街に、ルネッサンス UR都市機構

街みちネット 第6回見学・交流会「アイリスタウン計画の事業について」

これまでの活動の紹介

活動議事録

アイリスタウン計画の事業について概要説明
田村氏自己紹介・まちづくりに関わる経緯

田村氏
  • 大森と蒲田に寒い中大勢の方においでいただいて感謝いたします。折角蒲田まで来ていただいて何か拾って帰っていただけたらな、と思っている。
  • 今日の企画については、矢野さんのような素晴らしいまちづくりをしておられる方の後に、全く違った手法をについて話せというのはとても心が痛いと思っている。
  • 実は私も木造の平屋建てが好きで建てて、周りに石を並べて植木を植えて、たまにボーっとしている。仕事はみんなにけしかけて、いつまでもこんなボロに住まずにみんなで幸せになろうよ、と言って堅固なものに切り替えていくという、自分のやっていることが少し相反しているなと思いながら、矢野さんのまちづくりについて敬意を表したいと思っている。
  • 本日は蒲田の密集の歴史とこれから蒲田で何をしようとしているのか、この二つをみなさんに話をしたいと思う。
  • 私自身はみなさんと違ってまちづくりのプロではない。元々、私の会社は100年前に鶴見で初代が鳶土工で立ち上げて、昭和の初期に大森に居を構えて、地元で土木建設業をずっと営んできた地場ゼネコンだった。
  • 私は入社当時みんなのやらないドブ掃除を大田区から請けて、大田区中のドブ掃除をやった経験がある。その延長線上で、道路工事を勉強したり、上下水道工事の現場監督をしながら、10年間現場監督で頑張ってきた。
  • バブルの時期に、たまたま蒲田三丁目だったが、下水道工事の現場監督をやりながら見よう見まねで地上げを覚えた。産経新聞の記者から名称をいただいたのが「涙に弱い地上げ屋」。喜ばれる地上げ屋として今は胸を張っている。7年前に社名を変更し、蒲田の地がアヤメの群生地であったことからアイリスコーポレーションという社名にした。「地上げ屋」と名乗ると、名刺を返すような方も中にはおられるが、このまちづくりの根底である地上げは大好きである。その一偏を紹介させていただきたい。

アイリス壱番館の事業について

田村氏
  • 元々蒲田三丁目で共同化をしようとは思っていなかった。バブル時代は不動産の土地転がしを覚えて、地元でも少し名を売ることができたが、その後借金も大分抱えて、自ら土地を買わずに地権者を束ねて共同化をすれば何とか会社を維持存続できるかもしれないと考えた。
  • 地元の蒲田三丁目は高齢者の方々が古いアパートに数多く住まい、なかなかスクラップアンドビルドができない状態だった。当時、土木の現場監督が共同化の導きをするなど、誰も全く信用していなかったし、安心感も全くなかったが、阪神淡路大震災を契機に、一挙に共同化の機運が高まり、16名の地権者を3ヶ月で口説き落として、アイリス壱番館という共同ビルを平成6年に仕掛けて2年後には竣工という、当時では驚異的なスピードで共同化のコンサルをさせてもらった。当時はこの仕事をまとめないと会社が潰れると、死に物狂いで、夜討ち朝駆け、16名の地権者に情熱を持って口説いた。
  • 当時80代の方が2~3人、平均年齢が70代近かった。「私が死んでからやってくれ」「私のいる間はやらせないよ」こういった言葉がずいぶん多かったが、今でもまだその方々は生きている。死ぬどころか元気になった。共同化によって生活習慣が変わりながらも前向きに生きてくれている人生の先輩がまだ数多くおられる。よかったなと思うし、盆暮れに挨拶に行くと、いまだに喜ばれている。

アイリスタウン計画とアイリスタワーの事業について

田村氏
  • アイリス壱番館を竣工させた後、ムードも勢いもあったので、この通りを全部開発したいということで、20階建、17階建、21階建の3棟の絵を描いて、なんと勝手に記者会見を自分で開いてしまった。人の土地に自分の土地のように絵を描いて、行政に何の相談もせずに、何の手法も頭になく、ひどい話だと思うが、共同化ででっかいものを建ててやるという意気込みがあった。
  • しかし世の中そんなにうまくいかず、結果的に2,200坪が1,000坪になり、このアイリスタワー1棟だけになってしまったが、5年間かかって何とか仕上げることができた。
  • こちらの地権者は33名だった。共同化の中でやることは、まず地権者を口説くこと。2つめは、事業収支を地権者側にとって有益な組み立てをするために、スポンサーを探すことである。本件事業については、NIPPO(旧日本鋪道)に積極的に投資をしていただいて、事業の大きな原動力になってもらった。
  • 行政対応と地元対策も重要である。元々この界隈の容積では大きなものが建たず採算ベースが合わない。今までの2棟が11階建だったので、大胆に20階を目標に行政との協議に入った。東京都との協議で、北側制限の関係で容積の緩和が1.35倍までだが、北側の方々の合意が得られればもっと緩和ができると言われ、地元対策に奔走して、容積の緩和1.5倍を勝ち取った経緯がある。また、行政対応で、21世紀都市居住緊急促進事業、都心共同住宅供給事業、この2つの補助金を引き出し、容積の緩和1.5倍と2つのボーナスをもらって、共同化にこぎつけた。
  • 私は専門家ではないが、何とか共同化に結び付けていこう、何とかみんなに喜んでもらおう、地権者に喜んでもらうという強い信念を持って、行政対応、近隣対策を推進してきた。
  • 共同住宅で地権者がどこを取得するかは、簡単に、いいところを取ったら悪いところも取って、と決めてしまう少々乱暴なことを今現在もやってきている。要は地権者が喜んでもらって納得すればいいというのが私の信念。
  • 実は矢野さんのお住まいの近くの梅屋敷というところにずっと住んでいたが、蒲田に居を構えて事務所を持ってきて、ここで骨を埋める覚悟で飛び込んできた。そんな勇気も地域の方々に高く評価され、地元の人、入居者の方、誰一人クレームが来ない、これが私の自信でもあるし、地権者に対する信頼関係の継続性だと思っている。
ル・サンク アイリスタワー入口と屋上見学の様子

今後のアイリスタウン計画について

田村氏
  • 今、行政が色々と期待してくれている。それは小さな実績の積み重ねで、まちづくり共同化を称してこれまでこの地区で5棟完成させた。同じ場所で5棟建てる企業やら地場ゼネコン、地元のコンサルはおそらく数少ないと思う。まだこれから先、連続的にこの界隈であと3棟4棟やっていきたい。京浜急行の蒲田からJRの蒲田、そして環八、多摩堤通りの間の32haにとてつもない絵をもう描いている。そして、来春、勝手に記者会見を開いてしまおうと思っている。航空制限が84mで規制されているが、それをはるかに超えた倍の50階建の建物を2棟、蒲田の東口に建てることを発表しようと思っている。アドバルーンを揚げることによって、みんなの意識が変わるだろう、行政の規制も緩和させよう、羽田空港第5滑走路の烽火も上ってきている。だったら航空規制の緩和を条件にせめて蒲田大森の駅前の航空制限は緩和してもらおうと、こんなことを考えている

地元への貢献と今後のまちづくりへの思い

田村氏
  • ここからJR蒲田の方に向かう橋の袂に40年前に建てた公衆便所がある。私共がちょうど100周年ということもあり、NPO法人密集住宅地区整備推進協議会が中心となって、このトイレを地元の方と一緒になって建替えようと思い、計画をしている。総ガラス張りで全てが透けて見える、便器が全てオブジェで、中に入った瞬間、仕切りが曇りガラスになる、こんなものを交差点の真ん中に作ってやろうと思っている。大きな話をしながら、足元のトイレをみんなで自ら変えていき、こういったことで地域の方々の心を掴んで、まだまだ地上げにいそしんでいきたいと思っている。
  • 2年後くらいにはそのトイレができていると思うので、「行列のできるトイレ」という謳い文句でプレス発表したいと思う。竣工のあかつきには、是非ともみなさまお立ち寄りいただき、ご利用いただければありがたいと思う。
  • 本来、その土地は東京都の土地で、建物は大田区が40年前に作った。ある地元の先輩にその話をしたら、あのトイレは昔の当社、増田組が40年前に作ったと言われた。そのことを全く知らなかったので、これも縁だなと思った。やはり地元というのは、そういった歴史を知っている人生の先輩がいていいものだなと思い、地域密着でこれからも頑張っていきたいと思っている。
  • 羽田空港が国際化して、蒲田・大森はこれからますます良くなると言われるが、そんなことはないと思う。世界の羽田だが、蒲田・大森は誰も知らない。それを、アイリスタウン計画を打ち上げて、世界に認められるような蒲田・大森に是非ともしたいと思っている。
  • 来年の4月になると区議会議員の応援弁士で忙しくなる。大田区の議員は50名ほどいて、今回は70名ほど立候補するが、昨年は17名の応援弁士でまちを飛び歩いた。政党は問わない。15年ほど前からマイクを持っているが、年々私の票が増えて去年は30票ほど入ったそうだ。これもまちづくりの原動力の1つであると思う。人と会うこと、人を説得すること、それをまた来年の4月、自分で鞭を打ちながらチャレンジしていきたいと思っている。
  • 地域密着で良かったと思っているし、これからも大森・蒲田をフィールドとしていきたい。嫌なことは率先してやっていきたい。そして、困っている人や動けない人たちが世の中にたくさんいる。こういった人たちに、耳を傾けて導いてあげたら事業として成功できる。
  • 最後に矢野さんに対して敬意を表したいと思っている。私がもう少し早く知っていたら地上げに入っていたと思う。いつも自転車でまちを回って、いいところがないか見ているが、あそこだけは行かなかった。もうちょっと早く知りたかったと思いつつ、敬意を表する。
会場の様子

閉会の挨拶

NPO玉川まちづくりハウス:林氏
  • 今日は違うアプローチ・考え方で整備され、できあがった空間も違うが、どちらも魅力も説得力もある事例を紹介していただいて勉強になった。だんだん極端な例も見学させていただくようになり、見学の中身が過激化していると思う。
  • これは何回も見学に行って、似たようなことでは一向に何も起こらない、と思っていることもあると思う。しかもまちは極めて多様なので、1つの解でいいということは絶対にない。
  • 矢野さんのようにオーナーの考え方、夢があって作られていくものがあちこちにあるまちも素晴らしいし、一方では田村さんは地上げが得意技と言っておられるが、困った人にはどうしても何とかしてあげられないかという思いがありアクションが出てしまう、そういった姿勢が必要なまちもきっとある。これから我々も色々なケースに出くわしながら考えていくと思う。
  • 今日はこの集まりに貴重な時間を割いていただいて、お話いただいた3名の方やその関係の方々に感謝したいと思う。

関連リンク

関連ページ

メニューを閉じる

メニューを閉じる

ページの先頭へ