街に、ルネッサンス UR都市機構

街みちネット 第11回見学・交流会「初黄・日ノ出町地区における横浜市の取り組み」

これまでの活動の紹介

活動議事録

初黄・日ノ出町地区における横浜市の取り組み

大堀 剛 氏
事業化の経緯
  • 一番古くから活動しているのは地元の方々だが、その次に古いのが私で、中区役所からこの事業にかかわっている。当時、市の都市整備局は法定再開発や区画整理など既定の手法のまちづくりが主な業務で、この事業の受け取り手がおらず、中区で地域の方と、谷口さんが説明してくれたような色々なイベントなどで盛り上げてきた。
  • その後、京急電鉄と話すときは横浜市の看板が必要とか、色々話をしていたら、ようやく都市整備局の事業として認知してくれ、組織(都市再生推進課地域再生まちづくり担当)ができ、私がそのままそこの初代の課長になった。
  • 約260件の違法風俗店があり、警察が入って、営業していた人がみんな逃げてしまったが、どうせすぐに警察は引くさという思惑から空家のままで温存されている状態で、この不動産をどう動かすかが次の戦略ということで、局で店舗の借上げに取り組んだ。
  • まちづくりを担っている都市整備局と、アートによる街の活性化、クリエイティブシティ構想というものに携わる創造都市事業本部があり、それが今、私がいる文化観光局創造都市推進部になっている。
違法風俗店の借上げのプロセス
  • 借上げたところにアーティストに入ってもらって地域を変えていくという戦略を考えたが、どのように不動産を調達するかということが次の課題だった。
  • 動かない不動産、特に違法風俗店の関係者は結構手強い人ばかりなので、借上げる作業は大変だった。もう一つは、地域の方が、京急電鉄に、鋼板で囲われた高架下を、耐震補強が終わったところから少しでも開けてくださいという要望を出してきた中で、スタジオをつくっていく作業。この二つで地域の環境を改善していくという事業の進め方だった。
  • 不動産のタイプは二つあって、Aタイプは、昔からあった建物を、貸したら違法風俗店になってしまったもので、土地・建物の所有者が同じで、借りた人が勝手に違法風俗店を営んでしまうというタイプ。これは比較的権利関係が単純だが、もう一つのBタイプは、阪神淡路大震災後、京急線の高架橋の耐震補強工事後につくられた。高架下で営業していた違法風俗店が耐震補強をする際に立退くことになった。そのとき、ブローカーが暗躍して、立ち退きを受けた人と、新たに投資家を募って区分所有の長屋形式の店舗を建てたため、爆発的に店舗が拡散増大し、250を超える数に達した。所有者が直接違法営業することはなく、別に営業者がいて、朝昼晩3交代で別の運営者が入ってくるような非常に複雑な権利関係となっている。全部空っぽになったが、警察の管理者対策の捜査班と連携しながら所有者を突き止めて、所有者と一対一で話をして借上げを進めてきた。
違法風俗店の権利関係
  • 「ステップ・ワン」や「コガネックス・ラボ」はAタイプで、中区でも借りられたが、区分所有のBタイプだとかなり込み入っているので、局の事業になってからの借上げになる。みんなでプレッシャーをかけながら、区分所有権を持っている人に働きかけて、まずはテントの看板を、売春のイメージがあるから外しましょうという話をして、さらに、どうせ使わないならしばらく横浜市に、こういうアートによるまちづくりをしているので貸しませんかという交渉をする。
  • ただし、妥協のない交渉で、登記名義人と直接契約、家賃は鑑定評価額、仲介人を間に入れてはだめ、昔の違法風俗営業をしていたときのカウンターなどは撤去、あと、できるだけ建築基準法違反の部分は是正しその分を負担してもらう、そういう条件で、絶対に家賃の吊り上げには応じない中で進めていった。
  • 地域の人たちが看板外しのようなことを大々的に行うと、精神的に追いつめられていく。2009年4月に黄金町交番が開設されたが、この時に、警察は決して引かないぞという強い意志を県警本部長が示した。交番の開所式は、知事と市長と県警本部長がそろうという前代未聞の式典となり、違法風俗店の再開をもくろむ勢力にはかなりプレッシャーがかかったと思う。
  • また、横浜市のほうで、食品衛生法、建築基準法や消防法の違反に関して元違法風俗店を含む建物の合同査察を行った。違反指導の結果、ここを仕切っていた暴力団の事務所は川向こうに退去することとなった。
  • 様々な形でプレッシャーをかけて、不動産の確保・転用を進めた。
高架下の活用
  • もう一つは高架下の活用である。第1回黄金町バザールに合わせてつくった黄金スタジオ、日ノ出スタジオは、よく見ていただくと、道路を挟んで川に面している、外から一番目立つところである。それによって、このまちは変わっていくんだというメッセージを出すために、京急電鉄に、かねてから、大岡川と直接道路を挟んで接するこの2カ所を何とか早く、耐震補強が終わったらあけてくれと。その際、スタジオを設置したいという話をして、ご協力いただいた。
  • 地域の人は、アートというとなかなかとっつきにくいので、最初は、こういうスタジオをつくるワークショップから参加してもらった。ここでは、神奈川大学の曽我部昌史先生と横浜国立大学の飯田善彦先生、この二人がそれぞれ1施設ずつ、学生さんとワークショップを行いながらまとめた。まとめたものを京急電鉄にお渡ししてつくってもらう。高架下というのは、近接協議とか、鉄道事業者との調整を横浜市が行うと大変なので、京急電鉄につくってもらって、その開発費を、例えば10年間借りるとしたら、それを割ったお金を家賃として計算して借上げるスタイルを採っている。そうでないと、そんなに短い期間ではできないので、こうした少し特殊な方法を用いている。それを、第1回黄金町バザール後に設立したNPO法人に、アートによるまちの再生のために使ってくださいという形で無償でお任せするというスタイルです。借上げた店舗についても、都市整備局のほうで、このNPO法人に無償で、地域再生のために活用してくださいという形で対応している。
  • 先ほど言った、一番目立つところ2カ所が最初の黄金町バザールのメインの施設なので、後で見ていただければと思う。
  • 皆さんが今いるこのSite-Dは、直接は川にも面さず、東小学校の児童が目をそむけて通っていた通学路に隣接する場所で、バイバイ作戦による取締り後も、常習的な不法投棄などがあって、地域の人も眉をひそめていた、一番よどんだ場所だった。ここを何とかしようということで、地域の人たちが、店舗跡に入居した建築家の人たちと検討を重ねて、広場をつくろうということになった。横浜市に「まち普請制度」というものがあって、プランを出して、それが採用されると最高500万円の整備費用が補助されるというシステムがあって、それで、Site-Dの入り口の先に「かいだん広場」をつくった。その「かいだん広場」とセットで、黄金町側の高架下に四人の建築家の競作によって小回りのスタジオを四つつくりましょうというプロジェクトを行った。
  • Site-Dは、小泉アトリエの小泉さんの設計で、スタジオAと称するギャラリーは、横浜にいらっしゃるコンテンポラリーズの柳澤さんが設計した。今年のバザールに合わせて、STUDIO 2Aの宮さん、ワークステーションの高橋さんの設計でSite-BとSite-Cができた。
  • 設計をしては地域の方々と建築家でまとめ、京急電鉄が建設、その開発費を家賃に割戻して横浜市が払うというスタイルで考えた。
事業の運営状況
  • 黄金町エリアマネジメントセンターは、黄金町バザールが実行委員会形式のアートイベントで大成功して、今後も地域として続けたいということでNPO法人がすぐに立ち上がった。第1回のディレクターの山野さんにそのまま残っていただいた。このエリアマネジメントセンターに対して、先ほど都市整備局が借上げた店舗と、文化観光局がこのスタジオの開発を割戻した家賃を京急電鉄に払っているが、それぞれ年間3,500万円、3,700万円である。これを、まちづくりのためのインフラ、治安維持・回復のためのインフラとして我々は認識して、予算化している。
  • そのほかに、文化観光局から黄金町バザールを毎回開催してもらうための活動資金と整備関係のお金、それから、都市整備局から、借上げた店舗のベーシック部分の改修費補助と、このまちの将来計画などを検討するようなエリアマネジメント・高架下活用の委託費をNPOに出している。
  • それから、地域の防犯やまちの課題を検討する地元活動団体、「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」の活動はこの地域の重要な部分なので、引き続き中区役所が、それに対して補助金を出して、NPOが活動の面倒を見るお金もあわせて出している。
  • これだけでは、年に1回の黄金町バザールを開催して、この施設を管理して、入居者の面倒を見て、ということはなかなか大変だが、NPOが家賃設定して入居したアーティストから徴収するお金は全部活動資金として使っていただく。あと、NPOもだんだん力がついてくると、提案型の助成金などもあるので、そういうものをどんどん取ってきてもらって活動を続けていただく。こういうサイクルの中で動いている。
  • 戦後60年間このような歴史を背負ってきた場所なので、横浜市としては、まちの再生のための財政負担は必要であり、継続していきたいと考えている。

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