街に、ルネッサンス UR都市機構

街みちネット 第19回見学・交流会 「歴史ある家と街並み、暮らしの文化の継承・保全活用に向けた取組み」

これまでの活動の紹介

活動議事録

講演2「歴史ある家と街並み、暮らしの文化の継承・保全活用に向けた取組み」

椎原 晶子 氏(NPO法人たいとう歴史都市研究会)
  • 本日は、「歴史ある家と街並み、暮らしの文化の継承・保全活用に向けた取組み」についてという事で、まちの魅力の再発見、人とのつながりから行われてきたことをご紹介させていただきます。台東区から防災まちづくりについてご紹介いただいておりますので、私の方からは谷中地区まちづくり協議会の皆様、谷中の皆様、あるいは有志として谷中に関わってこられた方々の活動の部分から谷中のまちづくりを紹介してまいりたいと思います。今日はまちづくり協議会の皆様もいらしておりますが、勝手ながら私の方から活動をご紹介し、後ほどの意見交換会で直接のご交流をしていただければと思います。
はじめに:地域に学ぶ:第一、第二のふるさとづくり ~谷中地区を例に~
  • 震災戦災を免れて古い家やお寺が連なっている谷中地区ですが、防災上から見ると危険もあることは住んでいる方々も重々承知のうえ、気を付けて暮らしている所であり、それでも古い街並みを残していこうと思われる方々がいらっしゃいます。それらを残す大事な理由は何なのか。それは、個人的な趣味や思い出もあるでしょうし、また寺町としての谷中というのもありますが、明治大正昭和と代々住み着いてきた方々がご自分のふるさととして大事に思える場所がある、というところであると思います。東京は今でこそ人口が増加しておりますけれど、ゆくゆくは東京も人口が減ってゆきます。そうした中でどんなに町が変わって行っても自分の町だという事を大事にしてゆきたい、その際の拠り所として古い建物やそこで引き継がれて来た暮らしがあると考えております。昨今、海外からも多くの方がこの地域にお見えになりますが、そうした方々が見たい交流したいものというのが、引き継がれてきた実際の日本の人々の暮らしであるという風に言われております。一人ひとりの暮らしが地域の持続的な発展につながる、その基に古い町並みや暮らしがあるかと思っております。
  • 写真は谷中の寺町を俯瞰したものです。周りの文京区・荒川区の幹線道路沿いには既に10~14階建てのビル群が並んでおりますが、江戸時代からの70を超える寺が集まっている谷中地区は、当時と変わらないお寺と境内の緑、その周りの家々がつながるゾーンになっております。「発展から取り残された町」とかつて言っていた方がいたそうですが、今では「江戸東京の暮らしを体験できる、人とつながれる町」と言われるようになりました。活発なコミュニティや芸術文化の蓄積がございますが、一方で先程のお話でも指摘されました様に老朽木造住宅が細い路地に面していて防災上の危険があります。また建替え困難と言った敷地もあり、都市としての課題となっています。
  • 地域がいいところだという事が評判となり、まとまった敷地があると大規模マンションの計画が持ち上がります。それは合法的な計画なのですけれど地域としては街並みを揃えていきたいという大きな声もありまして、景観ルールの必要もあります。昔からの細い道には風情がありますが、通過交通も多く交通安全も大きな課題になっています。
  • 谷中界隈は谷中・根津・千駄木を略して谷根千と呼ばれて、下町散歩の方も多くいらっしゃるのですけれど、住んでいる人自身がどういうところを良いと思っているのかを把握するために、アンケートを行っております。まちの人にとっては、暮らし、雰囲気、街並み、ひとつひとつの観光スポットではなく町全体が暮らし易く助け合いがあり、昔からの思い出があり、家も代々引き継いで行けるというところに価値を感じていらっしゃいます。統計で三つ以上良いところを答えていただいたアンケートでは、生活文化や自然景観というところに多くの大事にしたいという評価が集まっております。
  • 一方で歴史ある暮らしや街並みのもとになっている歴史的な建物、文化資源というものは、実際には基盤未整備地区の老朽木造住宅の多い地区という位置づけの中にありまして、実際に防災上の危険を抱えております。それらを守る法制度も昨今ではいろいろなものが出来ておりますが、バラバラに古いもの、細い路地がありますよと言うだけでは価値が見いだせません。そこを政策的にも応援していただくようにするためには総合的な歴史的風致といった価値づけや制度的な位置付けが、やはり必要なのではないかと考えております。
  • 谷中地区を評価するいくつかの位置づけがあります。美しい日本の歴史的風土100選に「上野公園、寛永寺と谷中の街並み」が平成19年に選ばれておりますし、台東区の景観計画では上野公園の周辺の景観形成特別地区と並んで谷中地区は景観育成地区になっております。そうした評価がある一方で、登録文化財、指定文化財といった制度的に指定を受けたもの以外は、なかなか歴史文化資産を守り活かす政策や体制は少ないという状況です。こうした指定で正式に守られるまでは壊れてもしょうがないという事では、町の方が大事にしたいものが残りません。しっかりした制度ができるまでの間にも町の方々が自分たちの手で磨けば光ると思ってやってみて、そこにそれがいいねと思って人が集まる。今日も谷中地区町会連合会長の野池様をはじめ、まちづくりに必死に取り組んでこられた方々もお見えになっていらっしゃいますが、自分たちで自分たちの町を守りたい、やってみたい、と実際にやっている方々の周りに自発的に一緒に動いて下さる方が集まっているという事例をご紹介します。
第1段階:Evaluation まずは価値観の変換から
  • バブル期の前後、古いものがだんだん壊れ失われていく頃に、自分たちの町の文化を掘り起こそうという事で1984年から大円寺にて谷中菊まつりが行われています。同時に「谷中・根津・千駄木」という地域雑誌が創刊され、地域の文化を掘り起こすコミュニティ雑誌の草分けとして、またこの地域が「谷根千」としてよく知られていく基になっております。地域の職人さんたちにもご協力いただいています。こちらに写ってらっしゃるのが谷中地区町会連合会長の野池さんですが、「町が元気でないと自分たちも生きていけない、町づくりとは花に水をやるようなものだ、自分たちで毎日毎日水をやって綺麗な花が咲けばいいじゃないか。」という事ではじめられ、現在に繋がっています。そして若い世代にも応援を続けて頂き、町全体に様々な活動が広がっていきました。
第2段階:Action 波紋を広げる:まちに学んでまちに還す「谷中学校」のとりくみ
  • 1989年、当時谷中地区に学んだ大学生や地域の方々と一緒に、私どもが「谷中学校」というまちづくりグループをつくりました。そこでは町を再発見する活動(体験型学習、芸工展)、町に提案する活動(歴史的建物の保全活用、まちなみデザインアドバイス)、それからまちをとりつぐ活動(路上パーティー)といった地域をつなぐ活動を重ねて参りました。その中で銭湯の再生や地域共生型のマンションの提案なども行って参りました。
  • 色々な活動の中に、1993年から始まり現在まで続いている谷中芸工展という活動があります。当時の町はひっそりした寺町で、町の方からはこの町にはそんなに何も活動はないよという声を伺ったのですが、古い家に限らず実際に町の中に住んでいらっしゃる方には、伝統工芸士さんやアーテイストの方、植木をきれいに育てている方、様々な工夫をしていらっしゃる方が多くいらっしゃいました。年に1週間くらい、まちで物作りをしている方を訪ねて交流する企画を始めました。もう24年ほど続いておりますが、ギャラリーに飾るものだけでなく、手焼きのせんべいや大工さんの技なども紹介してきました。そうした中で空き家になっていたところに美大生が作品を飾り、その後持ち主がその家をずっと使っていこうと喫茶店にされたり、若い方が自分たちで自分の店を独立して出そうという気運がだんだん高まってきました。結果としてこの24年間でギャラリー・工房・カフェなど60軒以上が増えてきております。個人個人が自分の力で地域との関わりを発信し、手作り文化のある町谷中というイメージが強まってまいりました。若い方だけでなく長年横丁に工房を構える伝統工芸士さんが表にお店を出すなど、長く住んでいる方の活躍も多くなっております。
  • そうした谷中は物作りの町という気運が高まり沢山の人が訪れるようになる一方で、歴史的な建物の減少は着実に進んでおります。1986年と2001年に、東京芸大の有志が谷中地区の戦前の住まい、伝統的建物がどのくらい残っているかという調査をいたしました。1986年には537件あった戦前の住まいは2001年には369件となり、15年間で約30%減っておりました。原因は相続などに伴う土地の分割などが多くなっております。いくら町が物作りでにぎわっても、個々の家の持ち主の相続対策にはなかなかお力にはなれません。この10年で私たちもただ「いいね」と言っているだけでは家は残らない、防災対策も進まないと認識し、持ち主を応援する形で実例を作りながら、空き家の古い建物を住まいやお店にし、人が自分たちもやってみようかと思える、活用できるモデルハウスとして、他にも普及していくきっかけにしようと考えました。
第3段階:Foundation(Strategy)布石を打つ:点から面への活性化
  • NPO法人たいとう歴史都市研究会は2001年から活動しております。谷中学校などの活動を受けついで、町の方々から相談があったもの、あるいはこちらからお伺いしていったものもございます。現在、直接NPOが借り受けて活用している明治大正昭和の建物が4棟あります。「市田邸」は明治の建物で屋敷型、「間間間(さんけんま)」は1階が土間で2階が住まいというモノ作りをしていた町家のスタイル、「平櫛田中邸」は彫刻家の平櫛田中先生が住まいとアトリエに使用していた大正時代の建物、「カヤバ珈琲」は榧場さんご夫妻が昭和13年から喫茶店として営んできた建物です。こうした専用住宅タイプ、町家タイプ、アトリエタイプという違う用途の建物を、それぞれの元の用途を活かしながら、一部は住まいながら活用しています。けれど完全に誰かの個人の住まいにしてしまうと他の方がその内部を体験することが出来ないので、1階部分であるとか、お店部分、アトリエ部分を公開し、古い建物をきちんと直して活用すれば、人がいることで耐震や防火も守りやすくなる事を紹介しています。
  • 地域には他にも300棟以上の古い建物があるわけですけれど、全部を私どもが保全活用できる力もございませんので、町の角にあってあの建物がなくなったら残念だねという建物に積極的にお願いして、例えばハウスメーカーがモデルハウスを作るように、古い建物も出来る限りの耐震補強や防火防災対策をしながら活用できるモデル例として、修繕活用・公開できる例を要所要所に設けております。
  • 「市田邸」の例では、10年空き家になって傷んでいたものを、大工さんに直していただき、学生たちが内部の掃除をしまして、実際に今も3名ほど学生が住んで日常の維持管理を行っております。そして1階の座敷部分は、この写真はお琴の演奏会を行っている様子ですが、他にも子育て広場であったり、演劇であったり、展覧会であったり、様々な用途で使っていただいております。続き座敷があって縁側がありお庭がある、都市部ではテレビコマーシャルでしか見ないような日本の伝統的な家ですが、実際に使っていただくことでその気持ち良さ、コミュニティの拠点としての機能を体験していただいております。
  • またもう一つの例は「カヤバ珈琲」で喫茶店です。大正時代に建った町家を昭和13年から榧場さんご夫妻が喫茶店として長年営み、町の丁度角にありますので町のランドマークとなっておりました。しかしご高齢のためお亡くなりになり、閉店したことを惜しむ声も多くございました。区の観光施設にしてもらったらいいじゃないかというお声も町会長さんたちから寄せられたのですけれど、なかなか急にぽっと空いた家を公的なものにするのは難しい事ですし、都市計画道路計画地の真上に乗っている建物ですので、長年保存する位置付けも急には難しいと考えました。そこでNPOがご遺族の方にご相談をし、町会長さん方にも応援をしていただきまして、ひとまずNPOが借り受けてこの外観とカヤバ珈琲という名前を守りながら、多くの方が訪れるサロンのようなスペースにして欲しいという事で活用する方を公募して、2009年に復活してオープンいたしました。復活後、明かりが灯って人が出入りするようになり本当にほっとしました。外観は変えませんでしたが内部は少し仕様を変えまして、明るく、常連さんも来易く、また外人の方やはじめて来た方も寄りやすい様な、谷中を訪れる人、住んでいる人が交流できる場所を目指して運営しております。
  • こうした建物は、誰が借りるかわからない状態で、持ち主がご自分で直して貸そうと思っても、4、500万~1千万円かかるとなると、経済的な面もあり、持ち主は自分の代はこのままにしておいて息子たちに考えてもらおうとなり、だいたい相続の時に空き家になり、さらには土地を更地にして分割される事になります。そこで一旦NPOが借り受けまして、中に入る人についてはちゃんと地域に馴染んで暮らして下さる方を探して、管理をしまして、持ち主の空き家管理と共に地域の拠点として普及できるようにしております。
第4段階:Motivation 自ら動くプレイヤーを増やす
  • ただ私たちのNPOも小さな団体ですので、当NPOだけでやるのでは一般的な広がりがでてきませんので、まず所有者と入居者が自分でこの家を運用しよう、自分で入る家を盛り立てようと双方が主役になるような暮らしづくりをお手伝いしようとしています。その例として今日もご案内いたしますが、昭和13年築の3件空き家になっていたお家を再生しまして、2015年の3月に「上野桜木あたり」という複合施設としてオープンしております。写真は空き家になっていた時の様子で、ブロック塀が回って草や木が生い茂っている少しさびしい状態でした。その門と塀を取り除き3棟繋がるようにしまして、傷んだところを直し、補強すべきところは補強しましてオープンしたのが2年前になります。
  • こちらはNPOが直接借り受けるかたちにはしませんで、所有者が中に入る入居者に直接賃貸借契約を結んでいただいています。しかし所有者にとっても入る人がまだ見つかってない状態で直すというのは、本当に入居するのかというリスクもありますので、先にこうした古い建物を使いたい、直したい、子育てをしたい、お店をやりたいという人の中から15人くらい、熱心な方に集まって頂きました。普段のNPOの活動をする中でそうしたことをやりたいユーザー希望者は沢山いらっしゃいます。またオーナーにもその土地建物の由来を語っていただく「家主と使いたい人をつなぐ会」を開催しました。そこで本当に借りたい人がいる事を目の当たりにしていただいた家主から、「では活用計画を提案してみて下さい」と言って頂けまして、私どもの方では、店舗と住居と事務所と貸出できるコミュニティースペースが組み合わさった複合施設を提案しました。
  • 図の青いところは住居です。上野桜木は住宅地ですので全部が商業施設になってしまうと町の人達の暮らしの空気・雰囲気が変わってしまいますので、住人としてきちんと地域の生活環境に責任を持つ人も入り、また上野桜木は山の上で店舗が減って来てお買い物が不便でしたので、日常生活を豊かにしていただける、毎日でも買いに行きたいパン屋さんですとかお塩とオリーブオイルのお店、クラフトビールのお店などに入って頂きました。
  • これは3棟の平面図と路地です。建物そのものは増築しておりませんが、庭と路地で3棟がお互いに行き来できるようにしております。空き家だった状態がこの程度にほどほど明るくなりました。3棟連携して、中庭ではどこのお店で買ったものでも一緒に食べられる形になっております。路地もみんなでパーティーが出来るような場所になりました。後ろに保育園があり、まわりが住宅地なものですから、親御さんやお年寄りが多く寄られます。また外国の方も多くお見えになっております。
  • 防災上どうかというご心配もあるかと思います。私たちも大変心配でしたので、3棟連動して鳴る自動火災報知機を導入いたしました。今、無線で3棟連動するものがありまして、住宅が留守の場合でも店舗が気付き、店舗が帰った後でも住宅の方が気付くというように3棟全体で注意ができるようにしてあります。また防災訓練や消防署を呼んでの消防訓練なども年に1度は行っております。
  • こうした活動は、単に当地域の活性化のためだけではありません。東京上野谷中は北陸や東北など沢山の地方の方が集まって住むところですから、それぞれご縁のある地域から取り寄せた産物や暮らしの文化を紹介する「みんなの実家 みんなのマルシェ」という様々な地域と人をつなぐ取組みもしています。継続的に新潟の新発田や山形の川西町、あるいは三陸の復興支援のマルシェといった地域連携も定期的に行っております。お陰様で地域活性の試みという事で2015年のグッドデザイン賞をいただいております。
  • こうした古い建物は、防災上も大変課題があるものですけれど、その日本の伝統的な風土の中に根差してきた、縁側や庭など、地域との結びつきを上手く作る舞台を上手に使っていきます。ただ外から眺めるだけでは心配なだけですけれど、入って住んでみたり使ってみると、自分でも大事に使って住んでいきたい、お店を持ちたい、子育てをしたいという方が増えていき、また地域の持続的発展につながる方が増えていくと思っております。
  • またこうした建物を使っていただくに際しては、耐震防火性能を上げていく事も大事な課題です。普通は設計・建築業者としては、建物の耐震調査をして設計施工して、出来上がったらそこで一回お仕事は終わることが多いと思います。地域NPOとしては併行して歴史的文化的価値というものも損なわれない様にしようと、地域にとっての歴史的文化的価値が何かをまず持ち主と確認する段階を行います。それから耐震防火性能を上げながらも、地域文化資源としてどの様な所を大事にしていけば、お店として住まいとして持続性が高まっていくかという事もご相談しながら、設計施工へのアドバイスをいたします。最終的に出来上がった後も賃貸部分があれば管理があります。それも建物だけの管理ではなくて、ご近所とのコミュニケーション、先程の路地でのバーベキューパーティーはご近所の方も招いて行っておりますが、地域の中でコミュニティの拠点となるような管理もしております。
  • そうして再生された伝統的な建物が今では30棟以上に増えています。行政が運営している「旧吉田屋酒店」や「朝倉彫塑館」、企業の方が借りていただいて銭湯を再生した「SCAI THE BATHHOUSE」もございますし、NPOで借りたものもございますが、様々な主体が古い建物を改修しながら再生しています。「HAGISO」は今日の懇親会の会場になっていますが、昭和30年代の木造賃貸アパートを、カフェとギャラリーとスタジオに改装し再生したもので、現代美術の展示も行っています。
第5段階:Vision 方向性を共有する
  • ここまで個々の建物の話をしてまいりましたが、台東区とまちづくり協議会とで今まちの方針を作っていらっしゃいますけれど、そのきっかけになった活動として、マンション計画の見直しがございました。これは当初9階建てになる計画だった三埼坂のマンションですが、地域共生型のマンションにという事で町の方々が力を合わせてデベロッパーと相談しまして、手前4階奥6階と当初の計画の半分くらいの高さにしていただき、かつ周りに建築協定をかけてこれより大きい建物が建たないようなルールを設けています。それに先立ち1970年代くらいから様々なまちの暮らしの不文律がありました。そうしたものを踏まえて2000年には谷中・上野桜木地区まちづくり憲章が制定され、これにもとづいて谷中地区まちづくり協議会が結成され、自分の町の未来は自分たちで考えて行こうという体制が出来上がっております。
第6段階:Sustainability 持続性ある都市へ
  • こうした動きを子供たちの世代にも引き継ごうという事で、古い建物で寺子屋プロジェクトを立ち上げたり、私どものNPOだけでなく様々な自主保育の会や、お子さん赤ちゃんたちのお母さんお父さんたちのネットワーク、荒川冒険遊び場の会といった様々なネットワークがあります。長年の活動の中でお互いの連携が大分取れてまいりました。まちづくり協議会の役員や事務局の方々にもたくさんの事を繋いでいただいております。
  • こちらが谷中地区まちづくり協議会と台東区との関係を表している図です。谷中地区には1万2千人くらいの方がお住まいですけれど、その中の谷中地区町会連合会14町会、それから池之端3・4丁目町会、下谷仏教会、谷中コミュニティ委員会、商店会等が集まってまちづくり協議会になりまして、密集地区対策部会、防災対策部会、環境部会、交通部会と部門別に地域を考える会を作っておられます。皆さま本日は沢山のいろいろな場所からいらしていると思いますが、町内会、NPO、父母会、テーマ別の様々な文化団体、それぞれの市区町村におありになると思います。そうした方々を繋ぐことによって地域のまちづくりを世代を超えて考えていける基盤ができるかなと思っています。
  • 谷中地区ではまちづくり協議会の環境部会が中心になりまして、新旧団体交流会を年に数回開いております。新旧団体交流会では、会場のHAGISOに0歳から80代の方まで皆さんお集まりになって、谷中の未来や活かしたいことを議論しております。
  • そういう活動がある中でも、一方でまとまった大地主の土地を買っていかれた方があると、だいたいは更地になって建物も住民も新しくなります。建物が変わるとともに、住人が変わることで暮らしの文化が引き継がれないという事を、多くの方が心配しております。古い建物を活かすという事は、古い住人の方もいらっしゃる中で空いた所に新しい住人が入っていただいて、暮らしの文化を引き継ぎながら次の世代が谷中で育っていくという事で、そうした仕組みを作りたいと思っております。今日は専門家の方が多いのでむしろ私どもも教えていただきたい話ですが、一つには法制度の活用で文化資源をもっと制度的にも守っていける方法を開拓したいと思っております。コミュニティはまちの人々が育てるものですが、その舞台として相応しいハードを守る法制度づくりは行政や専門家のサポートが必要です。路地や裸木造はそのままでは防災上危険ですけれど、きちんとした対策をとればある程度の安全性を向上して行けるという事を伺っております。今では既存伝統木造に適した安全対策として、まちかど消火栓のような消防水利を沢山増やしたり、防火体制や地区の消防団の活動を支援する仕組みが沢山あると伺っております。
  • また国家戦略特区の中でも古民家活用というものが後押しされております。建築基準法の適用除外ができる条例もあります。建築基準法は全国の建物にかかっているものですけれども、古い建物は今の建築基準法以前の法律に基づいて造られています。その建物にあった耐震補強や防災対策を別途施し保全活用計画を作れば建築基準法外の性能・使用でも許可ができる条例を、京都市・神戸市・横浜市に続いて鎌倉市・川越市等が施行しています。
  • 路地を活かす合法的な制度としては一団地設計あるいは三項道路というものがあります。まちづくりで活かす方法としては伝統的建造物群保存地区制度や歴史まちづくり法に基づく歴史的風致維持向上計画、景観法の景観地区などがあります。国登録有形文化財への登録や景観重要建造物、景観重要樹木に指定されますと相続税の3割減免の支援があります。古い建物であってもきちんと耐震・防火対策をすると助成される制度もあります。
  • 経済的な面ではファンドや融資、担い手支援も開拓していく必要があります。国土交通省もエリアマネジメント型のリノベーションファンドというものを作られたという話をこの前伺いました。空き家やビルを再生しやすい融資ファンドなども行われています。
  • 学生や若手ものづくりを支援する活動をエリアマネジメントの中で行ってらっしゃる地域もあると伺っています。谷中でもまちづくり会社を作って、困っている持ち主へ土地建物の管理方法をご提案し、使い方にはサブリースなどの方法もご紹介します。実際に事業として、建物の安全管理も図りながら、生活できる人、お店ができる人、かつ地域との調和を大事にする人を育てて行ける体制を、様々な地域の方、NPO、土地建物オーナー、それぞれの立場の方と協力しながら作っていく構想があります。4月くらいに「谷中まちづくり会社」を作る予定です。
  • ずっと谷中の話をしてまいりましたが、谷中に限った話ではないとお考え下さい。今私どもは谷中上野桜木という一つのコミュニティがあるエリアで活動しておりますが、千駄木なら千駄木、根岸なら根岸、上野や池之端、それぞれのまちで地元の方と若いこれからの時代を作っていく方たちとのネットワークが作れれば、新しい展開で地域らしさを活かしたまちづくりが行えるのではないかと思っております。
  • 歴史的資産、風致の保全。維持向上は、地域の産業や生業、古い建物もきちんと直せば生活や仕事の場にしていけるという事と、常に両輪だと思いますので、それらの両立を図れる形でそのまちならではのまちづくりに繋げていければと思っております。
  • 残したいもの、これから活かしたいものを考えて、一人ひとりの動機と行動の重なりがまちの将来像を作り、自分が住んだまちが、生まれて育った所はもちろん、引っ越してきた町であっても、新たなふるさとになる、という様な事に繋がっていけばいいなと思います。
  • ちょっと駆け足で分かりづらい所があったかと思いますが、質疑応答でお受けしたいと思います。ありがとうございました。

質疑応答

林会長
  • 一番初めは何年くらいからでしたか。
椎原氏
  • まちの方々はもっと前からやってらっしゃると思いますが、私が谷中のまちづくり活動に参加させていただいたのは、学生グループだった1986年くらいで、30年ほどになります。谷中の初代コミュニティセンターが1979年にまちの方々の様々なワークショップや協議で出来たと伺っておりますので、その協議の頃から考えればもう40年以上になると思います。
林会長
  • 大変なものですね。蓄積というか、人のつながり、文化のつながりとか、素晴らしいです。
椎原氏
  • ありがとうございます、私は先生に育てていただいたようなところです。蓄積をちゃんと次のステップに繋げたいです。今日は区の方やURの方など制度を作っていく方々にもおいでいただいているので、個別バラバラに見えたような活動が、地域の方々が同意できるようなものとして、区や都にもご支援頂きまちづくりの方向が定まっていくといいなと思っております。
林会長
  • 最近の若い女性などは、素晴らしい講演などを聞くと本当に泣き出してしまう方がいますけれど、正に感涙するという感じがしました。色々と勉強になりました。私は今松江とお付き合いがあるのですが、そこのNPO法人まつえ・まちづくり塾の人の様な、いろいろな所の人達がこの様な事を勉強できると、その広がりがまた素晴らしいものになるなと思います。そういう事が日本の中でも沢山あるわけですよね、椎原さんはいろいろそういうつながりも増えているでしょう。
椎原氏
  • はい、お陰様で他のいろいろな街の方からも教えていただいております。先程少し申し上げましたが、建築基準法のその他条例というので建築基準法の仕組みに別の基準を重ねて許可が下りるような、条例を作ってらっしゃる自治体が、横浜、鎌倉、川越などあります。それを自分の町でもやってみたいという自治体、宇都宮市、小田原市、他、各地の自治体の職員さんたちが集まって、現行法でやれることは出来るだけ現行法でやって、どうしても難しいところだけ条例を作ってやったらいいですよという話をされているのを聞きました。また歴史的な建物を再生するためのファンドを、京都市、金沢市が取り組まれていまして、地元の信用金庫とMINTO機構で共同出資するような仕組みがあると伺っています。
林会長
  • 谷中学校は本当にまちづくりで学校を作るのですか。
椎原氏
  • 学校というのは、まちに学んでまちに帰そうという事で名前を付けましたので、組織としての学校法人ではないのですが、地域の方に教えていただいたことをきちんと何かの形になるように返していこうという事で活動を続けています。
林会長
  • 本当に学校を作りたいですね。
椎原氏
  • 新たな課題をいただきありがとうございます。

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