四谷の歴史
四谷の歴史
下は再開発事業区域の江戸時代の地図になります。主要な道路は現代と変わらず、しっかり整備されています。
江戸以前には一帯はすすき原だったようです。
四谷塩町のくらし~人別書による~
- 江戸時代の戸籍~人別書(1857~1870)が 複数年現存する唯一のまち(塩町一丁目)
- 人口はピーク時790名、戸数は199戸
- 6,7割は店借(店子)
- 平均世帯人数3.96人
- 土地密度は19.65坪/戸、普通の町人中心
- 職人33% 商人30% 日雇24%
- 特徴は、商人は衣食生活関係のバランスが取れた構成。職人は大工のほか弓師、鎗師など武具関係
出展:赤澤春彦著「人別書上に見る幕末期の四谷塩町一丁目」より
四谷塩町の街並みの再現
出展:米山勇作「CGによる四谷塩町街並み再現の試み」より
歴史の記憶「シイの木」
幹周りが3.6mあり、樹齢は350年前後と鑑定。
シイの木は、元は本塩町の雪印メグミルク本社前にあり、江戸時代には柳沢吉保の父、安忠の屋敷付近にあったと言われています。(出典:新宿区ホームページ)坂町に通じる脇道は「椎木横丁」と呼ばれていました。
平成8年(1996年)外堀通りの道路拡張工事に伴い明治公園に移植されました。
昭和59年(1984年)新宿区の天然記念物に指定されました。