団地の誕生創世記1
団地の誕生創世記
日本人の住まいを根底から変えた新しい時代の幕開け
誕生したばかりの団地とは、どういう存在だったのか。
その頃を知る人々のお話から、団地創成期をのぞいてみた。
「食寝分離」の新しい住まいが誕生
戦後の日本は、あらゆるものが足りない中からスタートした。ことに住宅事情は劣悪で、昭和29年になっても、日本全国で約280万戸もの住宅が不足、その建設は急務だった。
日本住宅公団は大規模な宅地開発を行い、不燃住宅を供給することを目的に、昭和30年に設立された。都市への人口流入が進んだ高度成長期、日本住宅公団は都市近郊に大規模な団地を次々と建設していった。
「明るい台所にはステンレス製の流し台が設置され、浴室と水洗トイレが住戸内にある。これこそ新しい時代の住まいだと、大変な衝撃を受けました」
昭和31年、名古屋市に誕生した公団住宅・志賀団地で新婚生活を始めたという男性は、当時をそう振り返る。それまでの日本の家では、食事のときには和室にちゃぶ台を出し、それを片付けて布団を敷いて寝るというスタイル。それが団地では、食事する部屋と寝る部屋が別という点も画期的だった。
「当時の志賀団地は大学病院のドクターも住んでいましたね。その頃、出始めた家電の三種の神器、テレビ・洗濯機・冷蔵庫をちょっと無理して購入して、まさに時代の最先端の生活、憧れの暮らしを楽しみました」
応募に殺到、
団地には希望が詰まっていた
その憧れの暮らしを手に入れる方法は抽選だった。人々は新しい団地の応募に殺到した。当時の日本住宅公団の職員・植田茂夫さんはこう証言する。
「団地の募集があると、“門前市を成す”という表現の通り、人々が当時、東京の九段下にあった日本住宅公団の窓口に殺到しましてね。フロアは人で埋まり、通りまで人波が続いていましたよ」
冬至の昼間でも4時間日照があること、住戸のプライバシーを確保するため、建物高さの1・8倍の棟間隔をあけることなど、現在にも続く団地の基準は、この時期にまとめられている。
日本人の暮らし方を根底から変えた団地には、庶民の希望が詰まっていた。
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