街に、ルネッサンス UR都市機構

街みちネット 第10回見学・交流会「コレクティブハウジング社の取組みについて」

これまでの活動の紹介

活動議事録

講演「コレクティブハウジング社の取組み」
コレクティブハウジング社のこれまでの経緯と本日のテーマ

CHC狩野氏
  • NPO法人コレクティブハウジング社を設立して12年目になるが、一体どんな活動をしているのか、色々なところに顔が出てくるけれども、全体像がわからないという話をよく聞くので、今回、まちづくり、コミュニティづくりという視点で、私たちの活動をご紹介できたらと思っている。
  • 2000年の終わり頃設立して、NPOに認証されたのが2001年になる。最初のコレクティブハウスが「コレクティブハウスかんかん森」で、それを作ってから10年たった。
  • この間コレクティブハウスを作ってきたが、事業モデルの開発も行っているので後ほどご紹介したい。
  • 今日、コレクティブハウスの居住者の方々の話を聞いていただいたので、一体どんな暮らしなのか、コミュニティがどんなふうに展開されているのか実感していただけたと思う。これまで10年間、自分らしくいられる場所で、それでもお互いを尊重しながらつながり合うことで、安心でき、自分の可能性も広げられるような暮らし方や生き方ができる社会を目指して、コレクティブハウスを作ることを追求してきた。住む人と事業主さん、あと、私たちのような支援する専門家の三者が役割をそれぞれ持って、よい住まいや関係を作っていくことで、可能性のある暮らしが展開されていく、また事業としても安定したものができていくことがわかってきた。このNPOを立ち上げる前に、「共に住む、共に生きる、共に創る」ということを掲げて活動していた研究グループALCCがあったが、まさにそのように三者の役割が事業によって本格化されて実現できていっていると思う。
  • 活動としては、私たちの事業でできたコレクティブハウスについての居住者組合の自主運営の支援と並行して、新しいコミュニティづくりとして新しいハウスづくりを行っている。一番新しいハウスがコレクティブハウス大泉学園で、その後、群馬県前橋市で来年6月に公社の住宅としてオープンするハウスや、中野区沼袋、台東区蔵前にも今作っているハウスがある。
  • 先ほど、三者の話をしたが、かんかん森の後しばらく、2つ目のコレクティブハウスを作るのが難しかった。やはり事業者に理解していただいて実現することが難しく、公団や行政にもずいぶん働きかけたがなかなか実現できず、民間でやっていこうと決めた。私たちのやるべき方向としては、居住者が自分たちで暮らしを作っていくのをNPOとして支援をする形で事業を進めるのがよかろうということで、居住希望者の会を2006年に作って、それで初めてできたのが「コレクティブハウス巣鴨」である。
  • そういう経緯をたどり、居住希望者の支援をしつつ、事業者にもコレクティブハウスを建てもらうために働きかけつつ、事業を進めることを活動としてやってきている。
  • 活動として事業モデル開発があるが、居住者がなるべく自分たちに見合った家賃で自分たちの暮らしを実現するためにはお金のことは大事で、事業主にとってももちろん大事なので、2年ぐらい前からファイナンスモデル研究をしたり、あと、住コミュニティ創再生支援という、コレクティブハウスだけではなくて、コミュニティ自体を再生したり、作るための当事者への支援も幾つかのところで行ってきた。
  • 私たちとしては、当事者が自主的に住まいづくり、まちづくりにかかわることで初めて、人々が孤立化し、つながりもなくコミュニティの力を失ってしまったまちの再生もできるし、また、生き生きとしたまちを創造していくことも、居住する人たちが自ら関わることなしにはあり得ないだろうということが、規模は小さいコミュニティではあるが、コレクティブハウジングの実践を通して、わかってきた。
  • なので、小さな仕組みだけれども、大きな可能性を持ったものとして、今日はコレクティブハウスの根っことなる居住希望者が当事者になっていくプロセスが具体的にどういうことなのか、コレクティブハウス大泉学園の事例を見て理解していただきたいと思っている。
  • それで、コレクティブハウジングの目指すものを知っていただいて、それをまちに広げていくためのさまざまな試みを、事例を挙げてご説明していきたいと思う。皆さんも現場の中で何か考えられることがあったら、聞かせていただけたらありがたいなと思うので、しばらくの間お聞きください。

コレクティブハウス大泉学園について

CHC宮前氏
  • 一番新しいコレクティブハウス大泉学園「個を大切にしながら緩やかにつながる暮らし」ということで、どういうふうに事業ができていったかをご紹介したい。
きっかけから事業化まで
  • まず、このハウスは今までと違い、精神障害者の支援を主にして地域で30年ほど活動してきた「つくりっこの家」という団体の方たちから、障害のある人もない人も共に暮らす住まいづくりをぜひしたいというお話が最初にあり、ハウスづくりが始まった。
  • 「つくりっこの家」自体は地域にあり、クラブハウスというコモンハウスのようなものが地域の中にあり、さまざまな仕事をつくりながら、障害者と地域の主婦が2人1組になって仕事をしていくというような仕組みをつくり上げており、非常にすばらしい活動をたくさんしている。リサイクルショップや、高齢の農家が地元で作った無農薬野菜の販売をする「みのりや」、工房でのクッキー作りなど、障害者の仕事も作ることを大きなテーマにしながら、地域の主婦が一緒になって実行していくという仕組みを構築して、30年やっている。それも大泉学園町の辺り限定で活動している。
  • 最初、どうなるのかなと思いながら、NPOと、一般の方や主婦の方や身体障害をお持ちの方などいろいろな方が住まいづくりに取り組むメンバーとして参加して、居住希望者の会を立ち上げた。
  • パートナーシップ助成事業の助成金などもいただきながら、コレクティブハウスのことをもっと知ってもらうとか、大泉学園の事業主さんや地主さんにも働きかけるという活動を一緒に行った。
  • 3年半ほど活動して、紆余曲折があり、なかなか事業主さんも目ぼしい土地も見つからなかったが、ようやくライト工業という建設会社の社員寮が見つかり、これを事業主の平和不動産にサブリースする形で、改修を行なうことができることになった。事業が決まった2009年の時点で、この社員寮は、あと1か月後には取り壊される予定だったが、急遽コレクティブハウスにすることになった。既存の物件を使って、リサイクル、リフォームという計画になった。

コンセプトや改修内容

  • 3年半活動していた居住者の皆さんは、組合づくりのコンセプトとして、だれもが望めば住める家、4万円台の家賃の住戸をつくる、活かせるものは何でもできる限り活かして再生する暮らし、みんなで分けて、みんなで豊かに暮らす、というコンセプトを挙げていた。
  • 事業主、住まい手、専門家・コーディネーターの三者は、このハウスでは、スタート時点で揃っていた。4万円台の家賃というのが居住者側から出た希望だったが、事業主さんはそれを逆算して、そうであれば改修コストは3,500万円までというお返事が返ってきた。
  • それで、居住希望者と設計者+私たちのコレクティブハウジング社とで、3,500万円でこれをどこまで改修できるかというワークショップを行って、計画案を作った。三者が揃っていることで、お互いがパートナーとして、この古い建物の家賃や設計を決めながら改修することできた初めての事業だったと思う。
  • 最終的には3,700万円ぐらいかかってしまったが、家賃は抑えられた。4万円台の家賃は、障害がある方たちは、なかなか正規雇用されないため、生活保護の方も住めることを視野に入れて設定した。一番安い家賃が4万8,000円で、高くても30平米で7万5,000円という家賃になった。
  • 改修前は2年ほど放置されていた建物なので、雨漏りもしており、居住希望者もみんなで恐る恐る見に行き、それから改修計画を検討した。予算が限られるので、活かせるものは何でも活かし、めりはりの効いた改修工事をすることになった。
  • 社員寮なので元々業務厨房がついており、厨房機器もできる限りあったものを活かし、床を張って改修を行った。改修前は6畳1間と押し入れの部屋が並んでおり、玄関が大きく、共同便所、共同浴室、管理人室、厨房、食堂がある建物だった。
  • 改修計画の話し合いで、共同便所は嫌だというのが住民たちのはっきりした意見だったので、各部屋に全部トイレをつける改修をした。共同の24時間風呂はそのまま。24時間いつ行ってもお風呂に入れて、私などはうらやましいような感じがある。管理人室も住戸として活用している。
  • ワンルーム住戸は、3室並んだ寮の住戸の真ん中の住戸を半分に割り、そこで水回りをそれぞれ作って、1Kの住戸とした。障害のある方や、生活保護をもらっている方、そして、普通にお勤めの方やお子様がいる方など、色々な方が色々な暮らしをされていて、こういう改修計画ができたのも、住民が当事者として参加しているからといういい例になっていると思う。
  • 先ほどの一番安い4万8,000円の住戸は、ミニキッチンや洗面化粧台は使いにくいから要らないという住民の要請で、キッチン用シンクと、イケアのメディシンボックスという組み合わせで非常にリーズナブルなローコストな内容で改修されている。
  • 大泉学園の方たちの憲章は、住民の皆さんが話し合って、「わかちあい」と「たすけあい」と「めぐりあい」と決めた。
居住者の当事者化の大切さ
  • ここで言いたかったのは、居住者が当事者化するかどうかが改修の最も重要な要素になるだろうということ。住まい手は、お客さんにさせられてしまっている歴史が長いので、当事者化することは少ない。当事者化するならそれなりに責任も持たなければいけないということをきちんと話し合いながら、ワークショップなどを重ねていく。コンサルタントや事業主はずっとここにはいないので、彼らの力がないとコミュニティ自体が持続しないことは明らかだが、その関係性を作ることは日本では今までなかなか実現してこなかったのではないかと思っている。

スガモフラットの地域に開いた活動について

CHC宮前氏
地域とのつながりづくり
  • 本日見ていただいたスガモフラットは、自分たちのコモンルームを使って、外の人とのつながりをいかに作るかということを頑張っている。大泉学園のように、地域のつながりがありながらハウスができると、地域の方たちが料理を教えに来たり習ったりというような交流が最初からできるが、このような例は非常に少ない。スガモフラットのようにハウスだけができると、地域のつながりを作ることは非常に難しいので、色々な活動をすることで地域の人に認知してもらうということをやってきている。
  • スガモフラットでは豊島区のまちづくりバンクからの助成金ももらいながら、ミュージカルの劇団員にダンスを教えてもらう会や、職人さんによる子ども向けのパンづくり教室をしたり、地域に開く活動を3年ぐらいしている。
現在の定例開催のイベントや活動の様子
  • その都度企画するのは疲れるという話もあって、最近は、定例開催のイベントを2つやっている。その1つは「子育て中にリフレッシュ」というもので、巣鴨にも子育てをしているお母さんが今4人いるが、仕事をしながら育児ノイローゼにならずにどうやって子どもを育てていけるかと考えた時に、地域の人にも来てもらって、話し合いや相談ができる場があったらいいということで始まった。10名ぐらいの地域のお母さん方が参加して、アドラー心理学を学んだ講師が相談に乗ったり、ベビーマッサージをしたりという活動をしている。初めて開いたときには、知らない方がこわごわ赤ちゃんを連れてやってきて、こういう子育ての些細なことを外の人と話せることが全くなかったと言って自己紹介しながら泣いてしまい、居住者が、やはりみんな孤立しひとりで奮闘しているということを感じたと言っていた。これは定期的に行っている。勤め人がみんな出てしまった後の静かなコモンルームで、赤ちゃんたちとお母さんが10人ぐらいずつ集まって、ワイワイしながら活動している。コモンルームは住民の意思さえあればこういう様々なことにも使われる。
  • もう1つの「みんなの食卓」も毎月第4土曜日の11時~2時に開催している。みんなで一緒にご飯を作って食べるというもので、特別な企画はせず、ドアのところに今月のお題、例えば「焼きそば」などが貼り出されて、食材を1つ持って来れば誰でも参加できる。近所の人たちや小学校のお友達とお母さんなどがやってきて、子供たちは遊んでいて、話しながら、ご飯を作って食べている。それからイベントの時に、廊下に紙をひいたら、子どもたちが絵を描き始めたので、そういうことも広げて、色々なイベントにつなげている。
  • ミュージカルをやるグループが来て、小さなミュージカルを本当に台所の前という感じの所で、机や椅子を全部片づけてやるというイベントもあった。
  • コモンスペースを開くことで、会場を予約しなくてもイベントができるうらやましい団体と豊島区では言われているそうで、会場がなくて困っている団体にも貸して、つながりもできてきた。住まい手が当事者化してくると、そういうことが行政の手や何かの知恵を借りなくてもできていくし、彼らはそれを楽しんでい

左近山団地のコミュニティ再構築について

CHC宮前氏
  • 団地でのコミュニティ再構築の活動も行っている。
左近山団地について
  • URの左近山団地は、昭和40年代に二俣川駅からバスで20分という、駅から離れた山を開発して作った団地で、40年以上たっている。共同住宅が5,000戸、周りの一戸建ても入れると6,000戸ぐらいある大規模な団地である。
  • かなり高齢化しており、私たちが支援に入った時には、既に32%が65歳以上で、10年後には限界集落ではなく限界団地になると自治会からもお話があって、自治会も成り立たなくなるのではないかとか、子どもがいないので小学校が統廃合になり、孤立死も多発しており、よく団地の問題として挙げられることがすべて既に起こっていた。

支援のきっかけ

  • お店もかなり撤退していて、歯抜けになっている店舗の一角でコミュニティカフェとして運営している所があり、最初はそこの方からの、引きこもっている高齢者と何とかコモンミールのようなことをできないだろうかというご相談だった。それで、夕食をつくって食べる会、日本初団地型コモンミールをやってみようということで、カフェのお客さんだった人たちが中心になって、持ち回りで、カフェの厨房を使って、作って食べる活動を始めた。
  • 団地では給食や配食を行う団体はあるが、食べる側は全部お客さんで、自分たちで作ることはない。それだと自分たちが一員となるという発想にはなかなかならないので、みんなで協力しながら作って食べてみたらどうかということで始めたもので、年配の方やシングルマザーと子どもたちも参加してくるようになった。参加者は入れ代わるし、なかなか大変だが、月に3回ぐらいやっている。
活動の発展
  • 2年間、国交省の助成金をいただいて支援した。2年目には、「左近山の未来を考える勉強会」というワークショップを行い、ご飯を作るだけではなく、ここで暮らしていくために自分たちができることはないのか話し合い、よろず相談所をやってみたらどうかなど、色々な意見が出た。
  • 実際によろず相談所をやってみたら相談に来る人がいなくて、みんなつまらなくなってしまって終わったようだが、よろず相談所にしても何にしても、継続させるためにコミュニティビジネスのような発想も入れてやらなければいけないかということになり、コミュニティビジネスって何?というところからみんなで考えたりしている。
  • 今は、CHCの支援はなかなか続けられなくて、自治会と横浜市の支援も入りつつ、横浜国大と東海大学のチームが入って支援している。現実問題として、小学校が統廃合になるので、空いた学校をどうするかという話などを地域住民主体で考えていこうという流れは生き残っているらしく、色々な話し合いをしながら、「考えますこれからの左近山」というワークショップなどへ継続しているようだ。
  • コミュニティカフェの方は、継続的にやっていくのは大変だなと思うが、住まい手が関わらない限り全く何も動かないし、本当の継続性はないということを、体験を通してみなさんに理解いただけたと思う。コレクティブハウスでもまちづくりでも、住まい手が自立的に自分たちの暮らしを運営することは、本来は当たり前のことで、そこで生業をし、ちゃんと次世代につなぐ人たちがやっていかなければ、何も起こらないと思うので、そういった前提で支援を多くの方にしていただけると、かなり住民の力を発揮できるのではないかと思って支援をしている。

道志村「世代を超えて安心して暮らせる村づくりプロジェクト」について

CHC狩野氏

  • 似たような現象が山間の村の道志村でも起こっているので、道志村の話をする。
道志村について
  • これは、「世代を超えて安心して暮らせる村づくりプロジェクト」というもので、道志村というのは、横浜の水源地になっているような、景色がきれいで、水がきれいで、いい温泉があって、暮らすには人間味のある温かい所で、ごく普通の田舎が残っているような場所である。東京から車で2時間~2時間半ぐらいで行けるので、レジャーでご存知の方がいるかもしれないが、左近山と同じように、やはり高齢化は進んでいる。6つの集落に分かれており、集落ごとに高齢化率が10%台の所もあれば、ほぼ限界集落を超えている所もあるような場所で、道志道(どうしみち)という国道が真ん中に通って、あとは山の上のほうに皆さん住んでいるというような形なので、移動には必ず車を使わなければならず、高齢者や子どもは、なかなか自分の意思で自由に移動することができない。
支援のきっかけと道志村の抱える課題
  • 行政から声をかけられて道志村とご縁があったが、高齢化していく中で、村の中には特養がなく、デイサービスがあるだけで、介護サービス自体も、民間のサービスの会社は採算が合わないので入っていけない。そうすると居宅介護の限界が突然来て、外の施設に入れなければいけなくなってしまうので、行政自体の課題として、介護保険が山梨県内で2番目に高いというということがある。元々の住民の方たちは、家族や親類、集落の人たちと助け合いながら、平和に暮らしているが、2,000人ぐらいの人口がどんどん減っていて、若い人たちもいったんは村外に出たけれどUターンで帰りたくても仕事がない状況である。民宿がたくさんあって夏にはキャンプでたくさんの人が来て繁忙期になるが、冬になるとお客さんが減るため別の仕事をするという方もいる。別荘も多い所で、道志村の人間味のある温かさが気に入って、引退した方たちが別荘を終の住処として移住されることも増えているが、そういう方たちとの関係づくりもうまく進んでいないという課題がある。
  • 先ほどから、当事者が自分たちの暮らしをどう作っていくかということが、コミュニティ自体が活性化する上で重要だという話をしているが、ここも、小さな村なので、行政の働きも大事ではあるが、やはり村の人たちがどう暮らしていきたいのかを話し合いながら、自分たちで暮らしの課題を解決していくことを考えていきましょうと、コンサルティングと言うより、呼びかけて、活動していく人たちを増やしてきた事業だと思っている。
話し合いの場づくりからプロジェクトの立上げ
  • 今、4年目だが、最初は話し合って物事を進めるという文化がなく、行政から呼びかけがあれば各集落の長老が出てきて、女性や新住民の人たちが意見を言ってまちづくりに反映させるということは全くできない状況だったので、そういうことではなくて、まず、暮らしの中からどんな課題を選ぶかということを話し合いましょうということで、女性たちや新住民の方たちにも呼びかけて、話し合いを進めていった。1年たったところで、やはり自分たちの課題は自分たちで、役場任せことにしないことが重要ということを実感していき、食事を一緒に作って食べることを自分たちでやってみて、改めて、重要性を感じて、外から与えられた情報でなく、自分たちの中からわき出る元気から事業をやってみよう、ということで、3年でプロジェクトを3つ立ち上げた。
  • 1つは、高齢の人たちが昔からお茶飲みをしていたが、そういう文化もだんだんなくなってきたので、お年寄りが立ち寄れるお茶飲みの場を作ろうというプロジェクトをある地域で始めた。それぞれの集落で全然性質が違って、なかなか出てこない人もいたり、話好きな人がいて盛り上がる集落もあれば、参加者がお客様でお姫様みたいになっている集落もあったりと、いろいろな状況がありながら、1つの地域で始まったものが3年たって、全集落に広がって、自主的な運営にまで発展した。
  • その他、移動手段の問題が大きく、車を運転できない人たちは公共のバスに頼るが、そのバスも便が減って全くもって不便になり、移動手段を考えるチームや、買い物支援をするプロジェクトができた。買い物支援は、なかなか自分たちで買い物に行けないという話が出て、最初、買い物サービスや移動販売をやってみたらという話も出たが、よくよく議論したら、自分で出かけて物を選ぶことが重要ということが見えてきたので、最終的には「買い物ツアー」を役場にお金をつけてもらって始めた。そうしたら、身繕いをしてみんなで出かけて、何も買わなくても色々な商品がある所で選べて、帰りにはみんなで食事をしたり、どこかに寄って遊んで帰ってくることが楽しいと村の中で評判になって、どんどん対象者を広げていかなければいけないということになった。しかし、村役場の予算でやっているため、買い物支援なのに遊びに行っていいのかという意見も出てきて、いずれは役場の力を借りずに村民のコミュニティでやっていける可能性を考えて行かねばと言う話をしている。
  • このようなことは、役場の福祉事業ではなかなか起こり得ないきめ細かなことだと思う。行政がやるべきことを村民が考えて、自分たちのニーズの中から仕組みを作っていくために、お互い役割分担が必要ということになってきている。担当課である住民健康課の担当者はコーディネーターとして4年やってきて、村民のニーズから事業を興すとことの大切さがわかっているが、まだ行政自体がそういう状況になっていないので、むしろこれから行政がそういう仕組みをつくっていって、課を横断したプロジェクトとして対応してもらうように村民から行政に働きかけている状況である。

松陰コモンズのパブリックコモンの取組みについて

CHC狩野氏
  • 最後に、締めとして、松陰コモンズの紹介をする。
松陰コモンズついて
  • 実は、初めての事業として、私たちが個人の家主さんから築150年の民家を借り上げて、7人の居住者が住みながら、お座敷を地域に開いて、コミュニティをつくっていくという実験プロジェクトを行ったのが「松陰コモンズ」である。
  • 元々家主さんが、ご自分が育った家でもあり、相続したものを捨ててしまうという重圧と戦って母屋を残すか売るかという状況の時にお会いし、やはり何とか残したいので誰か活用してくれる人がいないかということだった。個室がたくさんある住居で、コレクティブハウジングの考え方で、コモンスペースをもって、居住者たちが共同で運営していくことがもともと念頭にあったので、シェアハウスの形ではあるが、お座敷を地域に開くことで居住者がコミュニティのネットワークを広げていく試みのプロジェクトとして始めた。
建物の使い方と運営状況
  • 各個室には水回りはないので、キッチン、お風呂、トイレなどを共有して共用の生活空間をプライベートコモンとし、パブリックコモンという20畳のお座敷と縁側を外に貸し出して、7人の居住者が住みながら運営することで、この家や居間などの環境も守りつつ居住者もその良さを享受できる。普段、働いている人ばかりなので、7人だけではお座敷も使い切れないので、風を通すという意味でも、外の人たちにも使ってもらって、自分たちも豊かに暮らそうという試みだった。
  • 8年間この事業をやって、最初の5年たったぐらいのときに、貸し出すスペースとして有名になってしまって、本当は、居住者は自分たちの暮らしを豊かにするために、こういった住まいを開くことを理解してくれる仲間となる様な人々にお座敷を使ってもらいたいという思いだったが、利用者がお客さん化してしまった時期があって、お座敷を一回閉じた。
  • その後、居住者の皆さんとCHCでよく話をして、居住者の皆さんがやはりお座敷を開かないと味気ない暮らしになってしまうということで、利用者がお客さん化しない運営の仕方を考え、再び開くことにした。その後、地域の育休中のお母さんたちが、この地域で自分たちが交流する場を持てないということで、このお座敷をよく使ってくださった。
プロジェクト期間を終えて
  • この試みは、コモンを外に開くことで、地域の人たちともつながるような暮らしを想像していたが、やはりこの時は、1人の大家さんで、私たちが1つのNPOで運営をするというような形以上のことにはならなかった。もっと多様な人たちが関わって、地域の人々が自分たちのコモンとして利用して、ネットワークが広がっていくためには、地域の人や利用者も共同して運営者になっていくことが必要ということを感じ、私たちも多くのことを勉強させてもらった。
  • この建物は、8年経ってお返ししたが、まだ壊されておらず、このお座敷をよく使って下さっていた方々を中心とする子育て支援グループと家主さんがお座敷を運営し、子育て支援などに使っていらっしゃる。
家賃について
  • 私たちが借り上げていた家賃は最初の5年間は格安の12万5,000円だった。ただ、かなり雨漏りや床が抜けている所があったので、最初に350万ぐらいかけて改修した。その後まだ雨漏りがあったので、100万円ぐらいかけて再び改修し、3年延長したときに家賃25万でお借りした。居住者にも最初は安い家賃で借りてもらっていたが、借上家賃の値上げに伴い、居住者の家賃も上げた。周りのワンルームと変わらないような金額になってしまうこともあり、よくよく居住者の皆さんと話し合ったが、この空間の豊かさや人との関係の豊かさは、ワンルームでは絶対得られないものなので、それだけの家賃の値上げでも是非住みたいと、最大で1万2,000円値上げした部屋もあったが、みんな継続して住んでくださった。

今後の展開

CHC狩野氏
  • コレクティブハウスは、今のところ、4軒全て集合住宅形式だが、今ご紹介した事例のように、まちをコレクティブに運営することを今後さらに広げていくことが望まれているだろうなと思っており、私たちとしてもそちらの方向にも展開していきたいと思っている。
  • 実は、これから豊島区で、空き家を活用してまちをコレクティブ化していく試みを始めようとしている。地域とつながりながら暮らしたい方を募集し、空き家で困っている地元の大家さんや不動産業者さんはたくさんいらっしゃるので、地域をつなぐ仕組みとして私たちが支援していくことを考えている。コミュニケーションが地域で生まれ、かつ、空き家自体も減って、そのまち自体が安心できるつながりを持つ地域になって、色々な人が住んでいける、コミュニティによって支え合えるようなまちになればと思っている。
  • 先ほど松陰コモンズで、その先の展開のためにはもっと色々な人たちに関わってもらうことが必要だと思ったという話をしたが、豊島区では、コミュニティによってお互いが支え合うこととは別に、一人一人が別の支援が必要だということも十分あり得ると思うので、例えば、障害のある方などが自分らしくコミュニティの中で暮らし、支え合いの輪の中に対等な関係で居られる自立性を持つために、直接的な支援をNPOや行政がするような重層的なやり方でまちに住んでいくということが仕掛けとしてできたらなと思っている。
CHC宮前氏
  • コレクティブハウジング社は今12年目で、コレクティブハウだけではなくこんなに色々なことをやってしまうのかというのは、内部でも議論があるが、コミュニティをどうみんなが作っていくかという軸はぶれていないと思っていて、今後はタウンコレクティブ、空き家の一つをコモンハウスにして、地域の人たちがそこに集まって一緒に活動するという試みをぜひやっていきたいと思っている。それは決してコレクティブハウスをつくるということから外れない。町中のコモンハウスを使ってもっと広い可能性とつながりを探していくことが目指せたら、快適な暮らしができるのではないかと思っている。
玉川まちづくりハウス林氏
  • 僕は、自分でも地域でまちづくりをやっているが、まちづくりはやっているうちにだんだんまちづくりの形ができてくると思う。つまり、始めようとしているこの新しいタウン事業はコレクティブタウンサービスみたいなこと。まち全体のコミュニティのイメージはみんなまだあまりできていないと思う。
CHC狩野氏
  • かつて、まちづくりは、暮らしとか住まいとか家族というものが置いてきぼりになって、表側のものだけがまちづくりというふうに捉えられがちだったが、もう少し、住まい、生き方にこだわって、そういうところからまちというもの自体も発動していくことで、自分たちの暮らしやすさが見えてくるのではないかと思っている。やっていることとしては、コレクティブハウジング社と言いながら、南三陸町の仮設コミュニティづくり支援などもやっていたりするので、皆さんにわかりにくいんだろうなと思う。
CHC宮前氏
  • 人と人はどうしたってつながっていってしまうもので、コレクティブハウスだけつくって、そこでこれだけの暮らしをしていればいいということでは足りなくて、ここに住んでいる人も、仕事もしているし、地域とのつながりは欠かせない。なおかつ、一人一人の人が、時間を経過してだれでも老いていく、そういう自分で多世代を体験しながら生きていくということを考えると、暮らしというのは、生活そのものなので、まちづくりとか地域づくりということだけではなく、生きることともう1つの活動という形で、多くの人がやっていけるようになっていけば、それでいいんだろうなと思う。

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