団地設計の潮流
本ページは「'ING REPORT 団」をもとに作成しました。
昭和30年(1955)の日本住宅公団発足からの20年間とした。これは戦後の圧倒的な住宅不足のもと住まいを求めた「量」に応える時代であった。その前半では建設実績を挙げながら、建設技術や住宅部品の開発を公団自らが行い、最先端の技術や設備・部品による住宅建設の近代化を図るとともに新しい都市居住の形を求めて様々な試行と方向付けがなされた。後半には住宅の工業化と量産化手法が確立し、大量建設が著しく進んだ。
とりまく状況
大正、昭和初期の公的住宅
日本における初期の代表的な公的住宅として、関東大震災からの復興を目的として設立された同潤会や、全国都市部での住宅供給事業を担った住宅営団が供給したものがあげられる。
日本住宅公団の設立
第二次大戦後420万戸といわれた住宅不足は解消せず、昭和30年の時点でも270万戸が不足していた。政府は住宅金融公庫や公営住宅の制度を作って住宅不足に取り組んでいたが、
さらに日本住宅公団(昭和30年)を設立し、国自らが行政界を超えて住宅を直接供給できることとなり、三本柱で住宅難の解消に取り組んだ。
団地づくりの流れ
標準設計の開発と住棟のアクセスパターン
団地設計の初期においては、住棟住戸は標準設計を共通的に活用することとし、新たな業務である団地の配置設計に精力的に取り組もうとした。標準設計はDK型プランなどにより新たな生活提案を行うと同時に、いろいろな配置設計に対応できるように住戸へ至る経路・方法が異なる階段室型、廊下型、ポイント型など多様な住棟を用意した。
標準設計による設計と施工の合理化
公団発足当時、RC造の集合住宅はまだ多くなかった。公団は標準設計により、設計の効率化を図ると同時に、施工の分野でも部品化や工業化による合理化を進めていった。
配置設計手法
公団発足当初、団地設計は手探りの状態であった。公営住宅において積み上げられた技術や諸外国の資料を参考に配置設計に取り組んだ。団地は住宅の集合体であるが、ただ住棟が並ぶのでなく、空間の骨格をしっかりと築いていた。
配置設計の多様化
団地の配置設計は、多くの試みが全国でなされていた。大規模な団地の配置設計を行うにあたり、ある設計者は人の暮らしや物理的性能を解析的にとらえ、また、ある設計者は地形、風土に着目し造形的に住棟配置を行った。結果として公団の団地には多様な住棟配置が提案された。
市街地づくりの流れ
既成市街地での開発、面開発市街地住宅
既成市街地内での開発形態として市街地住宅がある。市街地住宅はその後に地域整備を行ないながら住宅建設を行う、「地区市街地住宅」、「面開発市街地住宅」へと発展していく。
団地の高層・高密度化と空間形成手法の多様化
昭和40年代後半になると団地においても、建設計画戸数の増加に伴って高層住宅の導入が増加した。また面開発市街地住宅においても、大きなスケールのみの空間構成から中小のスケールを取り込んだ多様な空間構成に発展し、団地型の設計手法と面開発市街地住宅の設計手法が融合していった。
団地づくりと市街地づくりの融合
宅地開発とニュータウンの誕生
住宅不足の解消のためには、さらなる大量の住宅供給が必要とされた。生活施設や新たな交通を一体的に整備し、なおかつ大規模に開発する手法が必要とされ、土地買収や区画整理によるニュータウン開発を開始した。
公団におけるニュータウン開発
ニュータウン事業が軌道に乗ると、宅地開発部門が整備した宅地を住宅建設部門に移管し、その街区内の配置設計が団地設計の役割となっていった。
大量の空家発生を契機に「見直し」が始まり、住宅の「量」から「質」への転換が求められた。標準設計の廃止や設計途中・建設中団地の大胆な見直しを経て、設計の方向を二—ズ対応、立地対応に変え、生活の豊かさを求めて住まいの多様化が進んだ時代である。また、住宅供給と共に都市の基盤整備、地域の環境整備にも本格的に取り組みはじめた時期で、その間バブル景気という経済的な激動を経験した。この時代は平成6年までとしたが、次の時代への移行は分野ごと課題ごとに緩やかに生じ、方針の変化も段階的なものであった。
団地づくりの流れ
設計取組みの大きな転換
「高・遠・狭」が社会問題となり、住宅計画の「量から質へ」の意識変革が要請された。『標準設計』を廃止し、 立地特性に応じた空間構成や地域需要に応じた価格設定、多様化するユーザーニーズや住宅市場に対応した取組みへと大きく転換した。
景観配慮・企画型住宅
立地特性に応じた景観形成に配慮し、勾配屋根と階数変化の組合せによるスカイライン形成や、沿道に奥行きをつくる離れ居室などの個性的な街並み形成を追求した。
地域貢献・企画型住宅
立地特性や様々な敷地条件を読み解き、地域貢献テーマに応じた住棟住戸企画や空間構成、まちとの調和などのまちなか居住を追求。
低中高層・超高層ミックス
大規模開発では、昭和40年代に実施されたグルーピングの手法をさらに発展させた配置計画がなされた。都市の多様性を求めて、異なる住棟形式を同一街区内に配置した。住宅の型式を混在させたことも空間構成に反映された。
市街地づくりの流れ
密集市街地再生・再開発
防災などの市街地性能を高める密集市街地再生や再開発に取り組んだ。駅前整備、延焼遮断帯や広域避難場所の整備、不燃化促進など、都市居住の新たな魅力と先駆性のあるまちなか居住を追求した。
ストック再生の流れ
団地建替えのスタート
昭和30年代建設の団地は、都心やその周辺の条件の良い立地であるが、低い容積率で敷地の適正利用が図られておらず、住戸規模や間取り・設備等も現在の水準と乖離していた。そのため、好立地を活かした職住近接の住宅の供給、居住水準の向上等を図る観点から、昭和61年に関東では小杉御殿、関西では臨港第二を第1 号として建替え事業に着手した。
バブル景気崩壊後、社会の変化により公的機関による住宅供給が求められなくなり、分譲住宅・賃貸住宅の新規建設からの撤退が進められた。団地設計のテーマも団地の再生へと切り替わり、人口減少時代に突入する中で、家族形態や社会の課題へ対応する形での再生が求められた。「都市再生」、「ストック再生」という大きな課題に加えて阪神淡路大震災や東日本大震災など度重なる災害からの「復興支援」に組織をあげて取り組んだ。
市街地づくりの流れ
団地建替え・ストック再生
まちづくりにシフトしたことにより、建替え事業も周辺地域と連携したまちづくりの一環と位置付けられた。この時期に入ると自ら建替えを行うだけでなく、一部敷地を活用し、高齢・子育て支援施設等の地域に必要な機能を誘致するとともに民間事業者による住宅供給を推進した。また、建替えを行わずに現状のストックを継続管理するための住戸改修やバリューアップ改修、団地を地域の拠点とする地域医療福祉拠点化などの取組みも進んだ。
都市再生
都市部では、 戦後の急速な市街化による脆弱なインフラやバブル経済の崩壊に伴う未利用地の散在などの問題が顕在化した。これらを解決するために土地の有効利用や都市基盤の再整備を目的とした都市再生に取り組んだ。また、 これまでの住宅の直接供給から民間を誘導したまちづくりへと重点を移行していった。
震災復興支援
震災復興支援
阪神・淡路大震災の復興支援においては、住宅・まちづくりで蓄積した技術力・ノウハウを活かし、国や地方公共団体と連携を図りながら、震災復興に貢献した。これらの経験が東日本大震災等への復興支援に繋がっていった。
団地を含む地域全体で多様な世代が生き生きと暮らし続けられる、未来につながる住まいづくり・まちづくりに取り組んでいる。
UR賃貸住宅 ストック活用・再生ビジョン
2007(平成19)年12月26日にUR賃貸住宅ストックの2018(平成30)年度までの再生・再編の方向性を定める「UR賃貸住宅ストック再生・編方針」を策定し、当該方針に基づき社会環境の変化への対応や経営の健全性確保に努めてきた。今般、当該方針の終期を迎えるに当たり、UR賃貸住宅ストックを将来にわたって国民共有の貴重な地域資源として活かし続けるため、2033年度までのUR賃貸住宅ストックの多様な活用の方向性を定める「UR賃貸住宅ストック活用・再生ビジョン」を2018(平成30)年12月に策定した。
一部建替え
一部建替えでは、団地内に既存住棟を継続管理するエリアと建替えを行うエリアが将来に渡って共存するため、従前団地の配置計画の考え方・内容を読み取った上でそれらの継承や刷新を検討しながら団地再生を進めている。
団地の未来 プロジェクト
既存団地の再生を通じて、日本全体が抱える課題に対してひとつの未来を描くことを目標に団地に「集まって住む」こと、新しい住まい方と地域のあり方を模索している。