街に、ルネッサンス UR都市機構

街みちネット 第16回見学・交流会 質疑応答・意見交換

これまでの活動の紹介

活動議事録

質疑応答

質問1
  • 非常にきれいなまち並みで、公園の並びには電柱が来ないようにしたり、公園を大事にしておつくりになっているなと思って、非常に感心しました。ただ一方で、何で電柱にこんなに線が通っているんだろうと思ったり、テレビのアンテナがけっこう立っていたので、ケーブルテレビがあまりなじんでない地域なのかなと思ったり、見学のときにはついついそういうハードなところに目が行ってしまいましたが、一瀬さんからお話を伺って、大変おもしろい取組みをしているなと思いました。
  • 質問を1点だけ。またハードの話になってしまうのですけれども、景観ガイドラインという点で、建物の色や形はあまりそろっていなくて、別に悪い印象があったわけではないのですが、景観ガイドラインをつくる際にそういう議論があったのかどうかについて教えていただければと思います。
株式会社サポート 西村氏
  • 基本的にガイドラインの中では建物自体に対しては厳しい規制はかけていません。参考にさせていただいたのは、東京都さんで策定されている景観ガイドラインで、色彩を景観形成地区における壁面と屋根面の明度、彩度、色相に準拠してもらいました。すみれ野の中で大事にしたのは、建物を取り巻く余白空間の統一性、そのつらなりによってまち並みが形成されていくということで、緑のほうについて細かく言及しているのが特徴です。
質問2
  • 一瀬さんが長時間楽しそうにお話しされる姿を見て、まちづくりは人だなということと、それから、先ほど現地を歩いていて、子どもたちの元気な挨拶返しや、玄関前でお母さん同士が楽しげに話している姿を見て、住み続けたいまちというのはこういうことかなという、そんな一端をかいま見たような気がしています。ありがとうございます。
  • 質問は、最初の西村さんの話で、区画整理の準備会が始まって組合設立まで、1年半ぐらいありますが、ここにかなり大きなドラマがあったのではないかと思っています。最初からエリアマネジメントを打ち出して、合意形成を図ったということが通常の取組みとは違うかなと思うんですね。その中で、もともと24haの区域が6haと、結果的に減っていますが、その1年半、お話をしてきた中で、同意の数も増えたり、減ったり、いろいろあったのではないかと思います。その中で聞きたいのは、エリアマネジメントを前面に出した合意形成の中で、特徴的な議論はどんなことがあったのかなということと、それから、結果的に合意が得られたエリアは、1年半の間に数が増えたのか、それとも、そうではないのか、エリアの最終的な広がりがどうだったのかということがわかれば教えてほしいと思います。
株式会社サポート 西村氏
  • 例えば、エリアマネジメントの話として、地権者とお話しさせていただいたのは、鴻巣市というのは、花の産地ということで有名です。実際はどちらかというと免許センターのまちの印象が強く、住んでいる人たちがこうしていきたいというイメージに対して、外部からのずれが非常に強かったと思っています。だけれども、お花という強みをもっとまちの象徴に使えるように、じゃ、お花を常に日常的に身近に愛でられるような環境をつくっていこうということで、公募で「花とおはなしできるまち」という標語が選ばれました。花のまちづくりとは全国的にも盛んにはあると思うのですけれども、この地域とは、そこが絶対欠かせないので、最初のご婦人5名も、お花が非常に大好きな方たちというふうに、お花からどんどん発想を広げていきました。活動として取り組めるものをまず実践して、なじむのかなじまないのかトライ・アンド・エラーをしていって、参加してくれる人たちを少しずつ増やしていったことが特徴的なのかなと思っています。募集をかけているのではなく、この人にお願いしたらどうだろうかということで、場合によってはピンポイントにお願いしていくというふうに、試行錯誤をしながら実際のテーマを具現化していったというところが特徴的だと思っています。
株式会社サポート 鎌滝氏
  • この地区の準備委員会発足の前、実は当社は平成15年の8月に鴻巣市に呼ばれて、この地区を何とかしたいんだというところから、平成21年のまち開きまで私の方で事業の計画と事務局の運営に携わらせていただいたので、そこまでの実態の話をさせていただきたいと思います。
  • 実際、エリアマネジメントで区画整理が立ち上がった。その後は他の地区と一緒です。特に、平成15年当時というのは、バブルが崩壊して、どんどん国が破綻していって、財政状況も悪く、本当にこんな時代に組合を立ち上げていいのかということが議論されている頃です。
  • その中で、この地区は、実は昭和46年の当時から、箕田土地区画整理事業をやろうということで、当時は200~300haのもっと大きい事業の話が実はずっとありました。少し離れると逆線引きになってしまったところもあるような地区でした。
  • 昭和59年に北鴻巣駅が開業して、駅の向こう側でURさんが開発を始められた時に、こちら側も西口を開こうじゃないかということで、だんだん気運が高まっていって、鴻巣市さん主体で事業の話をしてきました。
  • 平成の一桁台は市施行でやることも検討されていたということです。先ほどの説明であった当初計画の24haの区域をよく見てもらうとわかるのですけれども、実は軸線が南北軸なんです。その軸を斜めにJRを走る、その後、計画線がまた斜めに入るんです。市施行の絵はその斜めの軸の上につくることになるので、今ある旧中山道沿いのまちが、みんなことごとく移転対象になるんです。だから同意率が上がらないのは当たり前の話です。
  • では、どうしようか。我々で何とかしたい。24ha当然やりましょう。だけど、一気に24haできないですよね。事業が破綻するだけですよ。では、どこができるのかという時に、当時、埼玉県が5ha未満であれば、鴻巣市に認可をするということで、では5ha未満で、まず駅前広場を開いて起爆剤をつくろう、駅前広場さえできれば、その後、2次開発、3次開発できるだろうということで、5haで絵を提案させていただいています。
  • その中で、権利者の皆様方にどうしたいですか、売りますか、貸しますか、残しますか、そういう土地利用の話をさせていただきました。事例としてはあまり成功しているとは言えないですけれども、駅前の商業街区もいわゆる申出換地をして、事業用定期借地契約をして、土地をある事業者に貸しています。
  • そうこうしているうちに、平成16年の段階で準備委員会が立ち上がって、換地の話を皆様方個々にしていって、当然、皆さん照応の原則に従ってやってはいるんですが、一部目的換地を使ってそういうことをしている中で、なぜ、エリアマネジメントの話ができたのか。
  • 我々は、認可をとったら、すぐ工事しましょうということで進めてきました。実は、ここの地権者さんは、当時70代前半の方が多くて持ち時間は5年しかなかったんです。5年のうちでやりましょう、ということで、平成17年の10月の認可申請までの間でそういう話をずっとさせていただきました。ですから、実は区画整理が認可された段階で、区画整理や資金計画はどうなるのかという心配はなかったんです。だからこそ、エリアマネジメントをどうしようかという話がすぐできました。
  • 当時、ヒアリングをしたとき、やっぱり花のまちだから花を表現する場所がないという話があって、じゃ、そういうまちづくりをしましょうということになり、認可されて、組合がある程度落ちついた段階で、平成18年の段階から、婦人部会という名前でまちづくりの話を始めた。そこからは前半の説明につながっていくのですけれども、では、どうしたらいいか、それがまちづくり部会になって、NPOをつくろうという話になって、こういう活動につながってきています。いきなりエリアマネジメントをやりましょうと言ってできたわけでは実はないんです。ちょっと裏話をさせていただきました。
閉会の挨拶
NPO法人日本都市計画家協会、街なか研究会:木村 晃郁 氏
  • コアメンバーを代表してということで、僣越ですけれども、本日のお礼を申し上げたいと思います。
  • 一瀬さんのような人がいて、この集会場と公園という場があって、財源を持っている。この3つを持っているということはとてもすばらしいなということで、実は今回の見学地として私のほうからご紹介させていただきました。
  • 1年前に横浜市の戸塚駅周辺の区画整理の権利者の皆さんをお連れして、こちらへ来たのが初めてなんですけれども、そのときも10月は忙しいと伺ったのにまた10月で大変申しわけございませんでした。今、ディープなお話も聞けたので、とてもいい情報となったと思っています。どうもありがとうございました。

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