街に、ルネッサンス UR都市機構

多摩ニュータウンの住宅

大量供給から住宅水準の向上へ

多摩ニュータウンでは昭和46年に、諏訪・永山地区で初めての入居が開始されました。当時は、緊急的な住宅不足に対応するため、2DK、3DKといった標準的な間取りの中高層住宅を中心とした供給を行いましたが、昭和50年代に入ると、一定の住宅量が確保され、「1人1室、世帯に1共同室」が新たな目標として掲げられたこともあり、貝取・豊ヶ丘地区などで3LDK、4LDKといった間取りの住宅も供給するようになりました。 また、専用の庭を持つ「テラスハウス」やコモンスペースを持つ「タウンハウス」などの戸建感覚の低層集合住宅も人気を集め、昭和50年代半ばに多く建設されました。

オープンスペース計画の変換

戸建住宅の導入

昭和54年には、持ち家志向の高まりから、初の宅地分譲が行われました。昭和59年に入居が開始された聖ヶ丘地区では、地元工務店組合が建物を建設し、宅地を都市機構(当時住都公団)が分譲する「民間建物付宅地分譲」が開始されました。この民間建物付宅地分譲では、建物の外観デザインや門柱や生垣といった外構の統一などにより、街なみ景観の向上を図りました。
その後の唐木田地区などでは、電線類の地中化などの都市基盤と相まって良好な景観を形成しています。

新しい住生活の提案

昭和50年代後半からは、傾斜屋根を持つ新しいタイプの中層住宅が多く建設されるようになりました。落合・鶴牧地区などでは、間取りが選択できる「メニュー方式」やフリースペースを持つ「プラス1住宅」など、多様な住宅ニーズへの対応が図られました。

景観づくりへの取り組み

昭和60年代から平成にかけては、総合的な都市景観の形成に力を入れた住宅建設が行われました。向陽台地区では、豊かな緑を背景にした弓なりのスカイラインを形成するように低層・中層・高層住宅を配置、堀之内駅前地区では、駅前の利便性を活かし、特徴ある都市景観を創出しています。 また、南大沢地区では、総合的な景観コントロールを行う「マスターアーキテクト方式」が導入されました。民間集合住宅の多い若葉台地区では、デザイン指針に基づき、色彩や照明などの誘導を図っています。

向陽台地区のスカイライン

新たな時代ニーズへの対応

多摩ニュータウンでは、新たなニーズへの対応として、将来に向けた住宅に係る様々な課題への取り組みが図られるようになりました。「コミュニティの形成」という観点で、住まい手が計画段階から参加するコーポラティブ住宅や、見附ヶ丘地区では様々な事業主体による住宅を同一敷地内に混在させる「ミックスドコミュニティ」という試みを行いました。

N-Cityのクラブライフハウス

また、戸建住宅地のN-City地区では、居住者が集会所の計画に参加し自治会が所有・運営・管理を行う「クラブライフハウス」を設置しています。「環境共生」という観点では、長峰地区などで、太陽光や雨水の効率的活用等への取り組みも行っています。

N-Cityの戸建住宅

民間による住宅供給への転換

多摩ニュータウンでは、このような様々な試みが行われた一方で、バブル経済崩壊後の構造改革の流れの中で、住宅供給は民間にゆだねる方向へと施策が転換されました。平成13年に都市機構(当時住都公団)の新規住宅建設からの撤退が決定され、昭和45年から続く住宅供給に終止符が打たれました。その後は民間事業者を中心とした住宅供給にシフトしています。

若葉台パークヒルズ

関連ページ

メニューを閉じる

メニューを閉じる

ページの先頭へ