街に、ルネッサンス UR都市機構

第7回都市再生フォーラム 中林一樹氏

パネリスト紹介(中林一樹氏)

中林 ご紹介いただきました、中林と申します。自己紹介を兼ねて10分の時間をいただきましたが、私は中井先生と同じような状況で、南三陸町の復興計画の策定委員会の委員を仰せつかり、地元の宮城大学の大泉先生が委員長、私が副委員長を務めることになりました。6月に、国土交通省の直轄事業の関係で、南三陸町の復興のお手伝いをすることになっているということもあり、南三陸町の調査の監理委員ということで、直轄調査の監理委員も仰せつかりながら、南三陸町を中心に、復興への歩みを見てきたということです。

明治大学政治経済学研究科特任教授 中林 一樹 氏 明治大学政治経済学研究科特任教授
中林 一樹 氏

 その中で、大西先生の勉強会にも参加し、復興まちづくり会社が、大きな働きをするのではないかということで、南三陸の圧倒的に人材が足らない中で、なんとかそうした組織が立ち上げられないものかと考えました。被災地で会社を立ち上げるというと、どうも営利目的だというオブラートがかかって見られてしまうものですから、会社という言葉を使うのをやめ、昨年度、南三陸町復興まちづくり機構という、一般社団法人を立ち上げ、地元の商工会の方に理事長をお願いし、そのサポートとして私が現在もかかわっております。

災害復興と事前復興のまちづくりから二次元復興の国づくりを

 また、復興計画策定委員は2年間の任期でした。復興計画を一応策定はしましたが、委員の任期は2年あるので、そのまま委員としての役割を継続してくださいということで、残る1年、そういう立場からのかかわりもあるという状況です。
 私はもともと、安全なまちづくりや都市づくりを標榜していた者の1人として、この16年間に、3つの震度7の地震を経験しました。わが国は、都市震災、中山間地域の高齢社会での震災、そして島国日本での、沿岸での津波による大震災を経験しています。これらの教訓を、いかにして次の世代へつないでいくのかが、これからの大きな国づくり、地域づくりの方向性を決めるのではないかと思っております。

3つの震度7の地震災害が示す日本の地震災害の全貌

 といいますのも、東日本大震災は、文部科学省が行ってきた、2000年代の長期評価の中で、30年以内99パーセントと言われた、宮城県沖地震、ちょうどあの場所から始まって、戦後3つの震源域を同時に動かす、マグニチュード9.0というものでした。長期評価の対象から見れば、まさに想定外の大地震が起きたわけです。
 同じように、わが国の地震対策の長期評価として、首都直下の地震、あるいは東海、東南海、南海の地震が、30年以内に、非常に高い確率で起きる可能性があると言われ続けてきました。そうした状況は、東日本にもかかわらず、おそらく早まることはあっても、遅れることはないと考えられています。

阪神大震災・東日本大震災に続く広域巨大災害

 そういう状況の中で、東日本の復興を、いかに迅速に進め、かつ震災前の80パーセント復興ではなくて、100パーセント、あるいは120パーセントの復興へ、どのようにして持ち込んでいくのか、そういう復興を成し遂げていくかということが、非常に大きな課題であると、私自身は考えております。なぜなら、東日本広域巨大複合災害を、首都圏や西日本がさまざまに支えつつ、この1年数カ月を歩んできたのだろうと思うからです。もちろん、被災地域や被災された皆さんの頑張りが、根底にあるのは間違いありません。
 しかし、その東北が、100パーセント、あるいはそれを超える地域力をつけるような復興を、5年、10年、15年かけてでも成し遂げていかなければなりません。今さまざまに、首都直下型地震や3連動、4連動、最悪5連動の、かなり大規模な震災の発生が想定されています。その復興を支える国の力を蓄えておくには、東北の復興が80パーセントで止まっては駄目であると考えています。

 とはいえ、東北といっても太平洋側、日本海側があります。また、同じ太平洋側の岩手、宮城、福島の3県を取っても、本当の被災地は、津波の被害を受けた沿岸地域の一皮です。内陸では、ほとんど被害を受けていない状況の中で、どのように沿岸の自治体の復興を成し遂げていくのか。
 スケールをどんどん落としていくと、本当に今回の被害が激甚であったということが分かるかと思います。死者が1,000人当たり4人、5人、8人という、すさまじい割合で人的被害が発生しております。失われた建物も、地域コミュニティーで見ますと、例えば私がかかわっている南三陸町でも、8割の方が津波にさらされ、6割の方が自宅を失っているという状況です。

表

 さらに、役場も壊滅し、病院も警察も郵便といった都市機能も、すべて壊滅した中からの復興ということで、これは阪神でも、中越でも経験していない、壊滅的な中からの復興が求められています。ですから、全国からの支援を含めて、長期的な支援が必要ですし、それを乗り越えて、120パーセントの復興へ向けていく必要があると思っています。

 しかし、1年3カ月たった現在の状況は、なかなか復興への道のりは遠いと感じています。南三陸町も、津波からの安全に重点を置いています。特に、防災庁舎で30人近くの職員の方が、命を落とされたことも含めて、たくさんの方が津波によって命を落とされていますから、安全第一という観点から、高台移転を基調にしたまちづくりが検討されています。
 したがって、被災した市街地の高台にあった小学校、中学校、高等学校が、統廃合その他の理由で高台に移転とていたことが、避難場所の確保につながりました。仮設の役場や病院も高台に開設して、なんとか乗り越えている状況です。

東日本大震災:高台移転+現地復興

 津波を被った地域は、危険地域ということで、余震による津波を警戒し、仮設といえども居住はしていません。しかし、三陸の山がちのエリアでは、平場かほとんど津波に洗われていますから、仮設を建てる用地も十分にあるわけではありません。そのため、例えば南三陸町の最大の仮設住宅は、隣町の登米市に建てられている状況です。
 また、仮設自体の供給に時間がかかるということもあり、今回、公的住宅を含めた、民間の賃貸住宅等を借り上げる、みなし仮設の手配が行われました。現在、いわゆる応急仮設住宅が53,000戸で、民間借り上げのみなし仮設は68,000戸と言われています。この多くが、被災した自治体ではなく、内陸部の都市域に存在しています。それは、実は、仮とはいえ、被災地からどんどん人が流出する原因となっています。被災地にはすべての機能が失われていますから、買い物すらできないという状況の中、ようやく仮設の店舗や作業所等が、少しずつ復興してきているというのが現状です。
 その中で、高台移転を前提とした復興計画を、半年かけてさまざまに検討してきました。また、低地を産業の場として使わない限り、すべてを高台に上げることは、面積的に不可能であるということで、低地を有効に利用するために、釜石や陸前高田と同じように、防潮堤と盛土によるかさ上げの整備が必要になります。また、都市機能に関しては、今回新しくできました、津波防災地域づくり法による拠点市街地というかたちでの事業で、機能の確保を図っていこうとしています。
 ここが現状ですが、この先どうなるのかというのが、復興の正念場であると言えます。みなし仮設を含め、たくさんの方が市外に出ているわけですが、復興市街地に戻って来てくれるということを前提に、復興を考えておりますが、実際に戻って来ることができる、魅力ある町を復興していけるかというのが課題です。さまざまなプライベートの状況も含めて、時間がたつほどに、新しい居住の場を定めて、震災後の生活が展開されていく状況も、見逃すことはできません。そこをいかに被災地の復興につなげていくか、この1年間というのは、まさにその正念場にあると思っています。

 南三陸町の中心集落は、志津川というところですが、それ以外に33の湾処湾処に漁村集落があります。国交省の防災集団移転というのが基調になっていますが、これから漁村としての活力を回復するには、農水省の漁村集落整備、あるいは漁村集落の防災アップの事業などと連動して、複合的な取り組みをしなければいけません。そうした複合的な事業の推進を含めて、今度新しくできました復興庁が、この1年間、どういうふうに事業の推進のバックアップをしていけるかも、大きな課題になっているのではないでしょうか。

資料

 それから、志津川町の土地利用イメージということですが、まだ都市計画決定はできておりません。かつては3つの川を水門で仕切って、6メートルの防潮堤と水門で津波対策をしていましたが、水門の建設や維持にはなかなかお金がかかるということで、今回の計画では、水門を持たず、河川の堤防を、防潮堤と同じ高さの8.7メートルに上げて、市街地もかさ上げをします。しかし、頻度の低い津波に対しては、水を被るということで、高台移転を考えています。
 大西先生から、コンパクトシティーというお話がありましたが、実態としては、高台移転が分散型の市街地を作り出す可能性が、非常に高くなります。町が管理する道路等も延長距離が長くなる可能性も含めて、まだまだこれから、考えなければいけない課題も少なくはないと、あらためて思っています。

南三陸・志津川地区における復興土地利用計画のイメージ

 人口が減少する時代、特に、人に戻ってもらうということは、被災地にとって、極めて重要な課題であるとすると、まず何よりも、被災された方があの町でもう一度復興するという気持ちを、どうやってくみ取っていくのかが大切です。あるいは、それを支えるコミュニティーでの組織を、どういうふうに復興させていくのかが大きな課題となります。
 釜石市長さんから、向かい合わせ型の仮設住宅の話がございました。これは、阪神・淡路大震災の反省で、中越地震では基本的に、仮設住宅はすべて向かい合わせに設置し、集落単位で入居するということでコミュニティーの維持を図りました。今回の東日本大震災では、必ずしもそういう配慮がなされておりません。しかし、あちらこちらの仮設に分散しているコミュニティーをもう一度結びつけて、あの村へもう一度戻るという気持ちになるよう、引きつけていく必要があります。

復興まちづくり対象と主体

 そうしたヒューマンウエア、ソーシャルウエアに、最も適したハードウエアを作るということが、この人口減少時代の5年後、10年後に、自治体が過分な負担を負わないで済むまちづくりとして重要であると考えています。そういう意味で、何よりも被災者、被災地域、被災自治体に頑張ってもらうために、URをはじめ、さまざまな専門家が支援をする仕組みを、ますます強化して、この1年を乗り越えることが、大事になってきていると考えます。

 南三陸町の復興計画をお手伝いしながら、7つほど感じるところがありました。1つに、復興の目標とは、結局何であろうかということです。2番目は、急激な人口減少に対して、それに対応する計画を作る技術というのを、われわれは持っていないのではないかということです。シュリンクする計画という、既にあるものをシュリンクするのではなくて、作りながら小さくするという難題に、これから向かわなくてはいけません。それから、低地の安全性と絡めて、今一番大事なのは、産業、経済活動の復興であると考えます。それは、被災者の仕事の復興ということでもあります。
 そして、バラバラになってしまう被災者の最後の1人まで、行政がきちんと情報を伝え、ケアができるような仕組みを作り上げる。福島においては、この問題は厳しい状況にあるかとは思いますが、そうした取り組みも重要です。

復興計画をめぐる論点として

 それから、年間一般会計100億円の南三陸町で、三次補正を含めた事業申告というのは、300億弱という、30年分の事業を申告することになります。これを、5年ぐらいでこなすという状況で、専門家も人材も、全く足りません。まさにこれこそ、国を挙げて支援をして、なるべく早く復興することが、被災者を地域に取り戻すことにつながっていくのではないかと思います。

 そうした東日本の復興を、120パーセントを目標にすることで、首都直下や東海、東南海地震に立ち向かうことができると考えます。東海、東南海の被害想定はさまざまです。その被害を受けたあと、今回の東日本と同じように復興するのか、あるいは被害を受けたことを想定した時に描かれる復興像を、今から実現していくのか。私は今から実現していくことで、限られた国の予算も有効に使えるのではないかと考えております。そういうことで、災害復興と事前復興を組み合わせた、二元復興の国づくりへ向かって、東日本の災害復興の最大限の応援と同時に、新しい国づくりへ展開する時期にあるのではないかなと思っております。

国土形成法を活用した二元復興の国づくり

 その第一は、やはりリスクの分散です。海外へリスクを分散するのではなく、国内でいかに充実させながら分散するかということです。人口は減りますが、活力をいかに維持するが重要です。人か減るということは、土地が余るということですが、良い土地を共同で使い、よりパフォーマンスの高い土地利用をする。そして、安全にどれだけのお金をかけて、どういう安全・安心を確保するのか。このような4つの観点から、新しい国づくりを始めていく時期に、今あるのではないでしょうか。

20年先を目標とする二元覆工の「国土づくり」を

 東日本、東北を120パーセント復興させるためには、首都圏や西日本から、東日本にさまざまなものの移動、あるいは分散ということがあり得えます。
 諸外国が国を挙げて日本の企業を誘致しているとすれば、この国も国を挙げて、東日本への企業の誘致を、もっとやるべきではないかとも思っております。
 そうしたことで、国土形成法を、新しい国づくりに合わせた改定をすると同時に、首都の被害を減らす取り組み、東日本の被害を減らす取り組みを、今回の復興と併せて、この10年間に、まさに、国家の存亡をかけたプロジェクトとして、やるべき状況にあるのではないかと考えます。

分散と連携による21世紀を生き延びる復元力のある国土形成

 そして、これから大災害を迎え撃つであろう地域では、防災家づくり、防災まちづくり、防災訓練、さらに、被災者の立場で、被災者が苦労する復興を、今から考えておくことが大切です。場合によっては、その復興を前倒しすることが、防災家づくりや防災まちづくりにつながるのかもしれません。そういう取り組みを全国的に進めることで、二元復興の国づくりということを、実現していく時期にあるのではないでしょうか。私からのお話は以上にさせていただきます。

地域社会が縮減しても活力が向上する復興と災害に強い地域づくり・国づくりを
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