街に、ルネッサンス UR都市機構

2023年5月UP

長崎県東彼杵郡波佐見町ものづくりからまちづくりへ

1.波佐見町役場の方々へまちについてインタビューを行いました。

長崎県東彼杵郡波佐見町役場 商工観光課
                課長 澤田 健一氏
                係長 久保田 亘氏 

2.私設公園「HIROPPA」の誕生の経緯、思いや今後の展望についてインタビューを行いました。

代表取締役社長 馬場 匡平氏

聞き手

UR都市機構 技術・コスト管理部ストック設計課  佐藤 亮

(2023年3月 インタビュー実施)

URが地方都市でのまちづくりの取り組みを進めていくヒントを得るために、官民一体で進められている産業振興や交流人口拡大のための取り組みなどについてインタビューしました。
長崎県東彼杵郡波佐見町は、2001 年に「来なっせ100 万人」をスローガンに掲げ、1989 年17 万人台だった観光客が2017 年に111 万人を記録し、賑わいのある町へと変貌を遂げました。
行政として波佐見町が実施した取り組み、民間事業者(地元企業など)との連携策、波佐見町の今後の取り組みについて、また、有限会社マルヒロの私設公園「HIROPPA」の誕生の経緯、思いや今後の展望についてご紹介します。

波佐見町は、400 年以上の伝統をもつ全国屈指の「やきものの町」として栄え、全国の一般家庭で使われている日用食器の約17%を生産しており、人口約1.5 万人のうち約3 割の町民がやきものに関連する仕事に携わっています。隣町の有田焼としてやきものを生産してきましたが、2000 年頃から産地表記の厳格化の波を受け、1991 年には175 億円の生産額を誇っていましたが、2011 年には41 億円にまで激減し、町の主要産業が大打撃を受けました。再生に向け10 数年来、民間と行政が一体となってハード・ソフト両面の対策に取り組み、賑わいのある町へと変貌を遂げました。



拡大レンズ
波佐見町 MAP

1.波佐見町役場の方々へまちについてインタビューを行いました。

長崎県東彼杵郡波佐見町役場 商工観光課
                課長 澤田 健一氏
                係長 久保田 亘氏 

Q1 波佐見町は、主要産業のやきものの復活から、外から人を呼びこむまちづくりへと発展していますが、町の戦略や取り組みについてお伺いしたい。

インタビューの様子

澤田氏:波佐見町は窯業と農業の町ですが、観光はここ10~15 年ぐらいの間で盛んになりました。それまではやきものを生産するだけで、町は観光に対する意識はあまりありませんでした。
波佐見町で生産されたやきもののほとんどが出荷時には「有田焼」の名称で全国に出荷されていたのですが、十数年前に全国的に話題になった食肉の産地偽装問題の影響もあり、波佐見町で作ったやきものを有田焼の名称で出荷販売ができなくなりました。このことが産地として「波佐見焼」をブランド化する一つの大きな転機となりました。
その時は、町内のやきものの商社である西海陶器の社長さん(当時、長崎県陶磁器卸商業組合※1 理事長)が民間主導で「波佐見焼」という名前でやっていくということを宣言されました。このように強力に牽引するリーダーがいらっしゃったことが町の活性化に繋がっていきました。
また、平成14 年ごろに当時の町長が「来なっせ100 万人」というスローガンを掲げられ、その頃から観光誘客に力を入れはじめました。このように地元のリーダーが「観光の道を進んでいく」と、1 本レールを引いていただいたことで、官民一体の取り組みが活性化し、町は後方支援を行いながら「波佐見焼」のPR 事業を進めていくことができました。

※1:陶磁器販売を行う商社で組織された団体

Q2 町はどのようなPR 事業を支援したのでしょうか?

澤田氏:町では、窯業界の窓口として波佐見焼振興会※2 を経由し補助金を出して様々なPR事業を実施してきました。最も効果をあげたのが「東京ドームテーブルウェアフェスティバル」への出展です。これによって、波佐見焼の知名度が上がっていきました。また、「波佐見焼プロ養成講座」という取り組みも行いました。この取り組みは、百貨店の店員さんたちを対象にして、職人さんが波佐見焼についての講義や実演を行い、波佐見焼の知識を深めてもらうものです。こういった取り組みを、官民一体となって地道に行ってきました。

※2:波佐見焼の振興を図るため、波佐見焼に係る事業者を取りまとめ、共同事業を行う組織

Q3 「波佐見焼」が注目されていく一方、人口減少や高齢化に対して若い人に来きてもらおうという課題があると思うのですが、町としてはどのような取り組みを行いましたか?

澤田氏:観光の面では、平成 20 年頃から「やきもの体験」のプログラム造成を行い体験型観光をスタートさせ、新たな観光誘客を仕掛けました。雇用の面では、平成 20 年から 22 年ぐらいの時期から企業誘致に力を入れ、働く場をしっかり整えて、町の人口を減らさないための取り組みも始めました。
その後は毎年のように首都圏や地方都市で物産展・イベントなど、いろいろな仕掛けも行って波佐見町や波佐見焼のPRに努めてきました。

Q4 町として、民間の取り組みに対し、どのように期待していますか?

西の原

澤田氏:民間での取り組みで言うと、例えば、前述の西海陶器さんが、廃業となった製陶所をリノベーションして「西の原※3」というエリアを整備されました。民間主導で観光誘客をどんどん進めていかれる姿はとても頼もしかったです。
現在、「西の原」は町一番の人気スポットになり、町にとって貴重な観光スポットです。民間の施設と言えども、PRのためのパンフレットを一緒に作るなど、町も側面から支援してまいりました。

※3:福幸製陶所の建物をリノベーションしたカフェや波佐見焼のショップ、雑貨店などが集まるエリア。2005 年にオープン

Q5 100 万人を超える観光客の方が訪れて、町の人たちの意識は、変わってきたでしょうか?

左:久保田氏 右:澤田氏

澤田氏:観光客がいらっしゃった時に、地域の人が「どっから来たの」と声をかけられるなど、地域ぐるみで「おもてなし」の雰囲気が段々高まっていると実感しています。「波佐見の人が親切で好き」とよく言われることがあります。それは、ずっと前から外からの人を受け入れるという、ウェルカムの雰囲気があるからかもしれませんね。

Q6 「来なっせ100 万人」の次の展開はお考えですか?またやきもの以外の産業の変化などあればお聞かせください。

澤田氏:町が策定した観光振興計画では、観光客数125 万人を目指すことを掲げています。観光客を増やすことはもちろんですが、今後は量から質へ転換させる取り組みを推進する必要があると思っています。具体的には宿泊施設を充実させて滞在時間を長くするような取り組みを行っています。また、幅広い観光客を取り入れるために、キャンプ場を整備したり、RV(recreationalvehicle:キャンピングカー等のレジャー向け車両)パークを作ったりとアウトドア関連にも力を入れています。さらに古民家を改修してワーケーションができる施設の整備などにも取り組んでいます。
加えて、一般社団法人波佐見町観光協会が新たに観光庁の「観光地域づくり法人(登録DMO)※4」へ本登録することができました。今後とも観光協会と行政が連携を取りながら、協会自ら国などから補助金を得て観光施策を積極的に行っていけるように、行政としても一緒に取り組んでいきたいと思います。

※4:DMO(観光地域づくり法人)とは、Destination Management/Marketing Organization の略で、観光物件、自然、食、芸術など当該地域にある観光資源に精通した多用な関係者と協働しながら、観光地の活性化を推進する法人のことを指す。観光庁は「登録DMO」を、「地域の稼ぐ力を引き出すとともに、地域への誇りと愛着を醸成する観光地経営の視点に立った観光地域づくりの舵取り役をする法人」と定義している。

Q7 波佐見町の子供たちに向けて、町はどのようにお考えですか?

久保田氏:「波佐見焼」のことを学んだり、「波佐見焼」を作る体験を通して、地域の仕事を知ってもらい、愛着を持ってもらうための取り組みを進めています。町内の小・中学校は、地域に開かれた学校を目指し、地域の方との関りや、地域の仕事を体験できる機会を持つことができます。大人になって町を出たとしても、愛着や思い入れがあればいずれ帰ってきてくれるのではないかと思っています。

澤田氏:窯業における人手不足の課題がありますが、小・中学校のときから、「ここには本当に素晴らしい仕事がある」ということをしっかり伝えていくことが、将来の町の産業を支える若い人を生み出す一つの手法だと感じていますし、重要なことだと思います。


2.私設公園「HIROPPA」の誕生の経緯、思いや今後の展望についてインタビューを行いました。

有限会社マルヒロ 代表取締役社長 馬場 匡平氏

Q1 波佐見町はものづくりの町ですが、ものづくりはこの町の強みということをどうお考えですか?

右:馬場氏

産業としてものづくりがあることは強みです。無かったら「HIROPPA」をやっていなかった。ものづくりがあってくれてよかったなという思いはあります。

Q2 まちについてどう思われますか。

中尾山地区

まちのメイン通りは焼き物屋が多く、山側の中尾山地区はちょっとノスタルジックなまちで、綺麗に部分分けされていることが、生活する僕らからするとありがたいです。まちの真ん中にはスーパーなどがあり、良いまちづくりをしてもらえてると思っています。

Q3 「HASAMI」というブランドの経緯について聞かせてください。

「HASAMI」

2000年頃から生産地表記の厳密化の波を受け、「波佐見焼」と名乗り始めると売り上げが急速に下落しました。経営が悪化し倒産の危機に直面していた2009年から奈良県にある「中川政七商店」さんの工芸メーカーへの経営再生コンサルティングを受けました。コンサルティングでは経営の仕組みを整えたり、技術力が高い知り合いの職人さんに依頼して新商品を開発しました。2010年夏に「HASAMI」を発表したところ、セレクトショップなどから注文が入ったり、雑誌で紹介していただけるなど、無事に会社を立て直すことができました。「HASAMI」が若い人たちに注目され、400年の歴史ある波佐見焼の知名度アップにも繋がりました。

Q4 ブランドができたことによって、波佐見焼をやりたい人が多くなりましたか。

Q5 小さなお店などの塊がまちづくりの一つ一つになっていっているが今の波佐見町なのですか?

そうですね。全部を大きく変えられないので各々でやっています。僕は「HIROPPA」をやりましたけど、もっと前には『西の原』という場所や窯元さんの横で小さいお店も増えています。

Q6 「HIROPPA」を作ろうと思った動機は?

私設公園「HIROPPA」

町に気軽に来れる公園がなかったことや、自分たちで企画したイベントを開催できる場所がほしかった。また、子供が生まれて公園が必要だと思ったこともきっかけです。
家族で公園を満喫できて、また来たいと思ってもらえるようにドリンクやお菓子、玩具などの販売をすることを考えました。そして実はマルヒロという「商人」がやっていて、マグカップなどの陶磁器も合わせて販売し、「波佐見焼」を知ってもらうきっかけになればよいという思いもありました。
「HIROPPA」に来てくれた子供たちが将来、まちを出たときにこういう場所があったと話してもらうことで、まちにも貢献できるのではないかと思っています。
2年間やってきて結局まだ何が良いのかは、わかってない状況です。スタッフがやりたいことを緩く長くやっていけるようにすることが大きなテーマです。企業プランは、「我がまちに多文化」が大きい目標として掲げています。

Q7 変わったものを作りたいという思いはありましたか?

ドローンにて撮影

変わったものをつくろうという思いはなかったです。デザインについてもこちらからたくさんのお願いはしておらず、設計の条件として、(1)バリアフリーであること、(2)この地区を守ってくれている照日姫様が鎮座されている参道には建物を建てないこと、(3)ドローンで撮ったらかっこいい公園であるという3つをお願いしました。

「波佐見焼・アート・自然・食・音楽」をキーに、さまざまなカルチャーを提供できる場でありたいと考えていて、園内にはこれまでマルヒロが波佐見焼を通して出会った国内外のアーティストたちのオブジェや壁画があちこちに点在していたり、たくさんの樹木を植えていたり、食や音楽イベントを開催するなどしています。さまざまなカルチャーが混ざり合った結果、ほかにはない公園ができたのかもしれません。

Q8 今後の夢はありますか?

馬場氏

公園を無料で続けていることだと思います。それと1400坪の敷地にひまわりの迷路を作ろうと考えています。それが一番近い目標ですね。

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