東日本大震災15年 復興の道のり

UR都市機構が進めてきた震災復興支援の歩み
UR都市機構は、まちが抱える社会課題を解決するため、民間事業者や地方公共団体、地域のみなさまと連携し、政策的意義の高い事業を進めてまいりました。
平成23年3月11日に発生した東日本大震災では津波により東北の太平洋沿岸の市街地が壊滅的な被害を受けたほか、福島県では原子力災害が発生しました。URは応急対応支援~災害からの復旧・復興支援のため、長年培ったまちづくり等に係るノウハウと阪神・淡路大震災等における経験を活かして、東日本大震災に係る復興支援にあたってまいりました。
発災から15年を迎え、本特設サイトにおいて、あらためて関係者の皆様への感謝を表するとともに、津波被災地等における復興までの道のり、特に福島における「URの震災復興支援」の取組みについてご紹介するものです。
動画「ふくしまの未来に向かって」@URTOSHIKIKO
東日本大震災と原子力災害に被災した福島県大熊町・双葉町・浪江町における復興の歩みを、進みつつある各事業地区や整備された施設などの映像とともに紹介しています。
URが復興拠点整備、建築物整備、地域再生などの復興に係る支援を行い、住民の帰還や地域の賑わいを取り戻すための取り組みが映像で表現されています。
本動画は、復興が進む各町の現在の姿と、URが今後も住民に寄り添う姿勢を伝えて締めくくられます。
動画「ふくしまの未来に向かって」@URTOSHIKIKO
URが復興支援に関わった地区
代表的なプロジェクト
原子力被災地域におけるURの復興支援の取組み

- 復興拠点整備事業支援
自治体等からの要請に基づき、住民の生活再開や地域経済の再建の場となる復興拠点を整備するため、基本構想や基本設計等の構想・計画段階から事業実施まで支援しています。 - 建築物整備事業支援
自治体が発注する公益施設の建築工事等について、基本構想・基本計画検討の段階から設計及び工事の発注手続等の支援、さらに設計及び工事の品質・工程・コストの管 理、各種申請手続等を支援しています。 - 地域再生支援
避難の長期化等により、住民も経済活動もゼロからの出発という背景から、持続可能な地域社会の再生に向け、様々な分野の課題解決に資する関係人口の拡大に向けたソフト的取組みを支援しています
パンフレット
東日本大震災復興支援経験者の声
東日本大震災から15年。 被災地の復興が着実に進む一方で、年月とともに、被災しなかった地域の人々の震災の記憶は薄れつつある。URでは、発災直後から岩手県・宮城県の沿岸部における復興まちづくりを支援するとともに、地震・津波・原発事故という未曾有の複合災害に直面した福島県を含む被災地域の再生取り組んできた。
UR都市機構において震災復興支援の現場で業務に携わっておられた方々に、当時の状況、いま振り返ってみて感じること等を伺いました。
岩手・宮城県における復興支援
発災直後から岩手県・福島県の復興支援に携わり、原発被災地のまちづくりを牽引した松永浩行氏(現:株式会社URリンケージ 取締役 常務執行役員(経営企画・イノベーション推進担当))に、「なぜURが必要とされたのか」「復興被災地でどのような取り組みを行ったか」などについて伺いました。
URが必要とされた経緯・理由
松永浩行氏発災直後、URには岩手県からの支援要請が届き、国交省・UR職員とともに津波被災地の現地調査に向かいました。どの自治体も拡大傾向のまちづくりにしたいという想いを持っていたため、悲惨な被害状況であることを踏まえつつ、どこかで計画を見直す仕組みを考える必要がありました。
全町民が避難している福島原発被災地の復興は、津波被災地で行っていた土地区画整理事業は事業手法上馴染まないため、福島復興再生特別措置法による全面買収型の一団地事業が復興庁において制度設計されましたが、面的な整備ができる組織はURが一番という評価もあり、面的な整備に対するURへの信頼感は間違いなくあったと思います。国側で後押ししてくれる方もいて、事業化に向けた様々な調整を経て、結果として各町さんがURを信頼してくれました。
大熊町(大川原地区)

国が福島原発被災地における一団地事業※の制度設計と法制化に取り組んでおり、そのモデルとして大熊町の大川原地区が検討されていたことから、福島原発被災地の復興への関与がスタートしました。
※ 福島復興再生特別措置法で規定された「一団地の復興再生拠点整備制度」に基づく事業で、帰還される住民の生活再開、地域経済の再建の場となる復興再生拠点を円滑・迅速に整備するため、全面買収方式により新市街地を整備する事業です。
双葉町(中野地区)

さまざまな経緯があって、町から双葉町中野地区を手掛けてほしいという依頼がありました。いち早く産業誘致することこそ双葉町の復興の大きな礎になるとの想いを受け、事業を受託しました。
浪江町(棚塩地区)

復興庁からの依頼により、棚塩地区においてドローンの滑走路・水素ステーションの建設を具現化するため、2016年より事業をスタートし、未買収地をどう産業団地として事業化していくかの検討を行いました。
復興市街地整備にあたり印象に残っていること
2014年度にURは福島県大熊町大川原地区の計画策定を受託しましたが、初期案は従来型のニュータウンと同様に、住宅地・商業地・産業用地を50haに割り当てる内容でした。しかし、ニュータウンの多くは区画整理が事業手法のため、全面買収型の事業経験が少なく、ゼロからのまちづくりの進め方を想像することが十分にできず、当初の提案は厳しい意見を受けました。
これをURは重く受け止め、UR全体でプロジェクトチームを立ち上げて抜本的な見直しが始まり、職種の垣根なく、外部有識者も交えて議論を重ねました。その結論が、「骨格のインフラ以外は決めすぎないまちづくり」でした。帰還される町民の方々の見通しが立たない状況では計画を固定せず、みんなで議論して一つ一つ決めていきながら段階的に発展させていきました。時代の変化が速い今、都市再生においても、計画をつくり込みすぎない、どれだけ余白を設けるかということ、可変性をつくっていくということが重要になっていますが、決め過ぎないまちづくりを計画したのはこれが初めてだったと思います。

初めて被災地を訪れた印象
福島県大熊町内の様子(被災後)初めて福島県の原発被災地に入ったのは2015年5月でした。当時の大熊町には住民の姿がなく、町全体が“空白”の状態でした。
URはニュータウン事業の経験から大規模市街地の計画づくりには慣れていましたが、特に福島では、全町民が避難し、どれだけの町民が戻ってくるのか見通しも立たない「前例のないまちづくり」が必要とされました。
地元に受け入れられたURの姿勢について
URが大熊町で仕掛けたことの一つとして、2015年の若手職員の有志で語り合う「大熊町ふるさと未来会議」にUR職員が参加し、まちづくりについて若手と議論を始めました。並行して幹部職員にもまちづくりの議論を実践し、こうした積み重ねによって、役場職員がまちづくりに主体的に参加してプランをまとめ、事業計画を取りまとめていきました。
URが「町に寄り添って議論する姿勢」を見せられたことが、信頼につながったと感じています。
福島の復興まちづくりで特に重要であったこと
福島県の原発被災地では、住民の帰還人数・時期・年代構成が読めず、通常の都市開発の前提が成立しなかったため、
- 骨格インフラ(幹線道路・基盤施設)以外は固定しない。
- 変化に応じて可変性を持たせる。
- 余白を設けて計画をつくり込みすぎない。
など、これまでにない手法についての対応に現場レベルで苦労しました。
また、原発被災地では建物と基盤整備の同時並行的な対応が必要となり、また、福祉政策も含めて幅広く対応することが求められました。
特に苦労したこと
福島県では、(いわきニュータウンの開発をしていましたが、他地域での)URの事業実績がよく知られてなかったため、当初は役割を理解していただくことに苦慮しました。
そこから、各町の方々と様々な意見交換と提案を重ね、まちの未来に向けて何が必要なのかを共通目標として持てたことで、信頼感を得ることができました。大熊町と双葉町に出向でなく、UR職員を週に2日ほど常駐させて、何かあればすぐに対応できる体制を整えたことも(各町との)信頼関係の構築に大きく役立ったと思います。
東日本大震災から15年、いま振り返る「URが果たした役割」
岩手県・宮城県の津波被災地で復興支援に携わり、さらに福島県の初期支援にも関わったUR都市機構 本社・災害対応支援部 佐光清伸部長に、「なぜURが必要とされたのか」「復興被災地でどのような取り組みを行ったか」などについて聞いた。
URが必要とされた経緯・理由
佐光清伸部長岩手県・宮城県、そして福島県でそれぞれ復興支援を行ってきました。が、認識としては「最初から一体」でした。浪江町・双葉町・大熊町などの初期支援にも関わって、福島県の復興も「URとして何かできるはずだ」という思いを当初から持っていましたが、社会情勢や全町避難の状況もあり、(発災直後は)現場に入れず、まずは間接的な支援から始まりました。
一方で岩手県・宮城県では、津波により中心市街地が壊滅状態となり、「まちをまるごと再構築する」必要がありました。リアス海岸の街はインフラも公共施設も壊滅的な状況の中で、URのように総合的な技術力のある組織でないと復興の整備が難しいということは、国交省や有識者は認識していましたが、被災市町村側にURの存在や強みが十分知られておらず、市町村を一つ一つ回り、「URは何ができるのか」を丁寧に説明しました。
復興市街地整備にあたり印象に残っていること
最初に全面的に受託した宮城県女川町・岩手県陸前高田市の包括受託方式は、他自治体に大きなインパクトを与えました。「URにお願いすれば、発注から管理まで全部任せられる」との認識が広がり、包括受託方式が広がる転機となったのではと考えております。
また、UR内部では「どんなまちをつくるべきか」についても議論が重ねられ、高台造成はゼロからまちをつくることができる環境で、生活道路にコモンスペースを入れる提案などもしましたが、復興では「スピードが最優先」のため、公共団体からは提案を受け入れられないこともありました。結局、多くの公共団体では国交省の直轄調査を基にした「プロトタイプの土地利用計画」が多く議論されていた印象です。復興すべき市街地の規模についても、人口減少や避難状況を踏まえて慎重に議論されていました。
宮城県女川町「運動公園住宅」 写真撮影沖裕之(Blue Hours)
岩手県陸前高田市今泉地区津波被災地域の復興計画及び災害公営住宅整備で直面した課題
災害公営住宅では「何戸必要か」というボリュームを把握するのに苦労しました。自治体は多忙のため、何度も住民意向を調査するのを避けたがっていましたが、造成規模や建設戸数に直結するため、URが粘り強く繰り返し提案し、意向調査の重要性を理解してもらい、地区によっては複数回実施することができました。
災害公営住宅の構造については、URが得意としていることもあり、戸数の多いところは鉄筋コンクリート造としました。戸建木造は、地域協議会等が主に建設し、URは地域の要望により、発注者支援などを行いました。仏壇の置き場をどうするかという議論まで出てきて、間取りの基本パターンが決まらず、時間を要したという話も聞きました。
「大槌町大ケ口一丁目町営住宅」(木造)
「花露辺復興住宅」(RC造)岩手県・宮城県と福島県や他の被災地とのまちづくりの違いとは
宮城県の被災規模は非常に大きく、UR内部でも「どの地区であれば最大の効果を発揮できるか」を議論した結果、三陸地方のリアス海岸の中心市街地に絞って取り組み、岩手県が比較的広範に支援に入ったのに対し、宮城県は戦略的に絞り込んだ形となりました。
福島県については、津波被害に加え広範な避難区域が生じ、まちづくりの前提が全く異なっており、社会情勢の制約が大きいため、最初から現場で作業できるわけではありませんでした。「県ごとの事情の違い」は非常に大きく、何を優先するかによっても変わってくるため、自治体の事情を丁寧に把握し、それに合わせた多様なメニューを提供することが重要でした。
ただ、福島県の中でも、いわき市の薄磯・豊間地区などは、基本的には岩手県・宮城県の津波被災地と復興まちづくりの考え方が非常に似ており、どのように津波を防ぐか、高台をどこにどう整備するか、どのように住民を誘導するかという点については、岩手県・宮城県と悩みは同じでした。
福島県いわき市薄磯地区 交流多目的広場・防災緑地
福島県いわき市豊間地区 北側平場岩手県と宮城県の違いの一番の特徴は、津波防災の整備方針において大きく違いました。具体的には、河川護岸の考え方が異なっていることです。岩手県は防潮堤を整備したうえで、河口は、水門により津波の遡上を防ぐという考え方をとっておりました。したがって、河川堤防の嵩上げは行わず、市街地の盛土をあまりしていないことが市街地の復興のスピードに大きく寄与した反面、岩手県の復興市街地は海がほとんど見えない状況となっています。
一方で、宮城県は防潮堤については岩手県と同様ですが、防潮堤と同じ高さで上流まで嵩上げを行う(「バック堤」と呼ばれておりました)という考え方となっています。河川堤防の嵩上げにより市街地が窪地となるため、内水排除のために市街地の嵩上げを多くの地区で行いました。これにより、工事ボリュームが大きくなる反面、市街地からは海が望める状況となっています。お互いに善し悪しがありますが、県の方針による違いが生じたためであり、どちらが良い悪いではないと思います。
岩手県上閉伊郡大槌町
宮城県南三陸町特に苦労したこと
私としては、支援した地方公共団体と同様に、やむを得ずURとして支援できなかった地区のことも鮮明に記憶に残っています。初期に担当した宮城県下の地区では、津波で甚大な被害を受けた地域で、住民説明会では行政と住民の意見が食い違う状況が続きました。URとしては、できる限りの対応を続けてきましたが、行政側との意見の相違により、最終的には支援を行わない判断となりました。その他の地区におきましても、支援を辞退した際に厳しい言葉を投げかけられた公共団体もありました。当時としてはやむを得ない判断だったと思いますが、公共団体との意思疎通・情報交換の仕方など、反省すべき点が多々あったことも事実です。
私は、復興支援事業初期段階に関わった後に、事業終盤にもいくつかの事務所で支援業務に従事することができました。当初は、地方公共団体関係者とうまく話が出来ず、必ずしも良好な関係を築くことができなかったところもありましたが、2度目の赴任では、各公共団体職員や住民と非常に良好な関係を築けてきたことに、深く感銘を受けました。長い時間の経過の中で、URや関係会社職員が一丸となって、地元を支えてきた成果であると思います。
東日本大震災復興祈念関連イベント等の情報
- 2026年2月2日~3月24日 令和7年度震災復興企画展、会場:URまちとくらしのミュージアム(東京都北区赤羽台)
- 2026年3月11日 各地で令和7年度 3.11 追悼復興祈念式典(予定) 等
- 2026年1月16日~2月5日 フォトコンテストパネル展、会場:いわき・ら・ら・ミュウ(福島・いわき市)
- 2026年2月17日~3月2日 フォトコンテストパネル展、会場:道の駅なみえ(福島・浪江町)(予定)
- 2026年3月3日~3月19日 フォトコンテストパネル展、会場:東日本大震災・原子力災害伝承館(福島・双葉町)(予定)





