街に、ルネッサンス UR都市機構

市民参加型まちづくりを語る

舞多聞

齊木 崇人氏 [神戸芸術工科大学 学長]

齊木 崇人氏

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聞き手 UR都市機構 都市デザインチームリーダー 池邊 このみ

  • 池邊 このみ Profile

舞多聞のモデルは、日本の伝統的集落、コミュニティ、使いこなされた土地利用

田園都市レッチワースよりも、「日本の伝統的な集落」、「コミュニティ」、特に「使いこなされた土地利用」の3つを何とかしたいと思いました。集落をモデルとしては日本では何も出来ないとあきらめていました。それでレッチワースへ行きましたら、イギリスの中世の集落をモデルにして作られていて、それがすごいショックでした。
このプロジェクトは、はじめからある姿を目標としたのではなく、走りながら積み上げてきたというところがあります。かつて日本の田園の花見の文化を街路計画のモデルにしたというレッチワースから学んだ、戦前の日本の住宅地があり、そういう過去の経験をいかに具体化するかが目標でした。そこに住もうとする人たちの価値観は多様でしたし、今までの経験でしか住宅地のあり方を考えない、その価値観を修正するのが大変でした。加えて、都市機構の方々の今までの開発のやり方を理解するのが大変でした。また、協力してくれた建築家の意識も全く違っていました。
2001年9月に開催した国際会議で、「土地に敬意を払う」という言葉がでてきました。オーストラリアから来たロバート・フリーストンという教授が、それを提示してくれました。田園都市の開発をしているメンバーと、イギリス人や会議に参加した人達と「新・田園都市コンセプトマトリクス2001」を、初めは英文で作成し、日本訳する中で、まさにそのキーワードがポンと入ってきて、それがすごく重たい言葉でしたね。そして、彼らの中の目も意識して、舞多聞は生まれました。

コミュニティの財産を評価する

江戸時代に作られた集落は今でも財産を持ち、コミュニティの資産を持っています。しかし戦後に作られたコミュニティは持っていない。舞多聞では斜面林の土地は定期借地権です。けれども、道路に直面した歩道は皆さんの土地から2m後退して提供してもらった。そのことが、プロジェクトのひとつの山でした。しかし、それはすんなりいき、意外でした。公道6mは、市に移管される。けれども、自分の敷地から2m提供したところを、歩行者空間として全部繋ぎます。皆さんを説得できた理由は、その2mの敷地に電柱の地下埋設を行うことにありました。地下埋設を公共の道路でやると、将来は年中どこかで工事が行われるが、民地を2m後退して地下埋設することによって、芝生をめくれば工事が出来るし、歩行者を遮断することもないと説明し、理解を得ました。
もうひとつは、境界線を出来るだけ隠すこと、連続性を意識することを提案しました。敷地の境界を生垣にするとか、道路と歩道のそれぞれの敷地の共同の継ぎ目にまちの木を植えることです。実は、舞多聞みついけには街路樹がないんです。街路樹が一本もなくて、民地にそれぞれのまちの木を必ず1本植えることをコミュニティ会議で相談して決めました。背後には、家の木を植えていただいて、皆さんが植えていただいた家の木が、ひとつの森を作り、それが「100年の森を作る」という話をしました。言葉では簡単ですが、放置しておけば変なものも出来てきます。これも運が良かったことのひとつなのですが、兵庫県には、県民緑化事業というのがありまして、県民が緑税を800円払っています。県民が、向こう三軒両隣、コミュニティで緑化の申請をすると、上限500万円まで負担してもらえます。また、まちづくりのコーディネーターとして研究室が神戸市からのまちづくりの依頼を受け、エリアマネージメント(国土交通省)のモデルとなっています。向こう三軒両隣で申請があったところには皆さんで集まってもらい、生垣にしましょう、樹種は何にしますか?などの相談を受けています。 その中で、いざこざも噴出してきます。それを隠さずに皆さんでやりとりされて、今のように連続されたものが出来ました。はじめはクレームをつけたりした人もいたのですが、だんだんお隣との調整も自分達でやろうという風になっていきました。
手入れを自分だけでやるのではなく、お隣と調整しながらやるとか、手入れをするにはノウハウが必要なので、事業とは別に、都市機構の方と緑のワークショップなども行っています。

グッドデザイン賞

障壁をプロセスによって乗り越えて新しい形を生み出したことが環境デザインにおける今日のグッドデザイン

グッドデザイン賞は、これまで環境デザイン部門での受賞はありましたが、まちづくり部門で受賞したことはありませんでした。ほとんどが建築物で、こういう扱いをされたのは初めてですし、この審査員方の一部の方が同意されず、最終的には委員長預かりとなりました。すんなり受賞できた訳ではないんです。普通ですと、企業側からエントリーするものなのですが、今回の場合、審査委員会から応募してくれと言われて出しました。もっと面白いのは、その後、審査委員長の内藤さんがレッチワースにいらっしゃって、評価していただいたという経緯がよかったと思っています。グッドデザイン賞の評価に、街並みで色々な障壁をプロセスによって乗り越えて新しい形を生み出したことが重要な要点であることや、人の関わりとプロセスという評価をいただいたと思っています。
住民の方々も最初の頃と今とではずいぶん違ってきています。成長されていますよね。普通、まちづくりですと、住民を集めて話を聞いたら反対意見が出た場合、プランナーや行政や都市機構の方の仕事の時間を止めてしまいます。舞多聞では、「NO」と言われても言うことはきちんと言って、少し時間をおいて、ワークショップなどで経験し、もう一度それについて話し合うということをしました。まさにそこで人とのかかわりのプロセスが作られたのだと思います。
次の「てらいけ」プロジェクトでは、3つの集落コミュニティに分けることを考えています。集落は世界中どこでも50戸前後ですね。なぜ50戸かわかりませんけど。中国でもヨーロッパでもアメリカでもインドネシアのような集落に入っていても50戸前後です。きっと何かあるんでしょうね。人が記憶して、家族がいる基礎的な単位なんでしょう。80戸くらいに膨らんだり、30戸くらいに縮んだりする場合もありますけどね。
プロジェクトは2001年スタートですので7年くらいになります。「みついけ」だけでは3~4年くらいですね。設計も研究室で9軒設計し、設計をする前には、全世帯のプランを作りました。都市機構は、62世帯の基本構想案を書くのに1軒あたり5万円の費用を出しました。ちょうどこの部屋で皆さんのプランを書いて、部屋に貼っていきました。そうすると隣のプランとどんどんつながっていきます。そうなると、我が家は少し壁面を下げた方がいいとか、隣との屋根の向きを調整しようとかの提案がでてきますね。

土地に敬意を払い、個人の家は、まちの顔であることを伝える

配置計画は、60数世帯のすべてを研究室で設計できませんから、やれるポイントの場所を定め、相談にこられた方たちから希望があったときには、お手伝いしましょうということをしていきました。どちらかというと街角とか分岐点をあがったときに見えるところ、見え方を皆さんが共有できる土地・場所に敬意をはらい、個人の顔ではなくまちの顔であるということを伝えていったのが最後の到達点ですかね。
建築家とかハウスメーカーの方からは、もっと材料を均一にするとか、色を連続させるとかしないと景観がガタガタじゃないかというような批判も受けました。ただし、私の考えは、家族は全て違うし、価値観は全部違う。そして家族は、自分で責任を持って作っていき、それを維持管理しなくてはならないものだから、同じものが並ぶ方が気持ち悪いと思いました。ただし、建築協定とか緑地管理協定は、皆さん自分で判断されましたし、一人だけ反対された項目は入れませんでした。たった一人の場合でも。それはガイドラインでやりました。一人が反対したから楽な方を選んで、建築協定だけでやるのかと思いましたが、ガイドラインの厳しい側を皆さんは共有されています。そして、建築協定、ガイドラインで決めたこと以上に良いことがあるということもわかってきました。建築協定や緑地管理協定を更新することになり、今年準備しているところです。また、何かトラブルがあったらその都度相談されるし、自治会の母体がありますからそこで相談されています。 そういう習慣や、その日議論したことを記録に残し、次の人にそれを示すという話し合いをするシステムがだいぶ出来たと思います。
大切なのは、都市機構の方と住民がタッグを組んでやる事です。一番初めの一度だけは、要求型のコミュニティとして皆さん出てきますよね。そうじゃないんだというところを切り替えると自分たちで考えるスタンスになってきます。そこが一番難しい。もっと進んできたときに難しいと思ったのは、例えば今回、ここで公園を丘の上に作りましたが、当初の計画は全部平らになる予定でした。それを残す時に、神戸市の担当者を説得して、上部の丘を緑と共に残しました。平坦にしてしまうと視点場を失いますし、もちろん海も見えなくなります。自分たちの居住位置を見渡せなくなりますから。
市は、今までのルールに従ってそこだけ特別なものを作ってしまうと、他の地域からの要望が出てくるので、プラスでもマイナスでもないものを生み出そうとしますからね。それを説得するのが大変だったですね。都市機構の方が間に入って、市と協議してくれたので、私は後ろからバックアップしました。都市機構の方も困っていましたけどね。結果的には残ったことで、敷地の背後の緑が100年の森を作ることになりましたし、家の木を植えることで100年後には良い森になっていると思います。

「てらいけ」プロジェクトへ向けて

「てらいけ」は、緑に包まれています。「みついけ」の場合は、片方に商業施設を作らなくてはならなかったですが、「てらいけ」の一番の目的は、斜面林でしょうね。とりまいた緑をどのように連続させるか。単なる斜面緑地をグリーンベルトとして扱うのではなく、隣接した古いニュータウンと新しいニュータウンが緑地を介して繋がれるようなやり方が出来たらいいと思っています。斜面地を利用する、または、管理するときには、両方から人がやってくるように説得しようと考えています。
「みついけ」で実際に展開してみて、新田園都市国際会議で作成したマトリックスをベースにしたものの考え方とか、修正すべき点はいまのところはありません。「みついけ」でひとつの新・田園都市の物語が終わりではなく、それが一般化したときに出来るのかを確かめるのが「てらいけ」の事業だと思います。「みついけ」の時には、マネジメントとかデザインのプロセスでは行きつ戻りつでした。初めてのことだったので、都市機構の方々もとても苦労されました。何が出てくるかわからない。その経験がかなり圧縮されて、ノウハウとして他でも使えるっていうところをいかに実証するかですね。残念なことに、定期借地権は「てらいけ」で終わりです。国土交通省、財務省から言われていることで、これを考えるとすれば、民間企業の方々がこの方式を使って自分たちの土地で、やっていただけるような仕掛けを作れればと思っています。

機構が携わった土地の環境を落とさない仕組みとして、協定やエリアマネジメントが必要

定期借地権でも、土地や建物は財産相続できますし、一緒にコミュニティが育てていく環境の価値化をしていくことができると思います。「みついけ」も次の世代、色々な理由で出て行かれる方もいらっしゃいます。そのことを考えると「送り出す」、「迎え入れる」経験をしなくてはいけないと思います。今は、コミュニティやまちづくりと言うと、そこの人たちをフィックスしてその人達だけで考える閉じたまちづくりの方法をとりがちですが、ここは抽選で入った人と、グループで入った人が混在型でやりましたからね。変化することを前提で組み立てることは出来ると思っています。
私は、全部グループでやりたかったのですが、集めてワークショップをやっていくなかで、いずれみんなが住み替えていく。抽選で落ちた方もおられて、それがショックで病気になられた方や、寝込んで亡くなられた方もいました。そんな悲しい思い出もあります。結果論としては、途中で来る人たちを受け入れる仕組み、そしてそれを皆で話し合う習慣が出来たことが良かったと思います。住宅の設計をやろうと思ったわけではなかったのですが、結果的にはプランを全部書くことになりました。数ヶ月かかりましたが、配置計画も上手くいった。ボリュームだけですけどね。そういう経験が、空間にようやく置き換えられたのだと思います。
人口は必ず少なくなる。その時に、土地の維持管理を誰がするのか。今のようなやり方だと空き地や空き家がどんどん増えますからね。それを全て行政が負担してやるのか。行政が負担する場合は、すべて私達の税金で負担することになりますから、そうではなくて、出来るだけ広い敷地を国民が分担して維持管理していく仕組みを今から考えていかないと結果的には荒廃した都市になってしまう。
「てらいけ」も「みついけ」と同等以上のものができると思っています。起伏もそのまま残していただけるようですしね。「みついけ」に住みたいと、1,600人近い人が舞多聞倶楽部に入っています。その方々が、また抽選で入られると思います。舞多聞周辺45,000世帯にアンケートを配布したところ、現在、359世帯が「てらいけ」に住みたいと回答がきました。「みついけ」の初めのプランの時もそうでしたが、これは増えると思います。初めは、いわゆる普通の民地のイメージでいますが、現地見学や、ワークショップをしていくうちに違いがわかってきます。また、その方々を大学に招いて公開講座を開き、この土地の価値を説いて、同意した人たちでコミュニティを作っていただき、コミュニティ単位で応募してもらいます。

また、45,000世帯へのアンケートでどこの住所から希望されているのかという地図を作りました。研究室のメンバーでフィールドワークを行ったところ、そこから脱出して、ここに移りたいという所の特色があります。オールドタウンの戸建で住んでいる場所の質が落ちていたり、空き地や空き家となって環境が悪くなっているような場所から移りたいと思っている方がいる。私達はそれだけの議論ではなくて、移られたあとの敷地をお隣に使っていただくような住み替えのプログラムも提案しています。密度が高くなって質が落ちていくことに対して、密度を逆に落として環境の価値を上げることが住み替えのプランとなっている。
私は、不動産売買の仕組みを変えないといけないと思っています。都市機構が所有して、都市機構が生み出した土地は、確かに民営化されたとして、民間の土地に渡っていたとしても、そこのおける景観や建築、それに関する条例をちゃんと作り、その質を落とさないようにしていくことが大切ですね。
そうしないと、今住んでいる人たちの財産価値が落ちてしまう。逆にそれを都市機構が価値が落ちても良いと、自分の所からは手を切って好きにしなさいという仕掛けでいきますと、価値は落ちてしまいます。都市機構が所有していなくても、法律的に協定とか条例とかそういうものに関して、都市機構のエリアマネジメントの担当者が面倒見ていくような仕組みに国の費用が出てくるような仕掛けが必要だと思います。ここで色々な計画をしているのは、今までのニュータウンの作られ方のように、そこだけ島のように切り取って周りからの反対意見を出来るだけ排除し、この中さけ良ければという形で作るのではなく、それを作ることによって周りからきた人たちとの関係、周りも結果的に空いた土地が有効に使われて、関係の質を上げていくことが出来たら良いと思っています。

  • 齊木氏 池邊氏

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