街に、ルネッサンス UR都市機構

多摩よこやまの道

赤駒を山野に放し捕りかにて、多摩の横山徒歩ゆか遺らむ 万葉集

「よこやまの道」は、万葉集において多摩の横山と詠われた多摩丘陵の尾根部に位置し、「多摩の自然と歴史にふれあう道」を基本テーマに整備が進められてきました。
既存の山路や尾根沿いに残された自然や緑を積極的に活かしながら、樹林内の散策路や休憩広場、多摩市域を一望できる展望広場等が整備され多摩丘陵や多摩ニュータウンの風景とともに、四季折々の自然に親しみ地域に残る史跡や伝説の歴史文化にふれあうことのできる全長約10kmの遊歩道です。

よこやまの道の由来

「赤駒(あかごま)を山野(やまの)に放(はが)し捕りかにて 多摩の横山徒歩(かし)ゆか遺(ゆ)らむ」万葉集(巻二十・四四一七)豊島郡の上丁(かみつよろぼ)椋椅部(くらはしべ)荒虫が妻 宇遅部(うじべ)黒女(くろめ)

この万葉集は「赤駒を山野の中に放牧して捕らえられず、夫に多摩の横山を歩かせてしまうのだろうか」という防人の妻の心づくしの歌です。
東国から遠く北九州で国防の兵役につく防人は、再び故郷の土を踏むことはほとんどありませんでした。武蔵野を眺望できる横山の尾根道で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだ防人の姿が浮かんできます。
『よこやまの道』はこの万葉集の[横山]から名づけました。

出展:講談社「萬葉集 - 全訳注 原文付 -」

歴史文化の道~多摩ニュータウンの尾根筋~

「よこやまの道」の位置する尾根筋は、古代より武蔵野と相模野の双方を眺められる高台として、また西国と東国を結ぶさまざまな交通の要衝として活用されてきました。
この尾根筋には、鎌倉古道(鎌倉街道早ノ道、鎌倉街道上ノ道、(仮称)軍事戦略鎌倉道)や奥州古道、奥州廃道、古代の東海道、などの重要な歴史街道(古街道)が縦走、横断し、その痕跡やさまざまな伝説等が語り継がれています。
古代から中世~江戸時代にわたって政治、軍事、文化、産業、社寺・霊地参詣などを目的として、東国-西国間の交易を行なう商人や鎌倉武士団、諸国霊場を行脚する巡礼者や都の貴人、新選組が行き来したと推測され、歴史とロマンを感じることのできる道となっています。

よこやまの道ルート

よこやまの道パンフレット表
よこやまの道パンフレット裏

よこやまの道サインマップ

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