街に、ルネッサンス UR都市機構

第7回都市再生フォーラム 中井検裕氏

パネリスト紹介(中井検裕氏)

中井 東京工業大学の中井でございます。
私は、都市計画の研究者でございますが、今回の震災からの復興ということでは、国土交通省の直轄調査という、被災地の復興計画づくりに携わりました。基本的には地方自治体が復興計画を作り、それを推進していくという体制ですが、どこの自治体も非常に大きな被害を受けておりましたので、市町村だけではなかなか難しいであろうということで、国がこれを支援する枠組みとして、調査という言い方でスキームを起こしました。

東京工業大学社会理工学研究科教授 中井 検裕 氏 東京工業大学社会理工学研究科教授
中井 検裕 氏

この復興直轄調査は、全部で30地域ぐらいに分かれておりましたが、そのうちの1つ、陸前高田というところに、監理委員として全体の調査の調整をしたり、調査の企画をしたりするお手伝いをしなさいということになりました。そこで私が、今から1年ぐらい前、6月の始めごろに陸前高田に行きました。それまで学会の調査では行っておりましたが、本格的な復興支援ということになります。

陸前高田市震災復興との関わり

 その後、3月までその調査が続きました。この間、36回の監理会議ということで、現地の市役所の皆さんと、復興計画の打ち合わせをいたしました。途中、地元の人が中心となった復興計画検討委員会が立ち上がり、そこで復興計画をまとめる係として、市のほうから私が、委員長を仰せつかりました。大役ということで逡巡いたしましたが、お引き受けをし、お手伝いをさせていただきました。今年になってからは、陸前高田市復興計画推進委員という肩書をもらい、引き続き現地でお手伝いをしております。
 計画策定の経緯を、ざっと申し上げますと、陸前高田は市役所が被災をしたということで、立ち上がりはだいたい5月と、ほかの自治体に比べて遅かったように思います。今から1年ぐらい前の6月に、市役所の仮庁舎ができ、それからようやく、復興に向けていろいろなことが動き始めたと記憶しております。

計画策定の経過

 その後、復興計画自体は11月末に取りまとめを行い、12月の議会で認められ、公式の計画となり、その間、地元の行政区の区長に対するヒアリングや、被災者の方々に対する全数調査を行いました。今後の市の方向を決定づける復興計画ですので、被災されていない方の意見も、アンケート調査というかたちで集めました。また、若手の方々とも議論をしようということで、語る会を開催するほか、地区別説明会として地元の皆さん方ともコミュニケーションを図りながら、計画を作ってきました。

陸前高田市復興計画1

 ざっと復興計画を紹介すると、真ん中の中心部、歴史的な地区、そしてここが今回の目玉の1つとなっている、防災メモリアル公園の絵です。
 これが高田の中心部の復興計画です。大きく分けて、高田というところと、今泉という2つの核からなっております。こちら側(西側)が古くからある中心で、こちら(東側)は戦後の中心と言ってもいいかもしれません。ちょうどその間に、気仙川が流れており、ここに有名な高田松原という、77,000本の松原が広がっていました。

  • 陸前高田市復興計画2

  • 陸前高田市復興計画3

 今回の計画で一番大きな議論になったのは、安全をどうやって確保するかということでした。特に、最初の数カ月間は、ほとんど防潮堤に関する議論が中心となっていました。国の方針としては、レベル1津波、比較的頻度の高い津波に対応したものを作りましょうということでしたが、陸前高田の場合は、当初から、もう少し高い防潮堤を作ってほしい、作りたいという要望がありました。
 理由はいくつかございます。1つに、陸前高田は、三陸リアス地形の中では、比較的平地が大きく、そこを有効に使うためには、安全を確保したいという希望があります。われわれも、津波に対するシミュレーションを何十回も行いました。レベル1津波に対応した防潮堤では、今回の震災クラスの津波が来ると、浸水深が約5メートルに達することが想定されます。これでは安全であるとは言えませんので、それより高い防潮堤の建設を要請しておりました。結果的には、やはりレベル1津波に対応した、12.5メートルという防潮堤が、広田湾に面した都市海岸部に建設されることで決着しました。

安全性の確保

 それを受けた結果、やはり独自に安全性を確保していきましょうということで、高台開発はもちろん、今回水浸した区域内を、また宅地として使う場合には、海面から5メートルぐらいは、土地のかさ上げを行うということにしております。
 それから住宅につては、安全性の一層の確保ということで、山際に近いところや、災害の際に逃げやすい場所に配置するとしています。当然、避難ビルのようなものも、適切に配置します。避難路についても、津波の際、自動車が渋滞して多くの方がそこで亡くなったということもありましたので、自動車、歩行者の避難路を確保する。それから、津波の際の避難行動を見ると、津波の状況がどうなっているのかを見ながら、少しずつ逃げていたということで、滞留空間の設置を考えております。

 これが計画の断面図です。防潮堤が12.5メートルあり、このあたりは公園になります。そしてかさ上げをしたあたりから市街地になり、住宅はできるだけ高台に建設するということを、復興計画で決めました。

陸前高田市復興計画(案)

 今は、計画から事業という段階に動き始めているところです。ここの色が付いているところが、先行地区ということで、大きな計画を考えています。まずは、事業を段階に分けて、復興整備計画して、高台のあたりから着手するよう、事業を動かす段階に入っています。
 ここでは、今日の主催であるUR都市機構さんに、大変協力をいただいております。
 もちろん、被災直後から支援に入れて、監理会議もずっとUR都市機構さんに入っていただきながらやっておりました。3月2日に協力協定が結ばれ、この高田と今泉の2つについては、復興整備事業ということで、大きな区画整理のお手伝いをお願いすることになっています。

復興整備計画の決定(第1弾)

 今の課題については、あとでお話しすることもあろうかと思いますので、目出しだけしておきます。いくつか大きな課題がございます。復興計画の中で積み残したものとして、鉄道がございます。それから、事業量が非常に多く、人手が足りないという問題。そして事業計画自体にも課題があります。新聞などによると陸前高田は、毎月300人ずつ人口が減っていると言われていて、その中で事業フレームをどう調整していくかという状況がございます。それから、どうしても事業の長期化するという課題があります。防潮堤の建設には5年かかり、それが完成しないと平地の安全が確保できないとなると、その5年間はいったいどうするのかという話になり、短期的な仮設復旧と、恒久復旧を、どうつなげていくかという、大きな課題がございます。

UR都市機構の協力

 私は主としてインフラの再整備のお手伝いをしておりましたが、道路と公園だけ作っても、町ができるわけではありません。当然、上物も必要ですし、そこの上物を動かしていくソフトとして、産業や福祉、教育も必要です。こういったところとの連携も、まだまだ始まったばかりということで、だんだんと課題が具体的に見えてきたという状況です。
 またあとで、それぞれの論点については、話を深めることができるかと思います。取りあえず、私の報告は以上です。ありがとうございました。

復興まちづくりの課題

山﨑 ありがとうございました。続きまして、東北工業大学の福屋さん、お願いします。

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