街に、ルネッサンス UR都市機構

きくみみ Archi+Aid 福屋粧子氏編 浜からはじめる復興計画(概要)

建築家による震災復興支援。住民とともに“くらし”をつくるアーキエイドの復興まちづくり

福屋粧子(ふくや しょうこ)

建築家。妹島和世+西沢立衛/SANAAを経て、平成17年福屋粧子建築設計事務所設立。平成22年より東北工業大学工学部建築学科講師。『梅田阪急ビルスカイロビー tomarigi』、越後妻有アートトリエンナーレ2009インスタレーション『森のひとかけら』など環境に開かれた空間を設計してきた。震災後は、朝日新聞「ニッポン前へ委員会」委員、『東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク [ アーキエイド ]※』発起人、また平成23年9月より平成24年3月まで同初代事務局長として被災地域と遠隔地サポーターを繋ぐ活動、また宮城県石巻市牡鹿半島などで復興まちづくり支援活動を行っている。

福屋粧子さんは、東日本大震災後、アーキエイドという建築家グループの発起人として、宮城県牡鹿半島の復興支援に携わっている。この一年、アーキエイドのメンバーは、牡鹿半島30の浜(=集落)に復興支援に入り、復興計画へ向けた調査を丹念に行い、地元の声を拾い上げてきた。 人々の生活を紐解いて計画を提案する、建築家の持ち味を生かしたまちづくり。UR東日本都市再生本部の職員が、現地取材に出向き福屋さんにお話をお聞きした。

きっかけは、震災後、付き合いのある建築家同士が、続々と、安否確認の連絡を取り始めたこと。そのうち、被災地支援について、『建築家として何ができるか』という白熱した議論が起こり始めたという。それがアーキエイドという建築家ネットワークの発足につながった。 アーキエイドの活動の中のひとつが、看板プロジェクトともいうべき牡鹿半島復興支援である。震災から4か月後、建築家と学生からなる15のチームが浜の調査に入り、30浜分約200ページの基礎調査・提案資料を石巻市に提出。市の復興計画素案の牡鹿半島部分は、この資料をもとに作られたという。

宮城県 牡鹿半島

アーキエイドの調査では、漁村の暮らしを記録したことも収穫といえる
「浜ごとに特色が違います。牡蠣養殖が盛んなところもあれば、ホヤ養殖もある。勤め人の多い浜もあります。」
なりわいが違えば、作業空間も生活スタイルも違う。浜ごとの個別性の高い暮らしが、生き生きと記された。

アーキエイドの、丹念なヒアリングをもとにした提案は、住民と専門家が一緒になってまち全体をオーダーメイドするような、新たな流れを示しているようだ。
「でも、ひとつのチームがひとつの浜の支援にずっと入っていると、それぞれのチームがその浜だけの便利さを考えた『浜の代弁者』になってしまう恐れがあるんですよ。そうならないように、毎月内部ミーティングをし、半島全体の将来を考えるようにしています。」

また、福屋さんが懸念するのは、復興計画が防災視点だけに偏ってしまうのではないかということである。
「今は、住民に住む場所の意向を聞くと、『とにかく早く高台に』という思いばかりが強いです。でも、それが将来、平時の生活の中では変わっていくかもしれません。」
できるだけ、平時の生活や、過疎化問題なども含めた浜の将来のことを考えた計画になるよう、専門家として提案したいと言う。

「『建築家として何ができるか』を考えたとき、私たちはこんなふうに考えました。建築家の職能とは。地形を読むこと。話を聞くこと。手を動かしながら考えること。」
と福屋さん。アーキエイドの牡鹿半島での取組みは、まさにそれらをフル活用している。
「もう一つ、建築家の特長は、スケールレンジが広いことです。」
人の生活から必要なものを固有解としてデザインしつつ、まち全体の関係へ広げていく、建築家の視点は、特殊性の高い土地柄では特に価値を発揮する。

一方で、全体計画から個々のレベルへと縮めていく、いわば、都市計画・土木的視点もなおかつ必要となる。 「土木と建築、両方の視点がうまく協働していけるといいですよね。」 URは、ニュータウンや団地をつくってきた歴史を通し、土木、建築の両視点を持ち合わせているという長所を、うまく生かしていきたいものだ。 最後に、福屋さんからURへコメントをいただいた。 「URに期待することの一つは、官と民をつなぐ役割です。もう一つは、ぜひ、若い人の育成をお願いしたいということです。URさんとタッグを組んで学生がまちづくりの一助となる機会を作れるといいですね。期待してます。」

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