街に、ルネッサンス UR都市機構

岩倉公園 大阪府茨木市

URPRESS 2018 vol.55 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]

大学キャンパスと一体になった美しい防災公園が誕生
岩倉公園 大阪府茨木市

URはこれまでおもに関東・関西地方を中心に、26の防災公園を手がけてきた。
大阪には大学キャンパスと一体となった新しいかたちの防災公園がある。

イベントでにぎわう岩倉公園。正面は立命館大学の建物。

阪神・淡路大震災から生まれた防災公園

地震の揺れで建物や高速道路が倒壊しただけでなく、大規模な火災が起こり、6500名近い犠牲者を生んだ阪神・淡路大震災。1995(平成7)年1月17日に発生したこの大地震の経験を教訓に、地震の火災から逃れる場所を確保し、大都市地域の防災機能を高める目的で生まれたのが防災公園だ。

防災公園とは、文字通り防災機能をもった公園のこと。普段は市民の憩いの場として利用するが、災害が起こったときには市民がここに逃げ込み、3日間過ごすことができる一時避難場所としての機能を備えている。

これまでも学校の校庭やグラウンド、既存の公園などが一時避難場所に指定されているが、1人につき2平方メートルの避難地が必要という政府の指針に照らし合わせると、大都市の住宅密集地では避難場所が不足しているのが現状。

そこで、工場や公共施設の移転などで大都市圏に大規模な空き地が生まれたとき、地方公共団体から要請を受けてURがその土地を機動的に取得し、周辺の市街地部分もあわせて防災公園を整備する。これがURが進める防災公園街区整備事業だ。

2004年4月に開園した千葉県市川市の大洲防災公園を皮切りに、現在進行中のものも含め、URではこれまで26の防災公園街区整備事業を手がけている。

それぞれの防災公園は、その地域の要請に合わせたかたちで多彩につくられている。なかでも今回ご紹介する大阪府茨木市の岩倉公園は、大学とコラボして生まれた一体感のある空間が注目されている。さっそく現地に出かけてみよう。

たくさんの人でにぎわう「いばらき×立命館DAY」。市と大学が共催したイベントで、飲食のブースやパフォーマンスなどさまざまな企画を実施。正面の建物が「フューチャープラザ」。
遊具の色も大学側と共同で計画した。

キャンパスとの境がない一体的な空間

広々とした明るい芝生のキャンパスのあちこちで、学生たちがおしゃべりをしている。なかには外国からの留学生たちの姿もある。公園の外周に置かれた健康遊具を利用するのは、ご近所の方だろうか。落ち着いた色に塗られた遊具のエリアには、子どもたちの歓声や笑い声が響いている。見守るお母さんたちも、どこかくつろいだ表情だ。

JR茨木駅から徒歩5分。線路と住宅街の間に広がる岩倉公園は、サッポロビールの工場跡地に2015年3月に完成した。ここの一番の特徴は、立命館大学のキャンパスと一体化した公園だという点。その広々としたオープンな雰囲気は、どこか日本離れしていて、欧米の大学キャンパスのような印象を受ける。

グッドデザイン賞を受賞した大学建物と芝生広場、遊具のある公園部分に境となるものはない。同じデザインの遊歩道がぐるりと回され、どこからが大学でどこからが公園なのか、一見しただけではわからないのだ。大学の建物近くに、「この先は大学キャンパスです」と書かれた小さな掲示板があるだけだ。

立命館大学は公園に隣接して、5階建ての「立命館いばらきフューチャープラザ」も建設した。ここは学生はもちろん市民にも開放された施設で、大小3つのホール、市民も利用できる大学図書館、レストランやカフェ、地域交流施設、地元商工会議所のオフィスなどが入る。カフェやレストランの入り口は公園側に開かれていて、公園で子どもを遊ばせながらお茶をするママたちの姿も多い。

右側が「フューチャープラザ」。1階にはカフェとレストランも入っている。
公園と大学をつなぐ遊歩道は、災害時には物資の荷ほどきスペースとなる。
公園の周囲には健康遊具を設置、近所の人に利用されている。
周囲から1mほど盛土をした公園部分。段差のない平坦な芝生広場には6600人が避難できる。

災害発生時には物資の提供も

工場が操業を停止したのは08年。約12ヘクタールある跡地をどう活用するかは、地元茨木市の課題となっていた。周辺一帯は昔からの住宅地が広がり空き地がなく、防災上の課題がある。それまでも茨木市とのお付き合いがあったURは、防災公園という手法を提案した。

一方で、立命館大学は京都市の衣笠、滋賀県の草津に続く3つ目のキャンパス候補地を探しており、そのひとつとしてこの場所が浮上。茨木市と立命館大学、それにURの三者の思いがまとまり、ここを大学キャンパスと一体化した全国でも珍しい防災公園とすることが決定。URは具体的な公園の計画づくりに着手した。

「大学側にも地域に開かれたキャンパスをつくるという思いがあり、三者の思いが同じでしたので、事業の目指す方向は見えていました。苦労したことは、大学の開校スケジュールが決まっているため、跡地利用の話が出てから事業化までの時間が短く、スピーディーに事業を進める必要があったことですね」

URでこの事業を担当した中山哲也が、こう当時を振り返る。

大規模災害が発生した際には、大学側とも連携、さらに線路を挟んだ反対側に建つイオン茨木ショッピングセンターを運営するイオンリテールとも災害時の物資提供の協定を結んでいる。
「公園内には非常用トイレや防災倉庫などの機能を設けています。また、災害時には茨木市と立命館大学、商業施設の三者間で相互連携協力の協定が結ばれており、非常用電源設備による電力の融通の取り組みなどが計画されています」とURの南谷 敬が言う。

防災公園は、普段から市民に公園を利用してもらい、ここが防災公園であり、いざというときにはここに避難することを広く知ってもらうことが大切だ。その点、大学側は市と共催で「いばらき×立命館DAY」を開催したり、防災運動会などを開き、ふだんから公園のにぎわいづくりに尽力。大学と市が連携して公園の認知度を高める企画を進めている。

幸いなことに、公園が完成してから、ここの防災機能がフルに活用されたことはない。だが、いつ起こるかわからない災害への備えは充分にできている。

これまで線路を挟んで反対側とつなぐ道が少なく不便だったが、新たに市道が完成。避難の際にも安心だ。
JR茨木駅から住宅街を通らず、直接大学に来られるよう、線路沿いに新たに遊歩道がつくられた。
上空から見た岩倉公園とその周辺。
URで岩倉公園を担当した中山哲也(左)と、現担当の南谷 敬。

岩倉公園の防災機能

住宅地から避難しやすい場所に公園部分を設け、最大6600人の避難者が座れる平坦な芝生広場を整備。
公園の周囲には、延焼を防ぐ防火林が植えられている。
線路をくぐるアンダーパスも整備され、線路の反対側との通行も便利になった。

非常用トイレ

駐輪場のマンホールは下の汚水管に直接流せるようになっていて、災害時にはトイレとなる。全部で21穴設置。

かまどベンチ

普段はベンチだが、災害時は上部をはずし、脚部をかまどとして利用できる。

雨水貯留槽

公園内に降った雨水を溜め、平常時は樹木の散水用に利用。災害時は消火用水として利用する。

あずまやとパーゴラ(日除け)

災害時にはここにテントを張り、救護施設などに利用する。

ハイブリッド照明

風力と太陽光を利用したハイブリッド照明を3基設置。
停電時にも灯りを提供する。


大阪北部地震発生!
古曽部(こそべ)防災公園に仮設風呂が設置された

6月18日の朝7時58分ごろ、大阪府北部を震源としたマグニチュード6・1の「大阪北部地震」が発生した。震源地に近い大阪市北区、高槻市、枚方市などは震度6弱を観測した。

このとき高槻市にある古曽部防災公園は、ブルーシートなどの救援物資の配布基地として機能。また、この地震で水道やガスのライフラインが一時ストップしたため、6月21日から自衛隊が公園内に仮設風呂を設置。多くの市民が久しぶりの入浴を楽しんだ。

古曽部防災公園は厚生施設跡地を利用してURが整備した約4・5ヘクタールの公園で、多目的広場には大型遊具や健康遊具、体育館や軟式野球場も備え、普段から市民に広く利用されている。

同時にここは、大地震などの災害発生時に周辺地域の人々の避難地になるとともに、救援物資を受け入れ、供給を行う、総合的な物流機能を備えた防災拠点でもある。今回の地震で、そのスペースと機能をいかんなく発揮した。

ガスの供給が再開するまでの間、公園に自衛隊が仮設風呂を設置(陸上自衛隊中部方面隊提供)。
2010年に開園した古曽部防災公園は、運動公園としても普段から広く市民に利用されている。

武田 ちよこ=文、平野 光良=撮影

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