街に、ルネッサンス UR都市機構

街みちネット 第17回見学・交流会 質疑応答・意見交換

これまでの活動の紹介

活動議事録

意見交換

司会
  • ここから、先ほどお話に出ていた地元の「母の会」の元代表でいらっしゃいます村田様にもご参加いただきます。
足立区 宮内氏
  • では、村田程子さんをご紹介いたします。
  • 昭和61年度に地元町会商店街の役員の方々が中心となって関原一丁目地区まちづくり協議会が発足しましたが、その発足当初から協議会のメンバーとして約28年間まちづくり活動に取り組んでこられました。
  • また、村田さんは、西新井母の会関本支部の第3代支部長という立場で、地元のご婦人たちの先頭に立ち、子どもたちの健全な育成を目的とした活動にも取り組まれておりました。あと、先ほど松沼さんの講演の中であった協働管理という形での取り組みをされておりました。
  • 西新井母の会は、地区内に公園、広場などが、事業の成果として整備が完了し、オープニングイベントを開催する際には、いつも運営に多大なるご協力をいただきました。
  • まちづくり協議会は、関原一丁目地区の事業終了とともに平成25年に解散をしまして、母の会も解散ということになりましたが、村田さんは現在、地元町会の婦人部長として、引き続きこのまちのためにご活躍をされております。
質問1
  • 先ほど松沼様のお話の最後で、まちづくり協議会と母の会が解散してしまったけれども活動を何か続けていけたらという話があって、そういう活動に若い20代、30代の人が参加できれば、高齢化などの問題に対して、若い人が多く住めるようなまちづくりができると思うのですが、若い人が参加できるような工夫や取組みがあれば教えていただきたいと思います。
松沼氏
  • NPOの自主事業のお話を先ほどご紹介させていただきましたが、足立区に大学が移ってきており、東京電機大学、東京未来大学、帝京科学大学、それと、文教大学が来ることになっています。電機大学は工学系ですので、まちづくりのメンバーがおります。私も知り合いがいるので、そういった若手の人を地域に開放できないだろうかと、今、相談をしています。ですから、例えば先ほどの空き家の問題もそうですが、そういったものに大学の研究室に関わってもらって、調査をしながら地域に提案していくというような事業ができないだろうかということを検討中です。
  • 若い人がなかなか出てこないというのはどこでもそうだと思いますが、たまたま足立区では電機大学が来たということで、大きなインパクトを持っていると思いますので、これを何とかうまく活用していきたいなと思っています。
質問2
  • お話の中で出てきた「母の会」とはどういう会か教えていただければと思います。
村田氏
  • 「母の会」というのは、西新井警察の管轄の組織で、都内で11支部ぐらいあるうちの私たちは6番目で、子どもの非行防止のための活動をしていました。今はなくなりましたけれども、団地の子ども会で提灯行列という行事をやっていて、その時に「母の会」で団地の子にお菓子を買ってあげるようになったら、結構規模が大きくなりました。「母の会」に入ると、警察に1人500円の会費を払わねばならず当初は町会費でまかなっていましたが、会員が100人ぐらいに増えてそれが難しくなったので、昭和59年に町会から抜けて、西新井母の会関本支部をつくりました。
  • 資金は商店街で朝市をやろうということで、町なかの空き地で喫茶店とかすいとん屋を出して、昔は景気がよかったので、1回で十何万入ったんですね。売上げが年間で百何万。その資金を50万ぐらい使って子供たちに提灯行列でお菓子を買っていました。イベントには警察も来ていただいて、まちづくりコモンズさんとも一緒に活動したり、役所と協力しておもちつきもしていました。
  • 「母の会」は31年間活動して、一昨年終わりました。我々ももう少しやりたかったんですけれども、80歳を過ぎた方も多く、朝早く起きて活動するのは大変なので、ちょうどいいところかな、けがのないうちということで、解散することになりました。私もそれまでまちづくりコモンズさんに協力させていただいて、去年の3月まで9年間ここで一緒に仕事をさせていただいていました。
質問3
  • 足立区の宇田川さんにお伺いしたいのですが、平成14年から入られて、実際、区職員として地元に入って大変だったことや、楽しかったことを教えていただきたいと思います。
足立区 宇田川係長
  • 平成14年から6年間、関原一丁目を担当させていただきまして、先ほど申し上げたとおり、協議会47回、もちつき大会、提灯行列も6年間参加させていただきました。それは楽しい思い出かなと思っております。
  • それから、共同化事業や防災街区整備地区計画、これは法改正後すぐに取り組んで、苦労したところもあるんですが、国土交通省の当時の市街地整備室長さんが東京都にみずからやって来て東京ワーキングという会を開催されていて、これに各区も参加して、足立区も法改正にあたって適合するものを頭出ししながら、それぞれの事業の説明を直に教えていただいたということもあり、スムーズに導入ができたというところがあります。こうした波に乗っていくこともまちづくりでは重要で、いい波に乗れたのかなと思っています。
  • その他にも、実は平成14年の時点で買収除却を正式にやっているのは足立区だけなんですね。要は、土地・建物を区が買って区が壊すのですが、壊してしまうものを買っていいのか、他の区はそれに悩んで二の足を踏んでできなかったということがありました。足立区はコミュニティ住宅での実績があったからやってきたのですが、後にある市街地整備の東京都の集まりの中で、先ほどの市街地整備室長さんにそういった問題があってなかなかできないとお話ししたら、補償でいいということになり、直ちに対応していただいたということもありました。
  • 個々に一軒一軒回りながら事業の説明をして、事業の理解を得て協力していただいたというのは、まさしく苦労したところかなと思いますが、どちらかというと、楽しい思い出のほうが大きくて、成果が上がったことで、達成感があったと思っております。
質問4
  • 防災街区整備事業で個別利用区をつくる場合、100m2以上という敷地面積の縛りがあります。個別利用の2軒は100m2、それ以外は80数m2で分譲されていますが、一旦個別利用区として施行者が買い取って、それを改めて分譲したという理解でよろしいでしょうか。
足立区 宇田川係長
  • 個別利用区をいかに活用するかという問題は当時からやはりありました。原則、移っていただく方々はおっしゃる通り100m2以上の敷地にということになります。ただ、こうした地域で100m2を売却するのは非常に難しいのが現状で、地区計画で83m2という最低敷地面積を定めておりますので、その面積と100m2の間で何とかできないかということでいろいろ検討した結果、まさにおっしゃるとおり、一度事業者が買い取るという方法で進めました。やはりそうした工夫がこうした事業で必要ではないのかなと、思っています。
質問5
  • この地区の事業終了が平成25年度、一方で東京都の木密不燃化10年プロジェクトが平成23年度から始まって、まさにこの地区の中に特定整備路線が入り、また、不燃領域率もおそらく東京都が目標として掲げる70%には達していないと思いますが、そういう大きな流れの中でこの事業を終えたという勇気ある決断について、終わり方の理屈というか、考え方はどんな整理をされたのか、お答えできる範囲でしていただければと思います。
足立区 金井課長
  • 関原はずっと密集事業をやってきましたが、不燃領域率はまだ50%までいっていないと思います。木密10年プロジェクトが始まったときに、当然、事業を延長したらという話はあったと思いますが、それ以外の足立区内の密集市街地にも着手していく必要もありました。将来着手すべきエリアとして、千住は事業をやっているのは千住仲町だけでいまだに手がついていないところもありますし、それ以外にも地域危険度のワーストの順位が高いところがあります。そういったところも新規に着手していく必要があり、関原については一定の節目を迎えているという当時の区の判断で、10年プロジェクトとは一線を画し、平成25年度の防災街区整備事業の完成で終了しようという判断に至ったんだと思います。
  • 京島など、もう30年以上事業をしていても10年プロジェクトの特区を導入している地区があるのは承知していますし、そういう判断もあったのかなとは思いますけれども、当時の予算的なこともあると思いますし、区としては、関原は事業としては節目をつけたという判断になったんだと思います。
  • つけ加えると、その後のフォローとしては、先ほどの中南部の不燃化特区ということで、関原一丁目も含めて非常に広範囲で特区を入れておりますし、防災街区整備地区計画も入れましたし、そういうまちづくりのルールができた中で、いかにルールにのっとって不燃化建替えを進めていけるか、そちらのほうにシフトをしています。新防火規制を入れたり、先ほどの建ぺい率の緩和の手も打って、密集事業は終えたんですが、そのフォローは中南部の特区の中でしているということです。
足立区 宇田川係長
  • これについてはいろいろ考えがあると思いますが、地域への負担というのもあったのではないかと思います。先ほど村田さんがおっしゃった通り高齢化もかなり進んでいて、私が関わっていた時も、協議会を年8回開催して、残り4ヶ月のうち2ヶ月はもちつき大会や提灯行列をやっておりますので、実際休んだのはお盆と正月だけで、地域の人もそれに合わせて活動していただいていましたが、やはり高齢化によりそういった活動がしにくくなってきたのも一つの要因と考えております。
  • また、金井課長が申し上げた区の事情もあると思っております。足立区は先ほど見ていただいた通り、危険度5の地域がまだまだある状態です。区としても、取り組む地区数も限りがあるので、どこかしらやめなければ、他の地区に着手できない状況になっていたのも現状かなと思います。
  • これでいいとは私どもも思っていなくて、こちらの地域を含めて不燃化特区の指定をして、数々の施策をこちらの地区が活用できるようにしてきているので、まだまだまちづくりは続けていくと思います。密集事業は終わりましたが、防災まちづくりは終わっていないと私どもは思っております。
質問6
  • 見学の時にせっかく道路が広がり新しい建物が建っているのに、電柱や電線がそのまま残っていることが気になりました。こういった既成市街地で、防災のために、あるいは改革をしていこうという時に、電線や電柱についてどうお考えなのか、参考に聞かせていただければと思います。
足立区 宇田川係長
  • 都市計画課の立場で回答させていただきます。密集市街地の電柱、狭い道路にさらに電柱があるということでさらに狭くしているという現状はわかっております。埼玉県に行きますと、民地に電柱を設置するという事例もあります。ただ、東京都は東京電力の考え方で、公道に設置するという方策をとっています。
  • 私どもは、避難施設に至る避難路には電柱はないほうがいいと考えております。足立区の場合、建物の買取除却をしたらすぐにセットバックをして、電柱が残らないようにと東京電力と話をしております。
  • さらに、足立一・二・三丁目地区では、学校の横、避難路となる部分については電柱の地中化を図っています。これも東京電力と協議したときは、通常は電柱を地中化するのは商店街や駅前や広幅員の道路ですよねと言われて最初は相手にしていただけませんでした。ところが、大規模な地震があって、阪神淡路のような事例もありましたので、こういった避難路にも電柱が倒れるようなことのない施策が必要ということを何度もお話した結果、実現することができました。
  • おっしゃるとおり、できる限り道路を広げて、緊急車両が通れるだとか、安全な避難路にしていくということも考えていかなければならないと思っています。現実的にはそれを実施するというのはなかなか難しいのが現状ですが、努力はしていっているところです。
質問7
  • 防災街区整備事業のことで、事業が組合施行ではなくて個人施行になった経緯と、転出の方が多かったようですが、その辺りで何かご努力をされたかどうかという点について教えてください。
足立区 宇田川係長
  • 防災街区整備事業の事業導入は、国土交通省のほうからこういった制度ができますよと言われた時に、建替えできない、都市計画道路に面しているということもあって、事業に適しているということで頭出しをさせていただいたところから始まっております。
  • 土地所有者の方とお話をした時に、接道がない土地を持っている方や、古いお宅なので建替えがしたいができないという方もいらっしゃって、協力してこれを解決したいということで、基本的には合意していただけたというところから始まっております。
  • ところが、生活再建を考えていく中で、皆さん転出を希望されたんですね。要は、あそこにとどまらなくてもいい、年をとったり、新しい建物が欲しいわけではないので、コミュニティ住宅でいいという方が多くいらっしゃり、誰も残らないというのが始まりでした。実は区も、それまでの足立区の再開発事業は全て区が床を取得して進めていたんですが、そういった事業をやらないという方針を立てており、コミュニティ住宅も需要と供給の関係でそれまでの7棟で打ち止めということも決めておりました。
  • こういった共同事業で重要なのは、誰かにリーダーになっていただくことですが、リーダーがいないので、区の方でコンサルさんと一緒に引っ張っていかなければいけないということで進めてきました。
  • 誰も残らないわけですから、組合事業の要件もなかなかできないという状況で、実は早くから個人施行を決めておりました。デベロッパーは、相鉄不動産さんがこういったまちづくりについて実績を積みたいということでつき合っていただきました。
  • リーダーがいない、全員転出、組合施行にはならないというのは早くから判断できたので、個人施行にしました。ただし、個人施行でこの規模だと、要件としては都市計画決定をしなくてもいいんですね。しかし、私どもがデベロッパーの開発の手助けしているように思われても困りますので、そうでなく、都市計画決定をして、都市計画事業として進めてきたという状況がありました。
  • また、転出が多いのは、生活再建にあたり、高齢者も多かったので、自分たちに合った生活をすることを求めていった結果と考えております。皆さん喜んでいただけたのかなと思っております。
閉会の挨拶
玉川まちづくりハウス林泰義氏
  • 今日は、行政の方、NPOの方、住民の方を含めて話を聞くことができて、大変勉強になりました。共通していることは、1つはどうやって事業を行政的な仕組みのお金を活かして続けるかということと、もう1つは食堂のようなことをお母さんたちがやられている、そういう民間の事業とどうやって展開していけるか、これも非常に重要なポイントです。それから、防災街区整備事業で民間企業が床を取得した話もありましたが、民間企業がそれなりの役割をしてくれるということも大切で、いずれにしても、この地区を支えていくお金の流れをどういうふうにみんなでつくっていけるのかということが基本的な課題になっているし、可能性もそこにあると思いました。
  • 事業を進めるということで言うと、民間がどこまでどういうことができるかというのが重要ではないかと思っています。ただ、皆さん高齢化でなかなかそうはいかないというお話もありましたが、逆に言うと、若い人がどうやったら事業に入ってこられるか。若い人が入るには、生活が成り立つ収入が得られないと決心がつかないと思うんですね。そこは非常に重要なポイントだと思います。
  • ふるさとの会というホームレスの人たちを支えているNPOがあって、ホームレスの人たちの生活保護のお金を地域の中でうまく回転させるために、若者の就労者をハローワークで雇用して、長年の苦労の末に不動産の事業と結びつけ、ホームレスの人の住む場所を借り上げて維持するという工夫をしています。生活保護という行政から出る福祉のお金を社会的なお金の流れに組みかえる。そういうことを一生懸命考えて実践していったという事例で、それぞれの場所によってどんなお金の回転の仕方があるか、これが皆さん課題になっているんですね。
  • 行政のお金が出ている間はそれでいいですが、行政のお金だけではなく、住民やあるいはNPOの考え方とどう結びつけられるかが、今、共通の課題になっています。
  • NPOももう少し事業力をしっかりと上げる、私もNPOをやっていますが、それはハローワークから若者の雇用どうやったら実現できるかというようなことで、ボランティアではない、あくまで事業としてやれる状況をどうやってつくれるか、共通の課題に我々は立っているんじゃないかなと思いました。そういうことが可能になれば、具体的に前進できるんじゃないかなと思っています。
  • そういう意味では、不動産の事業というのは、今、とても重要なんですね。空いた家をどうするのか、そういう資源があちこちで無駄になっている。その辺に注目して事業をしていくことと、若者が仕事をできるということを結びつけて、役所、あるいはいろいろなNPOの方々とも共同の事業をしていくという課題を突きつけられているのかなと思いました。

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