事業経緯
事業の経緯
長岡市中心市街地の特徴
中心市街地は、長岡駅から信濃川に向かう途中の「大手通り」などのメインストリートの周辺地域で、交通・行政・金融・産業など多様な都市機能が集約し、市内外から多くの人が集まります。
再開発前の中心市街地
昭和時代は文化・流行の発信地として、多くの人でごった返すほどの賑わいでしたが、信濃川の対岸に大型商業施設やシネマコンプレックスなどができたことなどにより、人の流れが少なくなり、老舗百貨店が閉店するなど、徐々に賑わいがなくなっていきました。そこで長岡市は中心市街地に人の流れを取り戻そうと、30年近く前からまちなかに人の流れを生む取組を行ってきました。
長岡市が取組んできた市街地再生
長岡市は約30年前から市街地再生事業を進めてきており、公共施設を中心市街地に分散配置して人の流れをつくる「まちなか型公共サービス」を進めてきました。この中で整備された市役所やアリーナが入る交流施設「アオーレ長岡」の整備や子育て支援の拠点が入る「フェニックス大手」など4つの再開発事業はURが関わる以前に完了しています。
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シティホールプラザ「アオーレ長岡」
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長岡震災アーカイブセンター「きおくみらい」と
「まちなかキャンパス長岡」が入るフェニックス大手イースト -
子育ての駅「ちび っこ広場」が入るフェニックス大手ウエスト
長岡市とURの取組み
長岡市の発展を支えてきたURの足跡
長岡市との歩み
URの前身の一つである地域振興整備公団が昭和50年7月に新潟県及び長岡市から長岡ニュータウンの開発を要請され、およそ30年の間に市内西部の丘陵地で約440haの宅地や工業・流通業務用地を整備してきました。
中越地震以降は、長岡市が進める「まちなか型公共サービス」を支援するため、まちづくり計画策定の支援や、新市庁舎(「アオーレ長岡」)の設計コンペの支援に取り組んできました。
長岡市大手通坂之上町地区の開発
URが長岡市から要請を受けた経緯
長岡市では「アオーレ長岡」の整備や「フェニックス大手」など4つの再開発事業が行われてきました。
これまでの再開発事業はいずれも関係者による「組合施行」や「個人施行」でしたが、大手通坂之上町地区は、閉店した百貨店跡地の活用や関係者が個人、金融機関を含む民間企業、行政と多岐にわたり、事業規模も大きいことから、URが要請を受けて百貨店跡地を取得し、市街地再開発事業を推進することとなりました。
事業の経緯
平成10年8月 |
大手通表町地区 再開発準備組合設立(大和長岡店を核として検討) |
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平成21年10月 |
大和長岡店撤退表明(→平成22年4月 閉店) |
平成21年11月 |
大手通表町西地区市街地再開発準備組合設立(ながおか町口御門) |
平成24年10月 |
大手通表町東地区市街地再開発準備組合設立 |
平成26年5月 |
長岡市からURへ、土地の取得及び東地区の機構施行の要請文受領 |
平成26年10月 |
URが土地取得 |
平成28年6月 |
北越銀行(現・第四北越銀行)を含めた事業化検討開始 |
平成29年3月 |
北越銀行(現・第四北越銀行)の準組加入、準組名称の変更「大手通坂之上町地区市街地再開発準備組合」 |
平成30年3月 |
準備組合からURへ、再開発事業の施行要請 |
平成30年4月 |
UR長岡都市再生事務所開設、準備組合から地権者協議会(URが事務局)へ改組 |
平成30年7月 |
都市計画決定(市街地再開発事業、高度利用地区、地区整備計画) |
平成31年3月 |
事業計画認可 |
令和元年12月 |
権利変換計画認可 |
令和2年5月 |
明渡し、除却工事着手(A-1、A-2、C街区) |
令和3年 |
建設工事着手 |