街に、ルネッサンス UR都市機構

2019年6月UP

響原復興住宅の設計者の方々にインタビューを行いました。

シーラカンスK&H (株)

設計者

シーラカンスK&H (株)
建築家:工藤 和美 氏、菅野 龍 氏、有光 史弥 氏

聞き手

UR 都市機構
本社 技術・コスト管理部 設計課:村上 修一(※)
九州支社 熊本震災復興支援室 住宅建設課:波多野 晃、大平 丈
(肩書きは平成31年3月末時点)
※平成29年度に設計担当課に所属

(2019年3月 インタビュー実施)

Q1 設計に当たり、地域の特性をどのように捉えましたか。

工藤 和美 氏

Q2 配置計画や住棟計画ではどのようなことを考えられましたか。

道路を挟んだ従来の向こう三軒両隣の関係性においては、向こう三軒の方と両隣の方とは顔を合わせますが、背合せのお宅とは意外と会わないし、話もしない。これを少しでも良く変えられないか、この地域に合ったものにするためには、配置計画をどうしたらいいか、を当初からテーマとして考えていました。

住棟計画にあたっては、過去の案件など色々と調べていくなかで、将来的な空家や払下げといった課題に配慮した事例があり、これを参考にして、界壁を撤去すれば2戸1化もできる長屋形式を主として検討を進めました。当初は、住戸を複数連結した長屋の案や、長屋と戸建をミックスした案なども検討しましたが、各住戸のそばに駐車場がうまく配置できない、住戸形態の違いに不公平感が生じる、などの課題がありました。最終的には、駐車場の配置もうまくいき、一番差異が少ない二戸一の長屋で設計しました。

配置計画検討図

Q3 「アートポリス事業」の伊東コミッショナーとのやりとりはいかがでしたか。

イメージ図

伊東コミッショナーが東北で震災復興にずっと携わ っていることを、建築界の仲間として見ていました。伊東コミッショナーには、熊本では周辺住戸との関係性が重要という話をして、シンプルでありながら、それに配慮した計画ということを理解していただきました。そういったなかで、東北での経験や「みんなの家」の役割について、いろいろとお話しが聞けてアドバイスをもらえて良かったと思います。

Q4 住宅設計ではどのようなことを考えられましたか。

イメージ図

日頃住宅の設計をする際には、家族の形態など時間軸を踏まえて設計しています。5年、10年すると家族の形態が変わるため、子どもたちが育った後にその家で夫婦がどのように生活するか、ということを設計のテーマにしてきました。今回、それに近いスタンスで、入居された後、家族の形態が変わり、一人さびしい生活にならないためにどうやって開かれた設計にするか、一方でプライベートなところはどうやって閉じるか、そういった点を最初の段階からテーマに考えていました。

お隣やお向かいどうしがお互いの庭を介して感じ取れることは重要ですが、一方で、住宅をあまりにオープンにしてしまうとお互いに見合い過ぎてしまい窮屈になります。そのため、北側は窓開口を閉じぎみにし、南側は大開口でリビングから庭に生活をオープンに出せるようにしました。また、高齢になると和室にベッドを置いている方も多いことから、現実との摺り合わせを考えて、寝室は洋室で計画しました。

住宅周りでは、被災前は庭先でネギなどちょっとした野菜を育てていた日常生活に配慮し、家のそばに小さな庭があって、花を育てるとか、今までやってきた日常の延長を続けてもらえるように考えました。また、駐車場は最初から2台も3台も想定するわけにはいきませんが、地域性を考えると車は1人1台であったり、農作業用の軽トラと乗用車が必要であったり、という現実的な面もあるので、1台分の駐車スペースをしっかり確保しつつ、玄関回りを広くすることで使い勝手に配慮しました。

Q5 厳しい自然環境と共生する住まいのあり方について、どのように設計されましたか。

響原復興住宅

特に、熊本は夏の暑さへの対応が重要です。同時に住む方の光熱費の負担をいかに抑えられるか、都会ではできない自然の通風や採光でうまく対応できないかと考え、基本はパッシブにするにはどうしたらいいかを重視して提案しました。庇が深いような住居にするとか。環境の専門家に風の流れのシミュレーションをしてもらい、有明海から風が山に向かって吹くので、その風を受けて熱い空気を高窓から出すといった仕組みを考えました。シンプルな形ですが高窓を設けて、有明海からの風を流して、夏は涼しく冬は暖かく、採光が取り入れられるように設計しました。

Q6 色彩計画ではどのようなことに配慮されましたか。

南側の庇の下が木で、ほかの部分は比較的落ち着いたトーンです。それぞれの棟で少しずつ色調を変えるように計画しました。全部を同じ色に仕上げるとどこが自分の家かわかりづらい。本当のまちは全く同じではなくて、微妙に違ったりします。やはり、「我が家」ということが番号だけでしかわからないのではなく、日常の中で少し「我が家」ということが意識できるように、色やテクスチャー感の違う材を提案しました。

響原復興住宅

Q7 集会所のデザインコンセプト・和傘の構造について、どのように考えて設計されましたか。

公営住宅は、建物の性格上それほど華美にはできず、質実剛健というか、それをきちんとつくっていくことが求められています。しかし、日常生活の中にはハレの場も必要であり、「みんなの家」がハレの部分を受けとめる建築になり、それをみんなでシェアして、季節や家族の場面ごとに少し華やかな時間を過ごせるように考えました。

構造的な検討をしていく中で、和傘の構造が出てきました。和傘のような華やかなものを「みんなの家」に作ることで、みんなの家を我が家の取っておきのリビングといった感じで共有してもらえるように、構造的にも、意匠的にも工夫を凝らして華やかな場面を設計しました。

さらに、和傘で支えて屋根を少し浮かせることで、夜間には上部のスリット(ハイサイド窓)から人が居る気配を感じ取れるように配慮し、さらに木が重なるところに照明を当てることで、とてもきれいな雰囲気をスリットから見えるように設計しました。

和傘

Q8 大きな庭と「みんなの家(集会所)」について、どのような思いが込められていますか。

こういう一つの集まり(団地)では、大きな庭と「みんなの家」を中心に皆さんで集まって何かできる場が必要と考えました。たくさんの人が集まって話し合うだけの公民館的な部分を超えて、安全を見守れる位置に小さな子どもたちの遊び場があり、住宅では行いきれない、ちょっとした誕生会や何かの記念日など、生活の延長としてみんなで使える、広いリビング的な空間になればと思っています。

そして、近隣の水晶苑や市営住宅など、いろいろな人たちが共有できるような、人の関係をつなぐような場所をつくることが使命であると思い、それは単に内に閉じた部屋だけではなく、キャノピー(半屋外の回廊)があって、いろいろな活動が行え、ここが拠点になるように考えて設計しました。

キャノピーは、急な雨や夏の日差しを遮ることができ、そこにトイレや水洗い場もあり、家で言うと縁側のような空間です。内と外を上手につなぐことがアートポリスの一つのテーマになっていたので、この縁側を内と外をつなぐ場所として設計しました。

みんなの家

Q9 設計を終えての感想はいかがでしたか。

響原復興住宅 内観

今回は宅地の造成から設計に携われたため、だからこそできることがないか、といった思いがありました。〈向こう三軒両隣の関係性〉など、きっちり造成されていたら変更もできず、今回は造成と建築を一緒にやれるからこそ提案できたところです。

ずっと心がけていたことは、災害公営住宅に住む人たちが、悲しさやさびしさを感じることなく、華美ではないけど良い時間を過ごせるように、提案し設計することでした。

住宅に加えて、「みんなの家」を設計できたことで、いろいろな思い出づくりの役に立てる良い空間を実現でき、すごく良かったと思います。また、災害公営住宅は、住まいを取り戻すことも当然の役割だと思いますが、「まちづくり」という意味で周辺にある高齢者施設や公営住宅、学校等と将来的に連携していければ、より良いまちづくりに繋がると思います。

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