「希望」が見えてきたまちへ(復興インタビュー)
復興インタビュー
村上弘明さん 俳優
村上弘明(むらかみ・ひろあき)
岩手県陸前高田市広田町出身。高校卒業まで同地で過ごす。 「仮面ライダー」でデビュー。以後、主演としてドラマ、映画、舞台などで幅広く活躍中。2014年からは岩手県魅力発信PR特使「いわて☆はまらいん特使」を務める。
5月10日(水) 21時~テレビ東京系にてOA予定の松本清張ドラマ「誤差」に主演として出演。
震災直後から故郷・陸前高田をはじめ東北地方を訪れ、被災した人々に寄り添った活動を続けている村上弘明さん。6年間、復興を見つめてきたから、見えてきた希望があると語ります。
震災はまちを流し
自分の根っこをもぎ取った
—— 村上弘明さんは、生まれてから高校を卒業するまで陸前高田で暮らした。実家があったのは広田町。湾を抱くように突き出した広田半島の漁師町だ。
子どもの頃は海で泳いで遊び、アワビやウニをとったりしていましたね。家業は自転車屋とワカメ養殖兼業の半商半漁だったので、養殖の手伝いなどもして、海はとても身近な存在でした。
—— 震災で父母は無事だったが、かわいがってくれた叔父と従弟が亡くなっている。陸前高田市の被害は県下最大で、中心市街地は壊滅し、たくさんの人々が犠牲になった。村上さんが故郷に足を踏み入れたのは、震災から3週間ほどたった頃のことだったという。
レンタカーに衣類やおむつを積んで、東京から20時間以上かけてたどりつきました。まちを一望できる坂の上まで来た時は、何と言ったらいいのか……、まるで現実感が持てませんでした。
懐かしいまちが消えて、瓦礫の山が続いている。テレビの映像で見てはいましたが、目のあたりにすると「悪い夢だ、こんな馬鹿なことがあるわけない」と、受け入れることができませんでした。
生まれ育ち、自分という人間のすべてを育んだ場所。自分の基礎となる部分が失われてしまいました。根っこがもぎ取られたような、人間の価値を奪い取られたような感じで、なんでこんな仕打ちをするのかという怒りと、悔しさしかありませんでした。
心の奥底にしまった思いを
聞いてあげたい
- —— 村上さんは被災後1年ほどの間、毎月のように避難所を訪問した。
- その後も被災地のために何ができるかを自問しながら、震災関係の仕事に積極的に関わらせていただいています。現地の状況や人々の思いを伝え、震災を風化させまいという気持ちからです。
自分が俳優をやってきたのは、この時に役立つためなのではないか。そんな思いで動いてきました。 - —— あの日から6年。高台造成とかさ上げが進み、新しいまちの中心となる場所に大型商業施設がオープンする故郷の「今」を、村上さんはどのように見つめているのだろう。
- 被災直後の状況を考えれば、隔世の感があります。やっとここまで来て、まちの人たちも目に輝きが出てきました。その一方で、まだ傷痕も多く残されていますし、復興はまだまだという思いもあります。本当の意味での復興は、孫の代までかかるでしょう。
身近な人を亡くしたり、それこそ一瞬の差で九死に一生を得た人もたくさんいます。その後も極限の状況のなか、生きているというより生かされている感覚だったと思います。今、まちの人々も表情がやわらかくなりましたが、あの時の思いや痛みは、生涯消えることはありません。それを抱えていくのが、故郷が被災した私のような立場の者も含めて、生かされた者の務めではないかと思います。
だからこそ幸せにならなくてはいけないし、いいまちをつくっていかなければいけない。俳優である私は、メディアなどを通じて被災地のことを伝え続けなければなりません。
これまで被災者は心の傷にふたをして、後ろを振り向かず前に進んできました。今、ようやくふたを少し開け、少しずつ話せるようになってきています。今後は心の奥底にしまった思いを話すことも、大切になると思います。私は被災した方々の聞き役も務めていきたいですね。 - —— 震災の痛手はあまりに大きく、すべてを変えてしまったが、6年を経て、マイナスがプラスに転じる側面も見えてきたと村上さんは言う。
- 一瞬で大切なものを失って、幸せのとらえ方や、本当に大切なもの、必要なことは何かを誰もが考えさせられた、どう生きるかを問われた6年だったと思います。確かなものは「今」で、明日があるかはわかりません。だからこそ今を大切に懸命に生きる。そう考えられることが、プラスになればと思います。
また、震災後はボランティアや行政、建設関係……、さまざまな人たちが外から来てくれました。陸前高田は田舎で、以前はやや閉鎖的な面もありましたが、多くの人々の助けや知恵を得て、誰もが人と人とのつながりや出会いの素晴らしさ、大切さを実感したと思います。その思いを胸に臨めば、きっと魅力的なまちをつくることができる。誰もが行きたいと思えるまち、人にやさしく、外から来る人も歓迎して、住みたいと思えば誰もが住めるまち……。
陸前高田に限りませんが、震災はいろいろな意味で「変化」のきっかけになったと思います。豊かな自然に恵まれた東北が、これからは元気をもらえる場所、疲れたり悩んだりした人が、ここに来れば生きる力を取り戻せる場所になればいい。そう思っています。東北は日本の「希望」。これからも頑張りましょうと言いたいですね。
【西上原三千代=文、佐藤慎吾=撮影】
宮城県 塩竈(しおがま)市
「災害公営住宅の整備に係る基本協定」に加え、「コミュニティー形成と地域の支え合い活動の推進に関する協力協定」も結び、安心して暮らせる環境づくりを共に進めてきたUR都市機構と塩竈市。担当する最後の災害公営住宅が完成し、節目となる日がやってきた。
岩手県 陸前高田市
2月、俳優・村上弘明さんが、テレビ番組の収録で、震災から6年たった故郷・陸前高田を訪れた。地震と津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田。そこで進む復興まちづくりを支える人々に、笑顔があった。
Before&After 2011→2017
大震災から6年。復興の槌音は、確実な響きとなって被災地にこだましています。新たなまちづくりが進む東北3県のなかで、今回、本誌で紹介した6つの地区の、6年前と今の姿を写真でお届けします。
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阪神・淡路大震災、新潟県中越沖地震、東日本大震災と復興支援に取り組んできたUR都市機構。これまでの経験やノウハウを生かし、災害からの復旧・復興に取り組む自治体と連携し、復興を支援している。
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