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街みちネット 第5回見学・交流会「事業に参加した権利者からのお話」

これまでの活動の紹介

活動議事録

事業に参加した権利者からのお話

篠崎駅西部地区まちづくり協議会代表幹事:浅岡氏
  • この地区は、いわゆる東京農村で、戦時中、軍の滑走路が建設される途中で敗戦を迎えた。そして農地解放で各農家に払い下げられた純然たる農地であり、家は1軒もなかった。
  • 昭和35年に食糧増産目的の土地改良事業が入り、我々の先代の時代に将来に亘っての長期ビジョンが検討され、幹線道路8m+農業用水1mで9m、一番狭いところでも6mの道路整備が行われた。
  • 昭和61年に地下鉄都営新宿線が篠崎まで開通した。この頃からかなりミニ開発が進んでいた。
  • 区画整理事業の網は既にかかっており、当初は、篠崎駅東側で都施行で行っているような全面解体の計画だったが、バブルがはじけたこともあって進まず、平成6年に一旦その計画は諦めた。
  • しかし、密集しているし災害に対しての危険度も高いので、区画整理を進めるため、平成10年にまちづくり協議会を立ち上げた。当時は大半の地権者の方が全面解体という意向だった。
  • 役所が行った全面解体での積算によると、面積が大きい方は地域によっては4割の減歩、他の方も清算金がかなり課せられ、大変なお金がかかる。これでは進まないということで、まちづくり協議会の総会で、今の幹線道路を活かして負担の軽いブロック毎の整備をしていくということになり、修復型の整備を取り入れた連鎖型の手法で進めることになった。
  • 上四地区は密集して空地が全くなかったので、全面解体となった。これもかなり時間がかかったが、ミニ開発の私道をつないで4mの生活道路を確保することを提案したら皆さんが賛同してくれた。
  • 会合の回数もかなり重ねており、幹事会も12年目でもうすぐ60回になる。ようやくこれだけ進んで駅前の再開発が終わり、もう一息といったところで、お互いに頑張っているところである。
  • 今の案でも素晴らしいと思っているが、地権者の中にも「あれは区画整理ではない」などと色々な意見がある。今も反対者の抵抗が多い中で頑張っており、何とか連鎖型で完了させる予定である。
上篠崎四丁目地区建設協議会会長:高橋氏
  • 約12年前に行政の方から区画整理でのまちづくりの話を持ちかけられた。40~50年前にもそういう話が持ち上がったが、当時は家も新しく、反対者もいたので、立ち消えになってしまっていた。
  • 私道の幅員が狭すぎ、緊急事態に車両等が入れないという状態から始まり、私達役員が色々相談して、行政の方、コーディネーターの方と一緒になってまずは勉強会からこつこつとやってきた。
  • 私道の拡幅の検討から、一部共同化にしようという話が出て、コーポラティブの共同化住宅の見学会を3~4回行った。住宅の中まで見せてもらい、希望者の方は大分満足されたようだった。
  • 共同住宅には住戸が20戸入るということで、部屋の割り振りが不安だったが、問題なくスムーズにまとまった。残りの住戸は建設会社が売却するということで、今は建設会社が一戸所有している。
  • 私が心配だったのは、地権者がほとんど戸建の方で、整地をするにあたって、減歩の問題を大変心配して長引いたことだったが、行政の努力によって話し合いでまとまった。今になってみればそれほど心配する必要もなかったかなと思う。

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