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「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則氏に学ぶ、奇跡を起こすためのヒント

リンゴ栽培において、農薬は必要不可欠であるのが常識といっても過言ではない現状がある。その絶対不可能と言われていた完全無農薬無肥料のリンゴ栽培を可能にした農家・木村秋則さん。木村さんの栽培するリンゴは腐ることなくしぼんでいくという。世界でも例を見ないそのリンゴは『奇跡のリンゴ』と呼ばれ、今や手に入れることも難しい。

しかしながら、奇跡のリンゴの完成までには、木村さんの穏やかな笑顔からは想像もできない、約10年間の無収穫無収入という、過去の壮絶な苦悩が隠されている。なぜ挑戦し続けられたのか、苦悩の中でとった行動から見えるものは何か。多数のテレビや本で紹介され、まさに今を時めくカリスマ農家である木村さんのご経験談を伺い、奇跡を起こすヒントを探る。

木村秋則 Akinori Kimura

1949年、青森県弘前市生まれ。 高校を卒業後、一時川崎市内のメーカーに勤めるが、20代前半より帰郷し、リンゴ栽培を中心とした農業に従事。奥様が農薬で体を崩された事をきっかけに、福岡正信著作の「自然農法論」を片手に完全無農薬無肥料のリンゴ栽培に挑戦。試行錯誤の無収穫無収入時代を経て、約10年後、ついに完全無農薬無肥料のリンゴ栽培に成功。このリンゴが「奇跡のリンゴ」と称賛を受け、木村さんの記録である「奇跡のリンゴ 絶対不可能を覆した農家・木村秋則の記録(幻冬舎、2011年)」がベストセラーになっている。現在は、国内外で広く積極的な農業指導に当たっている。

『やらなきゃ失敗なのか、答えなのかわからない』

最近では巷でも無農薬栽培の農作物商品が増えたものの、消費者である私たちはその野菜1つ1つの背景にある生産者たちの様々な苦労を知らない。世界的にも困難と言われていたリンゴの無農薬無肥料栽培に成功したリンゴ農家・木村さんにも約10年間という長く、険しい無収穫・無収入時代があったという。

「まずは、当時、1年間に12回の農薬散布を5回、3回、1回と徐々に減らした。それでもできたから0回でもできるだろうと思ってやったら、そこからが地獄の始まりだった(笑)。」と、無農薬無肥料栽培による影響で、1年に二度咲くことのないリンゴの花が咲いた当時の様子を語る木村さん。自分の子どものようなリンゴが徐々に元気をなくしていく姿を間近に見るわけだから辛くないはずがない。そしてリンゴ王国・青森での、無農薬無肥料のリンゴ栽培という新たな挑戦は良くも悪くも周囲の目をひいた。ついには実家の家族との付き合いもなくなっていったという。

それでも木村さんの驚くところは、「必ず答えはある」という信念のもと、挑戦し続ける“真っ直ぐさ”だ。「いろんなことを試行錯誤してやったけど、すべてが失敗だった。でも初めから答えが無いものだから、やらなきゃ失敗なのか、成功するのかわからないわけよ。失敗しても、去年失敗したところをいろいろ反省すれば、またいろいろなアイデアが出てくるんだ。」失敗することは誰もが恐れるものである。木村さんの“真っ直ぐさ”に隠されているものは何か。それは、当時、木村さんが毎日毎日リンゴを観察し続け、記録を残したという行為にある。その地道な日々が木村さんに小さな奇跡の予兆を気づかせ、木村さんの背中を前に押し出していたのだと考える。

一方で、苦労を乗り越えてきたのは木村さんだけではない。木村さんのリンゴ栽培の裏には家族の支えがあった。木村さんの奥様のご両親は木村さんの悪い話が耳に入らないように衝立になっていたという。また、「耳にたこができるくらい実家にはやめろって言われた。親戚すべての付き合いもなくなった。」「でも、お袋は途中から『好きなようにしろ』って言うようになった。道端の砂利を蹴りながら『あの石のように生きろ』、負けるなと応援してくれたのな。」。“答え”を信じることと、進み続ける人を信じること。どちらも生半可な事ではない。しかし、どちらが欠けてしまっても木村さんの奇跡のリンゴは完成できなかったであろう。

『見えないものに気づくチカラ』

木村さんの奇跡のリンゴの正体は土壌菌のチカラであるというが、そんないつもは気づかないものに気づくことができる、木村さん独自の視点を感じさせるエピソードがある。ある時、木村さんのトウモロコシ畑で、タヌキが収穫物に悪さをしたという。「このやろうっ」と罠を仕掛け、捕まったタヌキを見て木村さんは思った。「ああ、そうだ。私、タヌキが住んでいるところにトウモロコシを植えたんだ。タヌキにしてみると私が侵入者だった。」それからは歯かけのトウモロコシをタヌキのために置くようにしてみると、それ以降、被害は何も無くなったという。木村さんは「もし私が・・・だったら、答えは全部そこにある」と言う。例えば「山はなぜ千年も2千年も山なのか。なぜ手も加えずにああして育っていくのだろう。リンゴも何年かしたらできるのかな。」と。「もし…なぜ?」そんな視点が“気づき”のきっかけとなり、のちに奇跡をも起こしていく。木村さんは奇跡の起こし方についてこのように答えてくれた。「答えはいつもすぐ近くに、でもいつもは見えない世界にある、その見えない成果に気づく視点を持つことが大事、“答えは必ずある”」と。

『全部やらなくていい。少しずつの変化を私は伝えていきたい』

木村さんのリンゴへの情熱と愛情は時に人の気持ちを変えていく。木村さんのお話は自信に満ちていて、それでいてわかりやすいから、ついつい引き込まれていく。木村さんの農法は周囲からの反対が多かった。しかし木村さんは開き直ったり、逆にその反対に屈したりすることはしなかったという。謝りながらも自分の挑戦は辞めず、根気よく有効性を伝えていった。「まずはみんなを肥料・農薬を使わないものは腐らないと洗脳してみる。そして匂いを嗅いでもらうの。そしたら農家の人は私のもこうなるのかって少しずつ変わっていく。それから、実際やってみなさいって言ってるの。」実際に経験をさせてみる、手に取って確かめさせる。相手に実感を持たせることで、有効性を伝えていく過程は手間も時間もかかるように思える。しかし、「急激な変化は誰も、土も望まない。少しずつの変化は知らないうちに広まっていくんだよ。自分の経験もそうなのよ。全部一度にやるなよと。失敗すると大変だから。」と木村さんは笑うが、実に心に沁みる言葉であった。

URのPick Up Project!!

人々がより快適に暮らすまちをつくることを理念とするURでは、いろいろな人がつながりを持てるよう、共同花壇や市民農園などを併設する賃貸住宅があったり、イベントの開催のお手伝いをしたりします。
平成24年1月には、東京都江東区の東雲キャナルコートにおいて有機野菜や安心安全な加工食品などを販売するアースディマーケット(主催:NPOアースデイマネーアソシエーション)が開催されました。

今こそ、農業ルネッサンス!

そして現在、木村さんは国内外で広く農業指導に当たられている。「私たちは今、これまで歩いてきた道を振り返る時期にあるのではと思っている。」木村さん率いる一部の農家さん達から徐々に自然農法への意識改革、農業ルネッサンスが始まっているという。木村さんの農業ルネッサンスの活動は生産者である農家さんへの農業指導だけでなく、消費者に対しても同じ思いであるという。「土をいじると手は汚れるけど、心の角はとってくれる。それが幸せにもつながっていくと思う。」「もっと消費者が生産者の顔を思い浮かべられるような時代になるといいな。」消費量が多く最も農業の恩恵にあずかっている都市部に暮らしていて、生産者に思いをはせている人はどれだけいるだろうか。農業と都市の物理面だけではない距離を縮めることは、作り側にとっても、いただく側にとっても大切なことではないだろうか。

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