街に、ルネッサンス UR都市機構

街みちネット 第9回見学・交流会「仮設市街地・集落からの復興」

これまでの活動の紹介

活動議事録

仮設市街地・集落からの復興
仮設市街地とは

濱田 甚三郎 氏
  • 仮設市街地の定義は、復興までの暫定的な生活を支えるために設ける仮の市街地や集落と定義している。この仮設市街地は阪神・淡路大震災の時に生まれた言葉で、15~16年使われている。 3年ほど前に学芸出版から「提言!仮設市街地」という本を出版しているが、この東日本大震災が発生して、出版元では在庫がなくなり本屋に残っているのが最後なので、見つけたら是非お求めいただきたい。
  • 仮設市街地には4つの原則がある。
    ○地域一括の仮設暮らし
    ○被災地のそばでの仮設暮らし
    ○被災者が自ら立ち上がる被災者主体の考え方
    ○応急仮設住宅だけでなく被災後の生活を支える色々な施設が必要であるという生活総体の考え方

東日本大震災でなぜ仮設市街地・集落か

濱田 甚三郎 氏
宮城県・内閣府の災害対策本部での支援業務
  • 私達が最初に東北にお邪魔したのが4月7日からの4日間だった。最大の余震があった日で、宮城県に入るか入らないかのところでサービスエリアで余震に遭い、広範囲の停電があって、 高速道路を降りて信号のない一般道を必死の思いで田野畑村まで行き、そこから名取市の閖上まで歩いた。それから全部で12回現地に通っている。若干の助成金はあるがほぼ手弁当である。
  • 色々なところを拝見したが、主に遠野市と陸前高田市の長洞地区で具体的な支援を行っている。それから、これから応援しようというところが釜石、気仙沼、南三陸等である。
  • なぜ東日本大震災で仮設市街地・集落か必要かというと、被災地が限られていた阪神・淡路大震災と様相が異なり、根こそぎ町や集落が消えているからで、4月頃に国交省のある課長の意見として 日経新聞の一面に「仮設の街が必要」と掲載されたり、中小企業庁が仮設店舗、事務所、工場を、土地を地元が用意すれば無料でつくり使ってもらうということを始めたり、 厚労省も仮設診療所をつくるなど、住宅だけではとても間に合わないことに多くの方が気付いた。

仮設市街地についての提言

濱田 甚三郎 氏
提言1、2
  • 提言1と2は被災自治体あるいは支援自治体向けで、内容は似ている。
  • 1つは抽選ではなく、集落ごと、地区ごとに住めるようにすることである。3月25日の時点で抽選を始めていた。もう1つは、仮設で仕事の準備くらいはできるようにすることと、 復興の話し合いをする場だということを考えて作るということである。
提言3
  • 提言3は、仮設に大型客船を使うことである。田野畑村から名取市まで歩いた時に、当時必要と言われていた72,000戸の仮設では足りないと直感した。そこで売りに出されていた2隻の大型客船を 使うことを考えた。費用は仮設の3分の1くらいで、重要港湾があるので停泊もできる。チリ津波の時に大型客船が脱出したケースもある。それを漁民の基地や加工業者の方のねぐらにしてもらおうと考えたが、 政府がもたもたしている間にその船はスクラップになってしまった。
提言4
  • 提言4は、仮設住宅の全体での戸数をはっきりさせるということが1点目である。例えば土地が足りず後から民有地を使うことになったというのは当たり前で、最初からどこにどれだけ確保するか明確にし、 必要なら民間の協力もお願いしながら全体計画を作ってほしいということである。
  • 2点目は集落ごとの仮設住宅への再編を進めることである。山古志村ではヘリコプターで脱出し到着順で避難所に入って、集落はバラバラになってしまい、村役場は連絡がつかずに大変困った。 抽選で入った仮設住宅の住み替えを進めて、集落ごと、地区ごとにしてほしいという提言をした。
提言5、6
  • 提言5は、仮設に行くと、抽選なのでほとんど交流がないのか静まり返っているところが大部分だったため、仮設でコミュニティづくりを推進するコンシェルジュのような人を、 役所で雇っていただいたらどうかということを申し上げた。
  • 提言6は、ある段階から本格的に仮設市街地をつくろうと言った。これはまた後ほど説明する。

実践1:遠野市での活動

濱田 甚三郎 氏
  • 遠野市長は大変ユニークな方であった。元々県の防災課長をされていた方で、今回、親しくさせていただくようになった。
  • 遠野市長が最初、遠野市と「縁(えにし)」がある釜石や大槌の人を救うために仮設をつくろうと動き出したが、県は無視し続けた。3回目にお会いした時に、厚労省はペア型仮設を進めたがっているから 厚労省が乗ってくるかもしれない、ということを申し上げた。東大チームにもフォローしていただき、遠野市内の木材加工団地の協力によって、役場のすぐそばに立派な仮設ができた。ここはたかだか40戸だが、 仮設ではもったいないから残して老人施設に使うそうだ。
アーケードとウッドデッキのある木造仮設住宅

実践2:陸前高田市・長洞集落での仮設集落づくり

濱田 甚三郎 氏
支援のきっかけ
  • 陸前高田市の長洞地区はNHKの番組で知った。色々な活動をして、集落の方が集落の中に土地を見つけて仮設をつくりたいと言っているが役所はいい顔をしない、というところで番組は終わっていた。 そこで我々がその集落に出向いて、応援させてください、と言ったのが4月9日だった。
被害状況と自衛策
  • この地区は60世帯中28世帯が流された。市の中心部との間を東西から津波が襲い、陸の孤島化した。
  • 集落の方は大変な自衛策を採られた。まず、野菜、米の拠出をし、1ヶ月篭城できる量の食料を集めた。次に薬の手配をした。年配の方の薬を、若者がリストを作って道路を啓開して 町の薬局まで取りに行った。また、ひっくり返った車や船から燃料を抜いて発電機や共用車の燃料を確保した。
  • 学校も休校で、当時子供達は家の中に閉じこもったままだったそうだが、これでは具合が悪いということで、庭がある一軒のお宅をお借りして、学校をつくった。「長洞元気学校」と名付けられた。
  • また、この集落は海辺の公民館が流されたが、32世帯の家屋が残っていたので、そこに分宿した。
  • これらの生き延び策は「結(ユイ)」そのもので、その精神が生き延びさせたのだと思う。
子供たちの共同勉強室
仮設集落の土地について
  • 自治会の副会長が仮設担当になり、集落の中で1,200坪、4人の地主に仮設をつくると話をつけて役所に申し出たら「仮設には税金が入るので役場が決めた土地にしかつくらない方針だ」と言われた。
  • 私共が役場にお願いに行き、市役所の顔をつぶさないように地域優先ポイント制度を提案したが、仮設は県が作るということなので、県に行ったらもう決めてしまったと言われ埒が明かない。 仕方がないので、東京に帰って国に行き、こんな理不尽なことがあるかと言ったら、直ちに国が動いて、ほぼ1週間で、その土地に仮設が建つということが決まった。
  • 結果的に集落内の方のための仮設が26戸に集会所もできた。通常26戸クラスでは集会所はないが、特別に配慮していただいて付けてくれたのだと思う。そして7月14日に入村した。
仮設集落ができるまで
  • 仮設ができるということになって、我々は喜び勇んで連休に現地に向かった。集落の方との復興懇談会を行い、その結果を受けて絵を描いた。また、28世帯の一軒一軒に私が再建の可能性を聞き出した。
  • その結果を要望書と計画書として手書きでまとめた。現役の気仙大工がいらっしゃり、測量図を作ってくれた。1,200坪に高低差が6mくらいあるので、なだらかな地形を活かして、長屋ではなく 二戸一をやさしく並べるような配置にしたいと考えて計画を作ったが、連絡の行き違いがあって他の建設事業者の計画となった。やや地形がならされたが、集会所もできるのでいいかということになった。
  • 7月17日の開村式は、そうめん流しをしたり、チンドン屋が来たりと大賑わいだった。

復興計画づくりへ

濱田 甚三郎 氏

復興に向けた動き
  • 仮設ができたので、次に復興の話し合いを始めた。集落の人たちは奥尻と中越に視察に出て、奥尻の町長や山古志村の元企画課長に会うなどして、勉強をした。
  • 集落では新しい浸水区域標を港にあった廃材で作り、昭和8年の津波の碑が倒れていたのも直し、農地も除塩をし、海辺でひっくり返っていたエビス様の像も立て起こした。 地区の伝統の長洞太鼓が流されてしまったが、UIFA JAPON(国際女性建築会議)が太鼓を贈呈し、その贈呈式も先日行われた。
  • 広田湾では、定置網が再開され、12月のある日の漁獲高が13t、売り上げが200~300万くらいで、2mくらいのカジキマグロが獲れた。漁業も少しずつだが起動しはじめた。
平場で仮設市街地をつくる必要性
  • 今求められていることは、提言6の内容になるが、平場で本格的な仮設市街地を作ることだと考える。
  • 陸前高田市では市長と意見の食い違いがあった。被災した市の中心市街地に盛土をして、その上に新しいまちをつくるという計画があるが、盛土をすると土が落ち着くのに時間がかかる。 被災3県の人口減少が合計65,000人という報道もあり、それでは新しくまちをつくるまでに人がいなくなってしまう。今は仮設住宅も仮設店舗も山側に点々とあるが、若い人が働ける、 あるいは集える場所をつくらないと、まちは死んでしまうのではないか、と市長に申し上げた。山際の平場に仮設のまちをつくって元気をつけて、その脇を盛土して、経済力がついたら盛土の上に移ればいい。 あれだけ広い場所を、一括して盛土するから触ってはいけないというのはおかしいと言って議論になった。平行線で別れたが、ともかく平場は瓦礫の山で夜は闇というのを放っておいたら町にならないと思う。
神戸市長田区久仁塚地区の事業用仮設を利用した復興
  • 例えば、神戸市長田区に久仁塚という地区があり、再開発の区域でパラールという商店街を作った事例がある。震災2週間後にまちの人たちはここで商いをしないと生きていけないということで、 しらみつぶしに電話をかけ3haのうち1haを借りた。それから市役所にここで再開発事業を行うことを確認して、仮設の店舗と住宅を約100軒ずつ発注した。その後、再開発事業の計画決定があり、 発注した仮設は事業用仮設に鞍替えしたので、住民の腹は痛まず区役所が責任を持った格好になり、結局4年5ヶ月営業して、駐車場経営もして1億8千万くらい稼いだ。それが今、再開発ビルに移っている。
  • そういう事例もあるので、山際の平場に一団的な仮設のまちをつくって、久仁塚方式で経済力を付けて、区画整理でも再開発でもビルができた時に、移ることをやりましょうと言っている。 事業用仮設はあまり話題になっていないが有り得ると思っているので、是非皆さんに考えていただければと思う。

東京で仮設市街地はつくれるか

濱田 甚三郎 氏
東京での仮設住宅の必要戸数と供給可能戸数
  • 東京で首都直下地震が起きた時、私たちは仮設住宅が大体25万戸くらい必要だと試算しているが、プレハブ建築協会は仮設の建物の供給能力は昨年の公表だと、6万8,000戸である。 土地に関しても東京都が各区市に依頼した試算の結果、合計7万戸である。必要戸数に対して全然足りていない。
仮設市街地の必要性
  • 東北では、応急仮設が約52,000戸、「みなし仮設」もほぼ同じ約52,000戸となっている。仙台市の都市部では応急仮設1,000戸に対してみなし仮設が8,000戸という状況である。
  • 経済学者で「社会資本の有効活用が重要で、みなし仮設は応急仮設に比べて安く、解体する必要もないので、みなし仮設を増やすべき」と声高に言う人がいる。私たちは、被災者が ばらばらになったらどうやって話すのか、どうやって連絡を取るのか、復興どころではなくなってしまうと考えている。
  • 仮設市街地は被災市街地の復興拠点なので、なるべく仮設市街地をつくる方向で考えるべきである。みなし仮設を供給することは止むを得ないとは思うが、少なくとも連絡網はつくり、 復興協議への参加の道を付けておく。今回総務省が発動したシステムは中途半端に終わっている。おそらく東京だと散々なことになるだろから事前に考えておかないといけない。
  • 仮設市街地をなるべく多くつくるには民有地で勝負するしかない。公有地には限界があることは東北で証明された。民有地を一時使用あるいは自己所有地をつかうという道をつくる、 あるいは2~3階建ての仮設、単身用の仮設など色々数をかせげる工夫をする。それから自前でつくるものも応援する。
東京で仮設市街地をつくる上での課題
  • 私は、東京都の1997年の都市復興マニュアル、2003年の震災復興マニュアルの両方に関わった。その当時の副知事に言われ「時限的市街地」という名前に変わっているが、 東京都の震災復興マニュアルにはそういうものをつくることを応援すると書いてある。しかし宿題だらけである。
  • 土地の手当てについて農協と話しているが、個別農家と契約しているわけではない。例えば横浜や船橋では具体的に農家と市役所が話をして、農地に「いざという時にここに仮設を建てる」という 看板が立っている。杉並の高井戸では神田川沿いに企業グランドがたくさんある。あれを全部交渉して、いざという時に使えるように交渉する、そういうことをやらないとだめだと言っている。
  • それから都立公園の震災時利用計画がある。私たちの主張を東京都が受け入れて作られたもので、いざという時の公園の段階別の使い方を示しているが、それは地元の区と協議したものになっていない。 今日は区の方も見えているが、それは是非、東京都に見直しをするように要求すべきだと思う。仮設市街地を東京で作る上でやることはたくさんあると我々仮設市街地研究会は考えている。
NPO復興まちづくり研究所の立ち上げ
  • 仮設市街地研究会はここ10年ほど活動しているが、長洞などでは仮設の次の復興のお手伝いまで連動して進めているので、NPOの「復興まちづくり研究所」を立ち上げることにした。
  • 新年になって陸前高田市の副市長からお電話を頂戴して、「今回できた内閣府の専門家支援制度に推薦するから頑張って」と言われ、ようやく行政に認知されたというところかな、と思う。 これから行政と仲良く紳士的に、かつ、筋を曲げないで付き合っていきたいと考えている。
会場の様子

まとめ

NPO玉川まちづくりハウス:林氏
  • 震災からほぼ1年近くが経ったので、今日の話題の中で実際に突破しないといけないし出来るはずだということを、街みちネットでいつも集まるメンバーだけではなく、関心のある人に呼びかけて集まって 一緒にやりましょうというようなアクションを起こした方がいいというのが今日の感想である。そういう意味で今日はワークショップのように意見を出していただけると非常に良いと思うので、 感想を書いていただければ嬉しい。自治体の方が見えているのも重要なポイントだと思う。どうもできることがまだまだありそうだということがお二人の話で大分出てきて、濱田さんのようなやんちゃな、 しかし紳士的にやるという方など、様々な方の取り組みで次の新しい可能性が出てきたらいいと思っている。

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