街に、ルネッサンス UR都市機構

街みちネット 第21回見学・交流会 「神田における地域再生への取り組み」

これまでの活動の紹介

活動議事録

講演4「神田における地域再生への取り組み」

NPO法人都市住宅とまちづくり研究会 事務局 関 真弓 氏
  • 都市住宅とまちづくり研究会(以下、としまち研)では、ここまでの話とは視点が少し違う「神田地域に住む、まちに愛着を持って住んでいく人を増やす」ということを中心に活動しております。一つの事例としてお聞きください。
としまち研ができるまで
  • としまち研の理事長である杉山が、独立して神田に事務所を開いた当時、毎月第一木曜日に「一木会」という勉強を始めましたが、今月で270回を迎えました。いろいろなテーマで講師の方をお迎えし、その都度テーマに関心を持った方に参加していただいて、継続しています。 先程千代田区のお話にもありました平成7、8年の人口が底をつくような状況の頃、勉強会の中で地元神田の参加者の方から、「夜間人口が減って、少子高齢化も進むし、町会や地域活動もだんだん弱体化してきている。まちなかに夜出るのも怖い。」というお話も聞くようになりまして、では「神田に住む人を呼び戻そう」と「『みらい』都心居住促進研究会」が発足されました。
  • その翌年に、今は「まちみらい千代田」と言いますが、「千代田まちづくりサポート」という、千代田区内でまちづくり活動を行う団体に対して助成をする事業が始まり、応募をして、まず地域に入ってアンケートやヒアリング活動をしたり、神田地域で住宅をつくっていくための事業手法を研究して、それをまた地域の皆さんに提案をする活動を続けてきました。
  • その中で、公開勉強会として地域の皆さんにも参加していただき、「神田型共同建替え方式」という名前でご提案し、4名の共同建替えのマンション建設を検討していたのですが、一度断念せざるを得ないことがありました。すると、何かまた新たに提案してもらえないかと、地元の会合を通じて探して下さっていた地権者の方からご提案をいただいて、早速提案に取り組みまして、1号のコーポラティブハウス(以下、CH)事業が実現しました。
  • 同時に、神田地域を中心に同様の事業を手掛けていくためには、継続していく組織が必要だということになり、ちょうどその2年前にできたNPO法が施行されたことから、活動目的を持って、その活動趣旨に参加して下さる方達が中心になって活動されていくという組織、NPO法人都市住宅とまちづくり研究会が設立されました。
  • その頃、私は就職活動をしていまして、偶然まちづくりサポートの2回目の公開発表会に参加していた時に、NPO立ち上げのための事務局員を募集していることを知り、参加しましたのがきっかけで、以来事務局をさせていただいています。 としまち研の活動の趣旨は、「高齢者や障がいのある人にとっても、安全で快適、かつ、個性ある都市住宅の供給と、暮らしやすい地域コミュニティの再生をめざす」ということで、この神田地域から発信していく活動を今でも続けています。
  • 活動体制は、設立からの18年間で少しずつ変わっていますが、今現在は、4つの部会体制を主にして活動しています。「コーポラティブハウス部会」は、昔は共同建替えと別々でやっていましたが、CH事業を進めていく部会。「マンション再生部会」は、昨今増えている老朽化したマンションの建替えや耐震補強、大規模修繕、管理活動などの相談を多く受けるようになりました。「人と暮らし部会」は、ハードの事業が多いとしまち研ですけれども、つくったその後どう皆さんに地域になじんで住んでいただくか、また、もともと地域に住まわれている方にも、どのようにこの地域で快適に暮らしていただくかを調査研究して、それを実践につなげていくグループ。それから、としまち研を支えていく「総務・広報部会」です。他に「災害復興まちづくり支援委員会」では、東日本大震災を契機としまして、まちづくりというものが復興支援に活かせるのではないかと、住民参加型の復興支援組織も一つとして活動しています。事務局は、最近まで4名だったのですが、現在は私を含めて2名体制です。
  • 会員は94名で、当初の経緯から都市計画のコンサルタントや建築設計など建設関係の方が多かったのですけれど、最近では様々な事業の方、マンションビル管理に関わっている方、福祉関係に関わっている方など、専門分野も幅広く参加していただいています。
  • 神田地域に住み続けている方は、厳しい時代になっても一生懸命住み続けている、高い固定資産税を払いながらも住み続けているという方がいらっしゃって、住み続けたい、この場所で商売を続けたいという希望を多くお持ちです。その地権者の方たちの希望を反映した建替えですとか、人と人、地域とのつながりをつくる住まいであるコーポラティブ方式、この2つをコラボさせ、「地域コミュニティ再生型コーポラティブハウス」と名付けたものが、としまち研の基幹的な取組みとなっています。
  • ご存知の方も多いと思いますが、コーポラティブ方式とは、ここに住みたいとか、この人たちとみんなで一緒に住もうという人たちが、自分たちの事業としてマンションを一緒に建設して住むというものです。2000年の立ち上げからこれまでに17棟ほどのCHが実現しており、この他にマンションの建替えや、共同建替え事業も幾つか手掛けています。
としまち研がコーポラティブ方式で実現したいこと
  • その中で、としまち研がコーポラティブ方式で実現したいことが4点ほどあります。 1番目は、入居時には顔見知りという安心・安全の住まいづくりです。コーポラティブ方式では先に人が集まって、皆さんで話し合いながら事業を進めていきます。コンサルタントが旗を振って進めていくのではなく、なるべく皆さんに自発的に動いていただいて、話し合いの中で司会進行を決めて進めてていただいたり、総会以外に理事会、委員会なども設けたり、イベントもなるべく主体的にやっていただくことで、皆さん自身が参加していることを認識していただけるような運営を心がけています。
  • この過程で、当然皆さん顔見知りになりますし、お互いの家族構成や、どんな考え方をする人かというところも次第にわかって来ますので、住み始める頃にはそれが安心・安全につながります。
  • 2番目は、住む人のニーズにあわせた設計です。これについても先に人が集まりますので、大体、敷地が決まっていると、建物のボリュームはそれほど大きく外れることはなく、住戸の中もその家族に合わせた住まい方ができるよう、将来のライフスタイルに合わせて設計ができます。その結果、住まいに愛着を持って住んでいただけますし、長く住み続けることにもつながっていきますので、大事にしているところです。
  • 意外と皆さん、住戸内の設計を終わって見てみたら、専有部分や住戸内だけではなく共有部分もここはちょっと使い勝手が悪いよね、デザインをこうしたいよね、などいろいろ意見が出てきます。何もかも聞いてしまうと進まなくなってしまうので、「最終決定は設計者が決めますが、皆さんの意見を聞いた上で設計者が判断します」というルールは一応設けながらも、皆さんで話し合いを繰り返して決めていくことが、後々の管理の方にも活きていくことになります。
  • 3番目は、建物の維持・管理に主体的にかかわるということです。設計の部分はもちろんですが、建物ができ上がるまでに、例えば建物の名前をみんなで決めたり、管理規約も一から勉強しながら話し合い、進めていきますので、理解しながら、自分たちが暮らしやすい住環境とコミュニティができることになります。
  • それが後々の管理にも生きていて、こちらに修繕委員会の写真がありますが、COMS HOUSEというのはとしまち研が取り組んで2002年に竣工した1棟目のCHでして、本日の見学ルートに入っていますけれども、一昨年第1次大規模修繕を行った時の写真です。その時も、皆さん建設当初のことを「こんな風に皆でやったよね」と思い出しながら委員会を重ね、としまち研としてまたお手伝いをさせていただきましたが、「コーポラティブ方式っていいね」と皆さんにも認識をしていただきました。
  • 4番目は、地域社会の一員として暮らすということです。建設過程から同じ建物の住民同士のコミュニティは当然できるけれども、地域との繋がりもやはり大事ですから、着工時に近隣へ挨拶に回ったり、挨拶だけでは堅いということで、地域交流バーベキューを行うなど、皆さんでわいわいやりながら馴染んでいくということを仕掛けてやっています。
  • 本日の見学の後半のルートとなるJR山手線のすぐ東側のエリアが、私たちの活動拠点である神田東松下町です。その歩いて10分程で回れる範囲の中で、COMS HOUSE、桜ハウス、“こはす”という3棟のCHをとしまち研でお手伝いさせていただきました。
としまち研のコーポラティブハウス
  • 簡単にご紹介します。まず1棟目の2002年に竣工したCOMS HOUSEは、元は図の様な4軒の敷地を共同化した、10階建ての建物です。今は出られた方もいますが、もともとの地権者さんがそれぞれ面積を取得しますと、余剰の床が出ますので、そこに住みたいという参加者を募集して一緒に建設をしたものです。
  • 写真は全部COMS HOUSEの同じ区画(別のフロア)のものですが、皆さんそれぞれニーズを反映させて設計すると、これだけがらりと変わります、という例です。今日の見学では中は見ることは出来ませんので、写真でご覧いただきました。
  • 2棟目の桜ハウスは、COMS HOUSEの隣の街区にありまして、もともとここにお住まいだった息子さんが1棟目のCOMS HOUSEの事業に参加していて、実家も建替えないといけないという時に、古い建物が売りに出ていたので一緒に共同化して何か事業ができないかと計画、実現したものです。
  • COMS HOUSEは56~66m2の区画で、ファミリーが住むにはちょっと手狭だという声を聞いていたので、桜ハウスは基本64m2と72m2というプランにして、その壁の位置を変えることで80m2ぐらいにしたいというニーズも、建設前なので可能であったり、あとは神田のまちに緑を増やしたいということで、植栽なども意識して検討しました。
  • 先ほどと同じく上下の写真は同じ区画のものですが、やはりそれぞれの思いによって、住戸内は全然違います。もとあった地権者さんのお家から建具をいただいて再利用している所もあります。
  • 3棟目の“こはす”は、震災の後の2012年に竣工した建物です。ここも様々な試みをやっていまして、共用部のエントランスの変更もしています。プランがコの字型になっていて、現地に行かれると良く分かりますが、間に2階建ての古い木造家屋が建っていいます。必ず「ここはどうして一緒にしなかったんですか」と聞かれるのですが、お話は何回もしました。杉山が何度も「どうですか、一緒にやりませんか」とご提案したのですが、当時80代のおばあさんが1人で暮らされていて、そのお子さん達が、ここでずっとそのまま暮らし上げさせたいということで、この様なコの字型になりました。
  • 2棟をブリッジでつないだプランで、左側は約78m2、右側が約40m2ですが、40m2だとどうしても1人暮らしが想定され、9戸集まるのかという問題があったので、上下2層のメゾネット住戸にして80m2にする事も可能という参加の保証の仕方をしました。 現在は、メゾネット住戸型が2戸、単身の方が5戸住まわれていまして、いろんな家族構成の方が住んでいるコーポラティブハウスになっています。
  • 3棟を高い所から眺めると、こんな近距離にあります。
東松下町3棟のコーポラティブハウスの効果
  • 3棟のCHができる前、町内には100人住んでいるかどうかという程度の人口でしたが、わずかですが少し人口が増えるという効果はあったということと、その中でも若い世代、ファミリー世帯が増えたことは町内に大きな影響を与えていると思います。 私たちがCHで募集をする時には、地域活動に参加することを条件にしていますので、積極的に行事に参加していただいています。決して義務感ではなく、それが必要なことだと認識して下さる方に参加していただいています。今では、町会の役員の多くをCHの居住者に担っていただいています。
  • 入居者同士の交流にはいろいろな形があって、総会だけでなく、お食事会を開いたり、東日本大震災の後は防災の意識がかなり強かったので防災館で体験イベントを行ったり、花壇の手入れを皆で行なったりしています。地域との交流という意味では、先程お話ししましたが地域の方もお招きして、建設中のバーベキューパーティーや、竣工パーティーを行いました。町会の側でも人が増えてきたので、ウェルカムパーティーを青年部主催でやって下さったり、CHの取組みを振り返る入居者の座談会を開催させていただいたり、CH同士の繋がり、地域との繋がりのために、地域の分譲マンションの方もお招きして様々なイベントを開催したりしています。
  • あるとき泥棒に入られたCHの情報を聞いたので、防犯対策をみんなで考えようという事になり、またバーベキューを行いました。情報交流会は今もいろいろな形で開催しています。
  • “こはす”ができてしばらく後に、町会の方から「ここ数年子供の声がまちなかに響くようになったよね」と言われるようになりました。若い世代が増えたことで子供が増えましたが、子供の遊ぶ場所がありませんでした。町内には小学校の跡地があり、再開発計画がありましたが、しばらく進んでいなかったので、そこを開放してもらって、遊び場やイベント広場として利用する事になりました。お餅つきや夏休みのラジオ体操といった町会のイベントは、それまで子どもがいなかったので長らくありませんでしたが、35年ぶりに復活しました。そんな出来事が、町会の中でも出てくるようになりました。
地域コミュニティの再生へ
  • こちらは神田祭りの様子です。2013年に子供が増えたから写真を撮ってみようと、また子供の半纏なども作ったので、集合写真を撮影しました。以後、2年に1回の神田祭りの度に集合写真を撮っていますが、増えているのが分かります。はじめが100人ぐらい、2015年で140人、昨年はもう多すぎて数えてくれなくなりました。
再開発による新しい住民の迎え入れに向けて
  • 先程、小学校跡地を解放してもらった話をしましたが、いよいよ再開発計画が動き出すことになりました。区営住宅棟と民間住宅棟の2棟建つことになり、合わせて407戸の住宅ができることになりました。その時点で町会の人数は150~160だったので、一気に3~4倍に増えることになり、町内からは「黒船がやってくるぞ」という声が聞こえてきました。その人数を町会でどうやって迎え入れられるかということも含めて、迎え入れる体制を作ろうという方向で前向きに検討して発足したのが「コミュニティ委員会」です。
  • 活動の細かい点はいろいろとありますが、千代田区の課長さんにも来ていただいて、何回も説明をしていただいたり、町会としての要望、また逆に町会としての受け入れ体制、町会費の考え方、そういった話し合いを2年ぐらいかけて進めました。
  • 要望するだけではなくて、町会側のアピールも必要だということを重視して、青年部を中心にホームページを開設(まだ整っていないのですが)したり、人が増えることを意識したイベントの運営などをしていく形になりました。
  • その間に、区営住宅棟の下に地域交流スペースができて、そこを活用して何か地域のためにやりたいという思いもあるので、どんなニーズがあるか、どういうことが可能かを実験的にやってみたりしています。
  • 去年の2月から区営住宅棟の入居が始まりました。こちらは129世帯のうち高齢者の賃貸住宅(高優賃)が30戸、その上階は区営住宅です。入居説明会のときに町会のPRをさせていただき、「町会はこんないいところですよ」というお誘いのお手紙も何度か全戸に配布させていただきました。一番大きいのは町会イベントへのお誘いです。ちょうどお祭りのタイミングもありましたし、夏のラジオ体操や秋まつりもやりました。餅つき大会も毎年やっています。イベントの度にポスターを作っていますが、町会の方のご提案で「東松下町のことや町会に関するご質問、ご相談もお気軽にお声かけください」と一言入れておいて全戸配布し、イベントのときに受付を行うようにすると、そのときに町会への加入のご相談を受けたり、町会の紹介をする機会となります。実際、「こういうイベントにぜひ参加したいので加入させてください」と入会の手続をして参加していただく事もあり、129世帯中58とまだ半分には届いていませんけれども、今じわじわと増えて来ているという状況です。
  • 1階にある地域交流スペースでは、町内の歯医者さんに歯の健康の話をしていただいたり、またこの春には防災イベントなども企画しているところです。
としまち研のその他の取り組み
  • ここまでの話の様に、としまち研では住まいづくりを通してまちを元気にしていくという活動をしていますが、一昨年たまたま須田町2丁目という秋葉原に近い方の隣の町会で残っていた「海老原商店」看板建築がありまして、このエリアはもっと残っていたのですけれども、なかなか保存が難しいということでどんどん取り壊されている中で、一生懸命保存をされていたところで、改修を行うのを、ちょうどとしまち研の会員の設計士さんがかかわっているというので、それならば地域に開いたスペースにできないかということも含めて、としまち研でお手伝い、というよりは、参加させていただくことになりました。
  • ちょうど「千代田まちづくりサポート」の普請部門(世田谷区や横浜市では実績のある、一般財団法人民間都市開発推進機構による「住民参加型まちづくりファンド」への資金拠出制度を活用し設けられた部門)のハード整備事業に対する助成の1回目があり、これは申し込まなければと活用させていただいて、取組みました。
  • 先ほどの橘さんのお話に度々登場していた千代田区の小藤田さんという方に、最初としまち研が関わると言ったら、壊すのではととられてしまったのですが、保存活用を考えている事を伝えたところ、歴史を教えていただいたり、活用のアイディアなどいろいろアドバイスをいただいています。 保存改修は無事終わりまして、去年から1年かけて、どう活用できそうかといろいろなイベントをやっています。としまち研ではメールマガジンを毎週配信させていただいていますが、その中でも折に触れイベントのご案内もさせていただいていますので、是非ご覧いただきたいと思います。
  • 神田のまちにこんな空間があるのかという、本当に一足入った瞬間に異次元にいる様な、浦島太郎状態になれる、本当にゆったりと時間が流れているような空間で、もっと地域で活用できたらなというのと、この存在価値を地域の方たちに認めてもらってこそ、初めて保存していけるものではないかと考えています。応援して下さる方もどんどん増やしていきたいので、ご興味のある方は是非後でお声かけいただければと思います。
  • 先ほど復興支援のことについて触れましたが、としまち研では、東日本大震災復興として、JR仙石線の東岩本駅というところにある東松島市の集団移転のお手伝いをさせていただきました。写真の奥が海で手前は津波でごっそりなくなってしまった地域でして、3年と少し関わらせていただき、住民主体の新しいまちづくりを行っています。東松島市の場合は、どこから移転してきてもいいですよということでしたので、いろいろな地域から580世帯集まってきて新しいまちをつくる計画でしたので、としまち研のコーポラティブ方式で培ってきたノウハウが活かせるだろうとPRしていたところ、東松島市とご縁ができて、取組ませていただくことになりました。
  • その取組みをまとめた本を作っておりまして、出版協力金という形で2,000円で頒布させていただいていますので、こちらもご興味がおありの方はお声がけいただければと思います。
  • このように復興支援だけではなく、コーポラティブ方式が、神田地域でも、密集市街地でも、またはマンションの再生といった部分でも、住む人が主役となり主導して行っていくということがとても大事だと考えています。そういった取組みがありましたら、是非としまち研にお声がけいただければと思います。 以上でお話を終わりにさせていただきます。ありがとうございました。

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