街に、ルネッサンス UR都市機構

街みちネット 第17回見学・交流会「まちづくりプランナーからNPOとしてのまちづくり・事業への関わりについて」

これまでの活動の紹介

活動議事録

講演3「まちづくりプランナーからNPOとしてのまちづくり・事業への関わりについて」

松沼 勝 氏(LAU公共施設研究所/NPO法人あだち・まちづくり・コモンズ)
松沼氏
関原地区との関わり
  • LAU公共施設研究所の松沼と申します。二足のわらじをはいていまして、NPO法人あだち・まちづくり・コモンズという団体を立ち上げてそこの事務局長もやっております。
  • 私の関原地区への関わりは、最初のまちづくりの委託と、今のNPOでの関わりがあります。
  • まず昭和62年度の関原地区のまちづくりの委託がありました。当初は密集事業ではなく、住環境改善のための事業である住環境整備モデル事業を導入しました。住環境整備モデル事業は密集事業とは毛色が違っていまして、住宅地区改良事業の任意版のような事業になっています。
  • その後、この事業がいろいろ変遷を経て、総合住環境整備事業、コミュニティ住環境整備事業、密集住宅市街地整備促進事業、最後に今の住宅市街地総合整備事業の密集住宅市街地整備型と統合されていくのですが、当初は密集地区のまちづくりとは少し違った進め方がされました。老朽住宅を買収してというお話がありましたが、当時は不良住宅という言い方をしており、それが住環境整備モデル事業の中の不良住宅の除却買収事業です。
  • 私は昭和62年の事業開始から5年ぐらい関わりました。それ以降20年は、マヌ都市建築研究所さんが関わられて、最後、終結まで面倒を見られたということです。
  • 関原地区のまちづくりの委託の中で愛恵学園、関原の森の出会いとありますが、実は事業を始める前も後も、この地区はオープンスペースがなく、緑もほとんどなくて、唯一ここが閉鎖的な幼稚園で、緑が濃く、大きな敷地がありました。関わりを持った1~2年の間、愛恵学園の園長先生のところに通って、何かあったときはまちづくりのために土地を譲ってくださいと常日頃お願いをしていました。
  • そうしたら、急転直下ですけれども、園児が減ってきて、平成2年に閉園が決まりました。それまで通った成果なのかもしれませんが、「どうせここを売却するのだから、まちづくりで買ってくれないか?」という話が出てきました。我々はもっと先になるだろうと思っていましたが、関わった数年で用地買収できることになりました。
  • 委託の中で、この跡地をどう使ったらいいのという話が出てきて、まちづくりの視点で計画を行うことになり、私は最後の実施設計まで携わりました。この園舎の曳家改修、同じ敷地内のまちづくり工房館と住区センター、これが3点セットで整備されましたが、その設計すべてに私が関わることになりました。そういう意味では、利用者の見えている建物の計画をうまくつくれたのではないかと思います。ただ、問題も少し残っていて、記念館の運営がなかなかうまくいっていないという課題が現在でもあります。
  • また、地元組織の「母の会」と一緒に平成18年から26年の9年間、指定管理者としてこの施設を管理してきております。事業が終わった後どういうまちづくりをするのか、そこも含めて我々は今でも関わりがあるのかなと思っております。
まちづくり事業推進と地区のまちづくり
  • 当時の関原地区のまちづくりの位置づけは、足立区の地区まちづくりの第1号地区に該当しています。当時の東京都立大学の髙見澤先生にも関わっていただいて、足立区の地区環境整備計画がつくられています。これは足立区のまちづくりのバイブルになっています。この計画は、70の住区を、その地区ごとにどういうまちづくりをするか、下敷きをつくって1地区3年ぐらいかけてどんどん取り組んでいくというもので、その第1号が関原地区で第19地区に該当し、その事業が始まりました。
  • 先ほど宇田川係長から、関原は当初は足立区最大の問題集積地区だったという話がありましたが、実はここのまちはリサイクルのまちと言った方がいいような、廃品回収が業となっている地区でした。そんな中で住環境整備をやっていこうということで、区もまちづくりの取組み第1号ということで初めてですし、コンサルも、私も若かったので、元気がありました。そういった中で、コンサルタントの視点として、1つは事業推進と、もう1つは地区まちづくりと、視点が2つあるのではないか、ということを考えていました。
  • 事業推進とは、区や行政が主に意識しながら目指していく、あるいは事業の成果を得ようとして行う取組みで、物的な改善や、防災、住環境整備や都市整備の話が主体になって、実際には、事業が終わると、多くは区や行政が引き上げていってしまうというのが恒例です。それとは別に、地区のまちづくりが必要なのではないか。コミュニティや町会、商店会のような地域の活性化であるとか地域の健全化をまちづくりにつなげていく、そういった思いを受けとめる必要があるのかなと当時から考えていました。
  • そこで、区の“モノづくり”と、地域と進める“コトづくり”を連動させてまちづくりを進めよう、“モノ”をどんどんつくって、コミュニティや集客も交流もできていく、それとは別に、もう少し地域と一体となって進める“コト”を考えていこうとしていました。
地区のまちづくりの推進に向けて
  • コンサルとしては、ハード整備や事業推進だけではない、地区に何かを残すまちづくりをしたいと思っていました。住環境整備モデル事業は、当時、京島と神戸市真野の2地区で取り組まれており、それを参考にしながら関原地区もまちづくりを進める中で、地区のまちづくりの主役となる人々をどう発掘していくかという課題があり、役割分担を検討しました。
  • 事業推進に向けた役割で言えば、町会や商店会の重鎮の方々は、方針や決め事に関しては欠かせません。協議会のメンバーにもなっていただきました。それと、日常のまちづくりの主役というのは別にいるのではないかということで、地元組織の「母の会」や、実働部隊の商店会の若手の方たちと一緒になってまちづくりを始めることにしました。
  • 実際には、「母の会」が地域においては結構大きなポジションを占めていて、お母さんたちも元気でしたが、そういった中で「母の会」の信頼をかち得たというのが関原地区のまちづくりの大成功の要因だったと思います。「母の会」が信頼してくれると地域が信頼してくれます。そこが大きなポイントで、我々が最初「母の会」にアプローチしたときは、我々「まちづくり」と呼ばれていたんですけれども、区とコンサルは「まちづくりがやってきた」というふうな言われ方をしまして、実は「母の会をだましてまちづくりをやらせるんじゃないの」、というような言い方もされました。というのは、「母の会」というのはいろいろな事業を展開して、予算をかなり持っていたんです。実際、提灯行列などいろいろな行事を実行していましたが、それをみんな供出して、地域に吐き出しています。そういった中で、そのお金を当てにしてやってきたんだと最初言われていたんですけれども、それを払拭するところから始めまして、母の会の信頼が出てきて、やっと地域の信頼に変わっていったのが事実ではないかと思います。
まちづくりにおけるコトづくりとモノづくり
  • 先ほど、公共の“モノづくり”、地域としての“コトづくり”とお話ししましたが、“コトづくり”というのは、私が考えたことでは、地域と一緒にイベントや計画づくりの時間と空間を共有しながら、それを計画的にこなしていくことではないかと思います。ですから、一緒に思い出づくりをしながらまちづくりをしましょうというのが当時から思っていたことです。
  • 関原地区の“コトづくり”といえば、「母の会」主催の年末のもちつき。これも実は「母の会」が解散して昨年で終わりましたが、我々と一緒にやったもちつきが第1回目ではないかなと思っています。もちつきが毎年恒例で行われることによって、区の職員の方たちとの交流や、当然町会や商店会も参加してくるので、懇親が図れるという図式ができたんですね。ですから、例えば区の新人の方が配属されてもちつきでデビューするといったこともあったのではないかと思っています。
  • それとともに関原の森が整備されて、イベント会場として非常に使いやすかったということもあって、そういったモノで促進されたと言えるのではないかと思います。
  • それと、地区のまちづくりモデルの完成とオープニングイベントなど、コミュニティ住宅やプチテラスを整備したら必ず地域にお披露目をしましょうということで、オープニングセレモニーやモデル整備による事業成果の周知を行い、“モノづくり”にあわせて“コト”を共有しました。
  • 先ほど、買収による補償で一戸建てが建てられるくらいの資金が出るというご紹介がありましたが、当時の住環境整備モデル事業は買収整備型でかなりの補償金が出るということで、それでまちづくりに参加するという言い方でPRしていた時期もあります。そういったいろいろな試みをしながらまちづくりを続けてきました。
  • こうした“コトづくり”をまちの社会実験として捉えられないだろうか、これを連続させることによってまちづくりが進んでいく、事業推進につながるという話も実はあるのではないかと思っています。
社会実験の連続によるまちづくり
  • 「密集事業によるまちづくりは社会実験の連続を」と書いてありますが、社会実験は今、いろいろなところで試みられています。住市総の密集事業は、非常にまちづくりが長期化し、継続的な取り組みが必要になってくるので、事業を推進するという仕組みとして、先ほど、地区に何かを残すまちづくりと言いましたけれども、そういったことを試みながら、まちづくり、あるいは社会実験を進めてみたらどうだろうということです。
  • それと、「オモテとウラの計画づくりで地域へ残す財産ができれば、地区のまちづくりも事業推進も成果が上がる」とありますが、関原地区のお話で、愛恵まちづくり記念館は地区のシンボル施設ということで何とか残しました。集会施設をつくりましょうという話でしたが、実はもう少し広い視点を持って、区のまちづくりの拠点として整備できないか。ここから足立区のまちづくりをスタートするという施設にできないかということも当初思っていたところです。
  • まちづくり工房館は、事業協力者の方の共同作業所ですが、当時は工業振興という視点も含めて、あだち型工業のインキュベーション施設がここにできないだろうかということも考えており、東京都さんや当時の建設省さんと調整をし、ご意見をいただきながら施設をつくっています。ですから、あの施設の中には会議室や事務室もあり、あそこに入ってきた方々がまとまって、あだちブランドなるものをつくれるといいのかなということを当時計画していました。
NPOコモンズの関原地区との関わり
  • これからNPOの話に移っていきます。あだち・まちづくり・コモンズと関原地区の関わりの発端は、関原の森の管理に指定管理者制度を活用しようという方針が出て、そこで「母の会」にやってもらったらという話が区の密集地域整備課から出てきたんですね。「母の会」としては、ぜひやってみたいというということでした。ただ、「母の会」だけだと、なかなか企画運営は難しいということで、コモンズと一緒がいいのではないかということになりました。
  • まちづくりコモンズの設立の趣旨は事業型NPOであり、事業を会員が持ち込んでまちづくりを展開していこうというのが当時のねらいでしたが、なかなかうまくいかないのが現実ですね。
  • このNPOの組織は、足立区のまちづくり推進委員会を母体として設立しています。平成15年に設立されてから、10年近くたったら、推進委員会のメンバーがほとんど入れかわるような状況で関係が薄くなりました。NPOとしては、まずは「母の会」のお手伝いということで指定管理に取り組んだわけです。
NPOとしての地域のまちづくりへの関わり
  • そうこう言っているうちに、「母の会」が平成25年で活動を停止、解散をいたしまして、それ以降、我々NPOだけでこの施設を管理していかなければいけないことになりました。日常的な管理とともに、この施設のそもそもの成り立ちである区全体のまちづくりへのアプローチを少し視野に入れようということを単独管理になってから始めています。
  • 1つは、地域自治による運営や利用ということで、関原地区は事業終結しましたが、いろいろなまちづくり成果が残っています。この施設もその一つです。人的な財産も残っています。それを継承して、施設の協働管理をしながら地区のまちづくりを進めていこうと、町会、あるいは住区センターと一体となって、地区のまちづくりを発展できないかということを考えています。
  • それと、新たな公共の実現ということで、地域が公共施設を管理していくという思想も必要なのではないか、できれば住区センターと一体になって、地区で運営するような施設になるといいと考えています。
  • 施設も含めて地域の庭としての共通利用・活用ということで、この施設が地域のまちづくり、あるいは地域のコミュニティの見張り番のような形になるといいのかなということも考えています。
  • また、関原の森を周知しながら、まちづくりの活性化を拠点から他地区へ発信したいと考えています。
NPOコモンズがめざすまちづくりのねらい
  • 「新しいまちづくりの発信ステーション探して、作って感じて」というキャッチフレーズは、ここを以前管理していた足立区のまちづくり公社さんのパンフレットからのものですが、発信がなかなかできていないということで、指定管理を通じながら、あるいは二十数年にわたって培ってきた関原のまちづくりの資産を使いながら、発信ができないだろうかということで今活動しています。
NPOコモンズがめざす関原の森の拠点づくり
  • 我々、指定管理をプロポーザルでとっていますが、その提案書では「愛恵まちづくり行動館」と言っています。まちづくりを始動するときの第一歩をここで始めませんかという施設にするという意味です。なかなか今できておりませんが、これを目指してまちづくりを提唱していきたいと思っています。
NPOコモンズがめざす地域への発信
  • 地域への発信の仕方を2つ考えています。1つは、ここを地域のサロンとしてまちづくりの情報を集めようということで、これは既に愛恵カフェとして、毎週土曜日、施設をオープンして、ご自由にお茶を飲みに来てくださいという形でやっています。大体1日20人ぐらい、毎週土曜日開けていたら月80人ぐらいの方が来て、そこでまちづくりの話や、問題点を把握しようということをしています。
  • もう1つはまだできていないのですが、もともとの発信ステーションになるために専門家に集まっていただくということで、足立区のまちづくりや関原地区のまちづくりは、30年を経過しておりますが、まちづくりが終わってきている地区もだんだん出てきました。事業が終わったら、まちづくり協議会解散、ここも解散してしまったのですけれども、それで終わりというのはちょっとさみしいので、何とかアフターフォローをできないだろうかと考えております。できればまちづくり推進委員会と連携をとりながら、まちづくり地区のアフターフォローをできるといいかなと思っております。
NPOコモンズの自主事業
  • コモンズの自主事業として、行動館事業やサロンをやったり、ガーデナーの育成講座をこれからやろうとしています。また、もちつき大会も施設利用促進事業として継続しています。
  • 今、一番力を入れているのは、以前は足立区まちづくり公社さんがまちづくり大学をここで頻繁にやっておりましたが、これを継承してまちづくり学校としてまちづくり人を育成できればと考えております。

関連ページ

メニューを閉じる

メニューを閉じる

ページの先頭へ