まちづくりの経緯
まちづくりの経緯
「広島二葉の里地区」は広島駅新幹線口の北側に隣接し、豊かな緑と歴史背景を有した地区であり、「広島の顔にふさわしい玄関づくり」、「広域ブロックの発展を牽引する未来創造拠点づくり」、「歴史と風景を大切にした街並みづくり」を目指してまちづくりが進められています。当地区では、平成22年度より土地区画整理事業(13.8ha)による基盤整備が、平成23年度より広域交通結節点としての機能強化のために関連公共施設整備事業(広島駅自由通路、新幹線口ペデストリアンデッキ、新幹線口広場)が実施されています。
年月日 | 内容 |
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平成15年7月 | 都市再生緊急整備地域を指定する政令が公布 広島市の『広島駅周辺地域』が指定 ※都市再生緊急整備地域 都市再生の拠点として、都市開発事業等を通じて緊急かつ重点的に市街地の整備を推進すべき地域として、政令で指定する地域です。 都市再生緊急整備地域においては、土地利用規制の緩和や、都市計画の提案、事業認可等の手続期間の短縮、民間プロジェクトに対する金融支援や税制措置を受けるための国土交通大臣の認定等の特別な措置を受けることが出来ます。 都市再生緊急整備地域区域図 |
平成18年10月 | 「二葉の里三丁目地区まちづくり推進協議会」設立(中国財務局・広島県・広島市・西日本旅客鉄道株式会社) |
平成19年6月 | 「二葉の里三丁目地区におけるまちづくり及び土地利用に関する基本方針」公表 |
平成20年3月 | 「二葉の里地区まちづくり基本計画」公表 |
平成21年5月 | 「二葉の里地区の整備に関する基本協定」締結(中国財務局・広島県・広島市・西日本旅客鉄道株式会社・UR都市機構) 事業要請(広島県・広島市⇒UR都市機構) 「二葉の里三丁目地区まちづくり推進協議会」に、UR都市機構を加え、「二葉の里地区まちづくり推進協議会」に名称変更(中国財務局・広島県・広島市・西日本旅客鉄道株式会社・UR都市機構) |
平成21年12月 | 「広島駅新幹線口周辺地区における用途地域及び容積率の見直し等の都市計画に関する運用方針」公表(広島市) |
平成22年1月 | 都市計画決定(土地区画整理事業の決定・二葉の里土地区画整理事業)地区計画決定(広島駅新幹線口周辺地区) |
平成22年7月 | 二葉の里土地区画整理事業の事業計画認可 「広島駅新幹線口エリアマネジメント推進調整会議」設立(中国財務局・広島県・広島市・西日本旅客鉄道株式会社・UR都市機構) |
平成22年12月 | 二葉の里土地区画整理事業の起工式 |
平成23年2月 | 「二葉の里地区まちづくりガイドライン」、「二葉の里地区2街区ガイドライン」公表(広島駅新幹線口エリアマネジメント推進調整会議) |
平成23年12月 | 関連公共施設に関する基本協定締結(広島市・UR都市機構・西日本旅客鉄道株式会社) |
平成24年5月 | 広島駅自由通路(関連公共施設)の安全祈願祭 |
平成24年10月 | イズミ新本社新築工事の起工式(2街区保留地) |
平成24年12月 | 中国財務省が二葉の里国有地のうち3街区の一部を広島県に譲渡 (地域医療総合支援センター(仮称)・高精度放射線治療センター(仮称)合築施設用地として) |
平成25年6月 | 中国財務局が二葉の里地区国有地(1~3街区の一部)の一般競争入札(期日入札)を実施 |
平成25年10月 | イズミ新本社新築工事の竣工式(2街区保留地) |
平成25年11月 | 中国財務局が二葉の里地区国有地(5街区西側)の二段階一般競争入札を公示 |
平成26年2月 | 新幹線口ペデストリアンデッキ(関連公共施設)の着工 |
平成26年3月 | |
二葉の里土地区画整理事業の換地処分公告 | |
平成26年5月 | 中国財務局が二葉の里地区国有地(5街区西側)の2段階一般競争入札を実施 |
平成26年11月 | JR広島駅構内の新跨線橋が供用開始 |
平成27年4月 | |
平成27年10月 | 広島がん高精度放射線治療センターが運営開始(3街区) |
平成28年1月 | 広島鉄道病院の新病院が開院(4街区) |
平成28年3月 | 広島駅新幹線口ペデストリアンデッキ(西側)が供用開始 |
平成28年10月 | 広島駅新幹線口ペデストリアンデッキが全面供用開始 |
平成28年11月 | (株)エネルギア・コミュニケーションズのEneWings広島データセンターが開所(5街区) |
平成29年9月 | 新幹線口広場の再整備が完了 |
平成29年10月 | 広島駅自由通路が全面供用開始 広島市・JR西日本・URの共催で「広島駅自由通路・橋上駅舎・新幹線口ペデストリアンデッキ・新幹線口広場完成記念式典」を開催 |
二葉の里地区まちづくり推進協議会とは
広島市東区二葉の里地区に所在する国有地等の有効活用を図るとともに、当地区の望ましい市街地整備を円滑に進めることを目的に設置し、まちづくり基本計画の策定及び同計画の具体化等について協議・調整する協議会です。
協議会構成員
構成員 | 役職名 |
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財務省 | 中国財務局 管財部長 |
広島県 | 地域政策局長 |
広島市 | 都市整備局長 |
西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本) | 創造本部 えき・まち創造グループ部長 |
独立行政法人都市再生機構 西日本支社(UR都市機構) | 都市再生業務部長 |
関連情報
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- 二葉の里三丁目地区におけるまちづくり及び土地利用に関する基本方針(平成19年6月)(3.4MB) [3441KB]
- 二葉の里地区まちづくり基本計画(平成20年3月)(1.9MB) [1949KB]
- 広島駅新幹線口周辺地区 地区計画(平成28年8月最終変更)(920KB) [923KB]
- 広島駅新幹線口周辺地区における用途地域及び容積率の見直し等の都市計画に関する運用方針(平成21年12月)(964KB) [962KB]
- 二葉の里地区及び広島駅自由通路等の整備に関する合意(平成21年5月)(1.5MB) [1576KB]
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二葉の里地区の歴史
二葉の里地区の変遷
天正19(1591)年に広島城が築城され、その後二葉山の麓には、毛利輝元による妙寿寺や、第2代藩主である浅野光晃(みつあきら) による広島東照宮など、多くの寺社・仏閣が建立されています。
二葉山が広島城の鬼門に位置することより、明星院が祈祷寺と位置付けられたり、また同じく二葉山の麓に位置する鶴羽根神社が広島東部の総氏神として広く崇敬されるなど、広島城や地域と密接に係りながら歴史が育まれてきた地域です。
明治中期以降は二葉の里地区を含めた広い範囲に、東練兵場や騎兵第五連隊等軍施設が置かれていましたが、昭和20年に終戦を迎え、その後は国鉄の事務所や鉄道病院、官舎などの関連施設として利用されてきました。二葉の里地区の東側は戦後区画整理により基盤が整備され、昭和50年代以降市街化が進んでいます。
二葉の里歴史の散歩道
二葉の里歴史の散歩道は、国宝不動院金堂(東区牛田新町三丁目)から二葉山山麓を経由し、JR矢賀駅までの間の神社・仏閣など史跡を結ぶ、延長11kmの歴史・文化の散歩道です。平成14年度(2002年度)には、国土交通省の「夢街道ルネサンスモデル地区」に選定されています。
二葉の里歴史年表
広島城主 | 歴史的建造物 | その他の動向 | |||
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1200頃 | 鶴羽根神社の前身 「椎木八幡宮」創設 |
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1340 | 国前寺の前身 「暁忍寺」創設 |
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1589 | 毛利輝元 | 1589 | 広島城鍬初め | ||
1590頃 | 明星院建立 | ||||
1591 | 広島城築城 | ||||
1600 | 福島正則 | ||||
1619 | 浅野長晟 | 1620 | 縮景園作庭 | ||
1632 | 浅野光晟 | 1640 | 尾長天満宮創設 | ||
1648 | 広島東照宮建立 | ||||
1672 | 浅野綱晟 | ||||
1673 | 浅野綱長 | ||||
1708 | 浅野吉長 | ||||
1752 | 浅野宗恒 | ||||
1763 | 浅野重晟 | ||||
1799 | 浅野斉賢 | 1785頃 | 広島城下絵図 | ||
1831 | 浅野斉粛 | 1835 | 饒津神社創建 | ||
1858 | 浅野慶熾 | ||||
1858 | 浅野長訓 | ||||
1869 | 浅野長勲 | ||||
1871 | 廃藩置県 | ||||
1890 | 東練兵場建設 | ||||
1894 | 山陽鉄道 神戸-広島間開通 広島駅開設 |
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1939 | 第二次世界大戦開戦 | ||||
1945 | 原爆投下 終戦 | ||||
1966 | 二葉山平和塔 | 1975 | 山陽新幹線開通 |
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2010.7 | 二葉の里土地区画整理事業計画認可 | ||||
2014.3 | 二葉の里土地区画整理事業換地処分公告 | ||||