街に、ルネッサンス UR都市機構

そして団地に戻った

瀧口 寿彦(多摩市市制施行50周年記念市民事業実行委員会 実行委員長/映像作家)

第一部 団地に戻るまで

加来さんのお話を聞いて、団地特有の共通点があると感じました。僕は東京都の稲城市と多摩市と八王子市に連なっている多摩ニュータウンに住んでいます。「そして団地に戻った」というテーマですが、僕が団地に戻った理由を中心にお話しします。まず、僕は1973年生まれ。第二次ベビーブームの世代で、同級生が多く、町中に子どもが溢れている時代でした。僕は生まれた時から団地住まいで、現在の職業はCMディレクターです。加えて多摩市とニュータウンが今年市制50周年を迎える、記念事業の実行委員長として活動しています。

(1)福生団地での幼少期

東京都福生市にある福生団地に生まれ、8歳まで暮らしました。福生団地は5階建ての昔ながらの団地が連なる場所です。多摩川が目の前で、遊ぶ所も豊富で自然豊かでした。第二次ベビーブームの世代なので、近所にも同級生が多く、みんなが家族のようでした。建物が古く、耐震や騒音の問題もあったようですが、子どもながらに団地はひとつの家という感覚がありました。

(2)多摩ニュータウンでポジティブな青年へ

小学校4年生の頃、多摩ニュータウンに引っ越しました。第一印象は、綺麗で空が広く、光り輝くようだとワクワクが止まらなかったことを覚えています。近所のご高齢の方とお話しすると、多摩ニュータウンは憧れの場所で、抽選に何度も落ちつつ、憧れを持ってやってきたというお話を聞きます。僕も当初、福生と違い、歩車分離になっている未来都市のような印象を小学生ながらに抱きました。小学校も転校生が多く、未来の空間に色々なところから人が集まってくる場所がニュータウンで、僕たちはすごいところに住んでいるという実感がありました。その結果、福生時代の友だち家族が次々と引っ越してきました。僕の家に遊びに来た友だちが多摩ニュータウンのよさに気づき、引っ越してきたのです。18歳まで多摩ニュータウンの落合団地で両親と妹と4人暮らしをしていました。目の前には敷地内に芝生があり、南向きの窓から日がよく入り、北向きの窓から風がよく通っていて、夏でもクーラーなしで過ごすことができました。暮らしていると、家族みんなが明るい雰囲気になりました。間取りは2LDKです。4人暮らしで狭いなと思ったことはなく、家族がひとつの空間で回遊できるには程よい間取りであると感じていました。ポジティブな家族が団地によってつくられたと思っています。その結果、「俺は映画監督になる」という現実離れしたポジティブな青年が誕生します。

多摩ニュータウン
多摩ニュータウンにて小学生時代の瀧口氏
(3)恵比寿、二子玉川で映画監督へ突き進む

僕は19歳で自主映画を撮り出して、映画監督になる道を突き進んできました。実際に20歳の時に1本映画を撮り、ぴあフィルムフェスティバルという映画祭で入選しました。映画だけでなく、テレビ番組の監督もやりました。5日間寝ないこともザラにある職業のため、多摩ニュータウンまでの新宿から30分の時間を確保することもできなくなりました。団地以外でも暮らしてみたくなり、恵比寿のマンションと二子玉川に10年くらい住んでいました。多摩ニュータウンにはない刺激や創造が蓄積されたと思います。街は似たような価値観の人が集まる場所だと思っていて、恵比寿の人は似たような刺激や創造性を持っていて、そのような人たちとお互いに刺激を与え合いながら、ものづくりをしているのは自分にとってよい経験でした。ただ、24時間365日仕事をしている感覚はありました。家は、住まいというより休憩所のようで、日々の街並みの変化に気がつくこともなく、ただ身を置いていただけだったと思います。一方で、芸能人など、その土地でしか出会えない人と出会えたことは財産でした。憧れの街である恵比寿や二子玉川で暮らしてものづくりをした結果、「俺は世界を変えられる」というもっともっと現実離れしたオヤジが誕生しました。

(4)多摩ニュータウンへ戻る

僕は2010年に結婚して、多摩ニュータウンに戻ることになりました。実家の団地には、ひとり暮らしのおばあちゃんがいて、両親は同じ敷地内の隣の団地に引っ越していました。おばあちゃんが他界したこともあり、僕が戻ることになりました。僕はなぜか衝動的に団地に戻ろうと思ったのでした。団地の空間や人が好きで、自分自身が自然体で過ごせるという、CMディレクターとしては失格のような答えになってしまうのですが、なぜ戻ったのか分からないのが本当の気持ちです。

(5)団地の一室をフルリフォーム

2017年に娘が誕生しました。そこで、フルリフォームをすることで娘を迎え入れようと、僕の第三章の団地生活がスタートします。フルリフォームなので1カ月ほどかけて、すべて一から室内をつくるために700万円くらいかけました。今あるものをすべて取り払って、子どもや家族がどのような回遊をする生活がよいのかを考えました。団地はリフォームがしやすく、コンクリートさえ傷つけなければ自由にできます。外観は変わりませんが、中は暮らしに合わせて好きにリフォームできる点は魅力的です。

リフォーム前(撮影:瀧口氏)
リフォーム中(撮影:瀧口氏)
リフォーム後(撮影:瀧口氏)

第二部 メディアを使って団地の活気を広める

今は多摩市市制施行50周年の記念事業の実行委員長をやっています。行政のイベントはどうしても市民が置いていかれているという印象を持っていたので、市民が自分たちのやりたいものをつくる土壌をつくりたくて、2020年頃からさまざまな市民事業を展開しています。

(1)多摩市オンライン文化祭

去年はコロナでなかなかイベントができなかったのですが、去年は「多摩市オンライン文化祭」というかたちで、YouTubeを3チャンネル使って6時間ほど生中継をしました。なぜこれをやったかと言うと、ある中学生の女の子が僕に、学校でフルートの練習ができず公園で練習していたところ、リモートワークをしていた大人たちからクレームが入り、練習する場所がないという話をしてくれたことがきっかけでした。みんなそれぞれ事情があることを理解し合い、ニュータウン全体で共有ができれば、もっと豊かになるのではと思い、オンライン文化祭を実施しました。生中継でしたが2万人以上の方が視聴してくださり、たくさんの方々が自分たちのコンテンツを発表してくれました。最後は打ち上げ花火も上げました。コロナ禍だからこそ市民が繋がるかたちを模索しながら、いろいろな事業を考えて実践しています。自分の故郷の50周年を自分たちでつくれるのはありがたいことで、色々な方々と出会いながらクリエイティブなことをすることは非常に刺激的で、これがものをつくる喜びだと感じています。まちが人を呼び、人がまちを育てていくのだということを、自分でも実感しています。

(2)テレビでの発信

NHKさんからもドキュメンタリーで取り上げていただきました。その時は以前住んでいた人からも手紙をいただきました。「自分たちの故郷が少しずつでも活性化している様子を見られてありがたい」という声もいただいています。みんなが持っている心の故郷をメディアを通して活かして行きたいと思っています。近所の商店街でいつも一緒になるおじいちゃんも、テレビの紹介が来た時に喜んでいて、自分の孫に見せたいと言っていました。メディアを使って、自分たちの街の元気な姿を届けていきたいと思っています。

第三部 たくさんの物語によってつくられる住まい

僕が思う団地の魅力は何かとずっと考えてきました。団地の魅力は、世代を超えた大きな家族の集合体であることだと思います。うちの団地はありとあらゆる世代の方がいらっしゃるのですが、ひとつの大きな団地の中で毎日挨拶を交わし、子どもの成長をみんなで見守ることができる点が魅力だと思います。そこには世代を超えた仲間意識があると思っています。団地には様々な物語があります。他の人に声をかける場面がたくさんあるので、そこから生まれる物語が、ひとつの団地をつくっていると思います。物語がある住まいは面白い。団地がひとつの映画のように物語が進んでいき、自分も物語の登場人物として人と人との繋がりが感じられる。団地とはそういう場所だと改めて思っています。僕の家は祖母、両親、僕、娘と4世代で暮らしてきて、それぞれの物語が詰まっている場所です。これからも物語が色々なところで繋がっていき、こういった場所が未来へ繋がっていったらよいと思います。

4世代がつながるストーリー

Q&A

松村 ありがとうございました。僕は関西人なので、関西のノリで突っ込ませてもらうと、なんで福生に戻らんかったんや!と思うのですが、福生でなく多摩市へ戻ったのは何故ですか?

瀧口 僕の中での故郷は多摩市なんですよ。

松村 ご自分の中で楽しい記憶は多摩市が多いんですね。

瀧口 福生は横田基地があったり古い街だったのですが、同じ団地でも多摩ニュータウンは歩車分離も進んでいて、空が広く、憧れの街でした。

松村 戻った理由を考え直したけど分からなかったというのは面白いですね。自然と足が向かったということでしょうか。

瀧口 団地の魅力を普段考えることはないのですが、自分の心と向き合った時に、言葉は出てくるのですが、すべて嘘っぽく感じてしまって、団地はその空間が気持ちよいんだと思うようになりました。

Q:団地にはプライバシーがないように感じたのですが、思春期のころに抵抗はありませんでしたか?

瀧口 抵抗はなかったですね。人と会話することがポジティブで、むしろ、恵比寿や二子玉川の方が、人の顔が見えない気がして物足りなさがありました。

Q:ご自身の商業系の作品の中で団地を登場させる計画はないのですか?

瀧口 まだ自分の作品で団地を登場させたことはないですね。映画になると今はどうしても商業ベースになってしまうので、自分がストーリーをつくることが難しくてできなかったのですが、いつかは団地とコラボして、住んでいる人の本当の姿を作品として残したいですね。

松村 中登美に撮りに行くという手もありますね。これを機会に。

瀧口 祖母が奈良にゆかりがあるので、ぜひ撮りたいですね。

メニューを閉じる

メニューを閉じる

ページの先頭へ