の遠藤守俊会長は「薄磯・沼ノ内の復興事業は完了し、豊間も7月にはようやく完了する。このさくらのもとで多くの人が花見をしている姿を思い浮かべながら、さくらを植えたい」と3地区の復興への思いを込めてあいさつされました。

<あいさつされる遠藤会長>

続いて吉野正芳復興大臣が、「さくらを植えて新しいまちに新しい命を吹き込んでほしい。将来この地がさくらのメッカとして多くの方が来ることを祈念する」とあいさつされました。

<あいさつされる吉野復興相>
<吉野復興相から「復興のために頑張ってください」と励ましのお言葉をいただきました>

清水敏男いわき市長は「着実にハード面の復興は進んでおり、これからはコミュニティの再生が大事。市内でさくらの植樹が進んでおり、今日植えるさくらも将来大輪の花を咲かせ、10年後20年後には市内にさくらの名所ができてくることを期待している」とあいさつされました。

<あいさつされる清水市長>

その後、記念植樹を行い、参加者の皆さんは8カ所に分かれて植樹をしました。

<記念植樹をするUR犬童(いぬどう)いわき復興支援事務所長(右)と最上豊間・薄磯震災復興JV事務所長>
<さくらの木を受け取って植樹スタート>
<まず30cmくらいまで穴を掘ります>
<苗を真っ直ぐにさします>
<土をかぶせて完了>
<次の植栽場所を探して移動します。皆さん植えるのはお手の物、1時間もたたずに約800本のさくらが植えられました>
<最後は記念撮影>

参加された70代の男性からは「子どもも少なくなって寂しいが、このさくらを見に多くの人が集まってくれたらうれしいね。それまで長生きしなきゃね。」と期待して話してくださったのが印象的でした。

URはいわき市の復興促進に向け、全力で取り組んでまいります。

2018/3/9

東矢本駅北地区・野蒜北部丘陵地区の復興整備事業が完了~協力協定に基づく復興整備事業の完了(県内初)~

3月9日(金)、宮城県東松島市で整備をすすめてきた「東矢本駅北地区」及び「野蒜北部丘陵地区」における復興整備事業“市街地整備”と“災害公営住宅整備”が完了したことから、完了式を開催しました。

<東松島市からURに感謝状が贈呈されました:左から渥美巖東松島市長、佐分英治UR本部長>

東松島市とURは、平成24年3月に復興事業推進に関する協力協定を締結し事業に着手。市街地整備では、東矢本駅北地区と野蒜北部丘陵地区という市内最大規模の2地区を受託、野蒜北部丘陵地区ではCM(コンストラクションマネジメント)方式の採用やベルトコンベヤーでの土砂搬出により復興の加速化に努め、平成27年5月にはJR仙石線を開通することができ、宅地の引渡しにおいても、平成28年11月までに東矢本駅北地区も含めた全ての宅地の引渡しを完了、511画地を整備しました。

災害公営住宅整備では、平成26年11月引渡しの「市営あおい住宅第1期」を皮切りに、順次引渡しを行い、最終の「市営野蒜ケ丘住宅第2期」を平成29年8月に引渡しを完了し、合計477戸を整備しました。被災地からの移転先となることから、世代を超えた交流の場づくりや高齢者が安心して生活できる住戸配置や設備にするなど配慮しています。

式典で、渥美巖東松島市長は「難事業であったこの2地区を経験豊かなURに施行してもらったことがまさしく復興のスピードアップにつながったのではないかと思っています。今後は被災者に寄り添い、心の復興に力を入れていきたいと思っています。」とあいさつされました。

UR佐分本部長は「この事業に携われたこと、UR職員一同、本当に感謝をしています。すでに両地区で900世帯以上の方々が新しい生活をはじめられているとお聞きし、非常にうれしいことだと思っています。住宅の鍵引渡し等で皆さんの笑顔がURのモチベーションでありました。産業・なりわい・コミュニティといった課題もまだまだあります。引き続き、被災地にエールを送りながらも、できることをしっかりやっていきたいと思います。」と話しました。

<東矢本駅北地区(あおい地区)> 東矢本駅北地区(平成29年11月撮影)

市街地整備では、土地区画整理事業として22.0haの農地を今回と同規模の津波が発生した際の浸水を防ぐため地盤を全体的に平成1.0M嵩上げして整備しました。東松島市の中心部である矢本地区の市街地に隣接する利便性の高い地域であることから、地区内に店舗や公共施設などの生活利便施設用地は設けず、住宅地を最大限に確保した計画としました。

地区北側5.7haの区域では津波復興拠点整備事業として住民の生活の質の向上や、コミュニティの再形成に資する市民センターや体育館などの公益的施設を集約的に配置し、災害発生時は避難場所として、市と連携した復興活動の拠点として利用されます。

<野蒜北部丘陵地区(野蒜ケ丘地区)> 野蒜北部丘陵地区(平成29年5月撮影)

市街地整備では、土地区画整理事業にとして91.5haの山林を造成し、住宅や公益施設のほかJR仙石線も含めた旧市街地全体を一体的に高台に移転しました。一番の課題は最大50mの切土高。切土量は約550万m3、場外搬出残土は約280万m3(東京ドーム2杯分)。そのため、ベルトコンベアーによる大量搬出(一日あたり1万m3)を行い、工事の加速化を行いました。また、当地区は国の特別名勝松島を構成する「奥松島」の一角となっており、海上や展望地点から造成区域が見えないよう配慮しました。

JR野蒜駅南北3.3haの区域には津波復興拠点整備事業により残土搬出のためのベルトコンベヤーのルートして使用されたボックスカルバートを再活用し、歩行者用通路として野蒜駅連絡通路や野蒜市民センター、地域交流広場などを整備しました。

<野蒜北部丘陵地区の現況(平成30年3月撮影)>

なお、野蒜駅連絡通路には、事業推進に大きな役割を果たしたベルトコンベヤーが形を変えて現地に残り続けていくことを通じて、復興への取り組みを伝承していくため、銘板を2か所設置しております。

<野蒜駅連絡通路に設置された銘板>

URは、浪江町と復興まちづくりの推進に向けた覚書を平成28年11月に交換し、復興まちづくりに関する技術支援を開始しました。当地区においては、平成29年5月に基本設計業務を、同年12月に整備事業を、それぞれ浪江町からURが受託し、今回の事業化に至りました。

<東松島市職員とUR職員>

URは引き続き、被災地の一日も早い復興に全力で取り組んでまいります。

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