街に、ルネッサンス UR都市機構

~都市の景観について考える~
都市計画家からみた景観づくり [海外と比較することで日本の都市景観を再考する]

ハムステッド/イギリス
ドックランド/イギリス

中井 検裕氏[東京工業大学社会理工学研究科 教授]

中井 検裕

今回は、欧米の都市景観、都市計画に詳しい中井検裕氏にお願いし、都市計画家として日本の都市景観の展開についてお話をお伺いました。

  • 中井 検裕氏 Profile

聞き手 UR都市機構 都市デザインチーム チームリーダー ⽊下 庸⼦

  • 木下 庸子 Profile


イギリスで過ごしたことが景観に関心を抱くきっかけに

中井先生 木下氏

木下:中井先生には昨年、都市機構の居住環境事業における景観形成誘導方策検討委員会の委員長を務めていただきました。先生は欧米のさまざまな都市に行かれています。ですから、今日は先生の考えや海外で体験されたことを中心にお聞きして、海外と比較しながら日本の景観や都市美について考えたいと思っています。まず最初に、これまで訪れた都市の中で景観的に気に入っておられるところはありますか?

中井:イギリスのレッチワースやハムステッドといった地区の景観が好きですね。実は、25年ぐらい前になりますけど1983年から1988年まで、ぼくはイギリスに5年間ほど住んでいたんです。海外の都市を体験すること自体、そのときが初めてに近くて、景観についてもあまり勉強していませんでした。専門的な知識もなかったので、とにかく見るもの全てが驚きでした。 一方、その頃の日本には、街全体のつくりとして評価できるものはニュータウンなどを除き非常に少なかったと思います。ぼくは建築出身ではありませんから、個別建物の造形よりはむしろプランニングに興味があって。だから、イギリスの風景にとても惹かれたわけです。

木下:市街地の景観というよりは、郊外の住宅地が先生にとっての景観への最初の入口だったわけですね。

中井:そうですね。景観に関心を抱くようになったのは、やはりイギリスに住んでいた経験が大きかったと思っています。ただし、景観と言っても、静的な保全型の景観ではなく、絶えず動いている景観の方に関心がありました。多くの人はイギリスの田園風景をいい景観として挙げますけど、それは日常的であって、背景のような風景です。ケンブリッジも中世のような街並みが残っていてすばらしい景観だと思いますが、時が止まったような街で何も変化がない。一方、ロンドンは、とてもダイナミックに動いているのが実感できます。ちょうどドックランドの大規模再開発の時期と重なっていて、大きな建物ができたり、新しい造形が出てくる時代でした。社会的論争もあって、とにかく面白かったですね。ハムステッドのような保全型で、非都市的な自然環境が入り込んでいる場所と、現代都市的なものとのコントラストがとても印象的でした。

細胞レベルの活性化が都市再生には必要

木下:先生がイギリスで生活されていた頃の状況も含めて、日本との違いや共通点をお聞きしたいと思うのですが、1983年から1988年といえば、現代建築や都市計画に疑問や問題点を投げかけたチャールズ皇太子の『ビジョン・オブ・ブリテン』が出版される頃でしょうか。そのとき、一般市民の意識は何か感じ取られましたか?

中井:うーん、どうですかねぇ......。『ビジョン・オブ・ブリテン』はかなり話題になっていて、テレビで同名のドキュメンタリー番組を見ました。議論が分かれていて、ぼくは少なくとも国民全体の声だとは感じませんでしたね。ただ、歴史を少し振り返ると、1950年代から1960年代にかけてのイギリスの建物は、経済的な影響や建設産業の背景もあって、モダン建築は安普請で作られ、維持管理もまったくされずに建物自体の質も悪いわけです。

木下:戦後の日本もそうでしたよね。この時代になって、デザインとして価値があっても50年から60年近く経過した建物では老朽化のために取り壊さざるをえないものがあります。イギリスの場合、デザインはどうなのでしょうか。

中井:デザインに関して言えば、中高層団地型の公共住宅はよくないです。犯罪を誘いこむような回廊型で全棟を繋いでいたり、足下のデザインもあまり作られていません。戦後の建物は評価が低く、むしろ、1930年代頃にできた公共住宅は煉瓦造りで、デザイン的にも良質な住宅ストックとして評価されています。喩えるなら日本の同潤会に近い位置づけですね。それと、ローナンポイントという高層住宅の崩落事故が起きたことが、イギリスの場合はもっとも決定的で、住宅史ではターニングポイントになっている事故です。高層住宅の上階で起きたガス爆発の衝撃で建物の半分ほどが崩落してしまった事故ですが、それをきっかけに、高層住宅のデザインに対する不信感や危機感は強まり、少なくとも公共団地がモダンなデザインに対する不信感を増強させたことは間違いないと思います。

木下:1980年代以降の日本とイギリスの都市を取り巻く状況ですが、かなり似ていましたか?

中井:日本では民活や規制緩和といったキーワードが使われ始めましたが、イギリスもまさにそうでした。国内は都市の再生が重要なテーマであり、経済的な再生や社会的な再生が得られるという考え方も近い。ドックランドのような大規模な開発が生まれたことも似てますよ。でも、都市再生についてはその後、イギリスは1990年代頃から舵を切って方向転換しています。

木下:それは大規模再開発の進行を見ながら、国全体の意識が高まったのでしょうか。それとも何かきっかけがあったからでしょうか? たしか、ドックランドの再開発は暫くストップしていましたよね。わたしが行った時期はまさにそうでした。

中井:経済は、都市にとって影響力ある大きなことですよね。大規模再開発がストップしたことも経済の動きと同調してますから、不景気のときはできないと気づいたわけです。バブル崩壊と同じで地価が下がり、不動産が余剰ストックになっていましたからね。そのような不動産市場の変化は舵を切って方向転換した理由のひとつです。2つめの理由は、環境問題がヨーロッパ諸国で大きな関心になったことです。とくにEU、当時はECでしたが、環境問題に熱心でした。それと3つめは、首相の交代が大きかったと思います。でも、面白いことにイギリスは政権交代が多いにもかかわらず、政策の継続性があるんです。たとえば公共住宅重視は労働党の本来の政策ですけど、イギリスは戦後一貫して持ち家政策です。それは国民が望んでいるからであり、それについては柔軟に合わせている。イギリス人のバランス感覚も、きっとそういうところでしょうね。

木下:継続性を重視していて、慎重な政治ですね。いま先生が言われた3つの理由ですが、環境については日本も同じような状況だと思います。でも、日本の場合は、ドックランドのように大規模再開発が長い間放置されることはまずありえない。効率とスピードで一気に仕上げてしまう。ただし、その結果としての良し悪しは気になりますよね。

中井:大規模再開発は外科手術みたいなものですよ。効果はあるけどそれだけ危険なリスクも伴う。ぼくはいつも言っているのですが、身体全体が弱っているときに手術だけではダメで、都市を支えている細胞レベルの活性化をしないといけないと思ってます。当然、内科的な療法も必要になりますし、細胞レベルとは東洋医学的な手法といいますか、コミュニティレベルであり、コミュニティの力をつけていくことです。イギリスでは外科手術による再生は、地域による貧富の住み分けや格差の上に成り立っているわけです。ただし、コミュニティベースのところには経済的な利益も望めませんから、今では細胞レベルの活性化として積極的に手をあてていっています。それに比べると日本は極めて平等な社会であり、安定していますよね。でも、コミュニティを意識せずに、それがまったく無いものだと勘違いして都市を動かしていくことは間違っていると思います。実は、日本の中でも地域社会があり、昔のように顕在化していないだけです。

中井氏が近年訪れた街:チェスキー・クロムロフ/チェコ
 景観がユネスコ世界遺産に指定された(1992年)
中井氏が近年訪れた街:プラハ/チェコ
 カレル橋。歴史的旧市街地と新市街地を結ぶ石橋。

目標像と手段の的確な使い方が重要

木下:日本の景観と海外の景観を比べたときに、景観のつくり方にも違いがある気がします。日本の景観は危機的な状況にあると思うのですが、それを身近な生活の危機として感じてない気がします。

中井:日本では目標とする景観像をつくりにくいし、共有しにくい。ヨーロッパは景観像がはっきりしていますし、なんとなく共有していますよね。

木下:なぜ、目標像をつくりにくいのでしょうか?

中井:それはとてもいい質問で、「生活質(QOL)」を総合的に表しているものが景観であるというのが出発点です。“いいな”と思う景観には高い生活質がある。そしてヨーロッパにおける高い生活質はそれほど多元化してません。アメリカならアメリカン・ドリームでしょう。しかし、日本は都市の変化が激しく、高いと思う生活質像が多様化してます。ですから、はるかに多様化している価値観の中で、どのような目標を設定するかということが日本の課題でしょうね。でも、それに対するコンセンサスやマジョリティを得ることが難しい。小さな地域単位の中で何らかのコンセンサスを考えていかないと、混乱した状況が続くと思います。それと、手段の問題です。建築の技術や設備も新しくなっていきますし、家族形態も変化していますよね。手段がたくさんあっても使い方や目的がわからない状況がある。これから景観を考えていく上で重要なポイントは手段と目標を明確に対応づけていくことですよ。

木下:たしかにそう感じます。そうすると、質の高い景観はまず目標をしっかりと見据えるところからということですね。

中井:目標なしに手段だけを使ってコントロールしたら、それは本末転倒ですよ。自治体でも市民の同意が得られていなかったり、誘導する方向に悩んでいたりしますよね。建物の形や空間が変わってきており、街のあり方に対する共有感覚をもってもらうことはますます難しいわけですから。手がかりになるのは、地域ごとの生活スタイルや様式だと思います。その発見が実は難しいところですが、景観づくりの面白いころでもあります。そのような動きはさまざまな場所で出てきていますよ。景観法ができたことによる変化もあるでしょうね。

木下:まだ模索中ということですよね。景観は長い時間の中で育まれるものですから、しっかりと目標を見据えて、動かないといけない。ただ、各地で起きている動きはポジティブなこととして捉えるべきでしょうね。

景観の魅力を長い時間の中で継続するためには

天神橋筋商店街

木下:時間という概念で考えますと、先生が気に入っておられるレッチワースは、その魅力を長い間、継続していますよね。そこにも何かヒントがある気がするのですが。

中井:魅力というのは、波があったり、分散したり、ある時期収束したりするわけです。だから、それをうまく受け止めることができるかだと思います。現実的な対応は必要ですから、老朽化したハードやインフラを補うような管理体制や入居者を外から入れることもしているわけです。レッチワースは希有な例ですけどね。

木下:変化する社会のニーズに、ある程度フレキシブルに対応できるようになっていないといけませんよね。

中井:そうですね。常に“動いている”と感じることができたほうが都市や街はいいと思います。建物では、使いながら保存する動態保存の考えにはぼくも賛成です。でも、コアの理念や精神はぶれてはいけない。景観にも同じことが言えて、柔軟でありつつも、理念を継続させる工夫や努力が必要でしょうね。

木下:少し話が逸れますが、たとえば香港の景色はアジア的な活力や活気があって、魅力がありますよね。景観要素と思われる看板がたくさん出ていてもなぜかしっくりきますし、生活の営みが街全体に感じられます。日本もアジアの一国ということで欧米とは違った視点から景観を考えてみる必要があるのではないかと思っているのですが。

中井:大阪の天神橋筋商店街がまさしくそうですよ(笑)。看板や阪神タイガースの旗はたくさん出ていて、とにかく賑やかです。物を売る声が飛び交い、老若男女がいる。デザイン的にはゴチャゴチャしてますけど(笑)。でも、その活気に満ちた風景は、ぼくが子供の頃からずっと変わっていないんです。景観はその場所での営みとセットで考えることが大事ということを教えてくれるいい例ですね。

都市機構に期待すること

木下:景観委員会の委員長を務められて、今後、都市機構に期待することがあれば是非お聞かせ下さい。

中井:景観という方向に向かって都市機構が動き始めたことについては高く評価してます。要望はたくさんありますが、ひとつは、土地と建物を一体的に考えてほしいということです。機構の前身である公団がこれまでに手がけた事業を見てみると、そのようなプロジェクトが多いですよね。それは公団の強みでもあったと思う。でも、最近は、それがやや分離していますよね。土地の価値と建物の価値をそれぞれ最大限にして、両方を足すと全体の価値が最大限になるでしょうか。必ずしもそうではないとぼくは思います。土地の仲介人ではないわけですし、公団時代に蓄積された高いレベルのノウハウがあるわけですから、それを活かせるようなことをやってほしい。都市機構がおこなうことはとても影響力が大きく、きっと求められていると思いますよ。それと、都市機構をはじめ、都市開発や街づくりをおこなう人は、良いものと悪いものをたくさん見てもらいたいですね。“その場所に行く”という経験を積まない限りは得られない、深みや厚みがある貴重な情報がそこにはあると思う。その経験と知識が自分の価値観や基準、判断材料となり、最後には蓄積として自分の仕事にきっと反映されるはずですよ。ですから、組織として、是非さまざまなところに見に行ってほしいですね。

木下:今日は多くのヒントと課題をいただきました。自分の足で現地に行くということは、すぐにインターネットなどで情報が入手可能な情報化社会のいまのような時代だからこそ、特に必要だとわたしも感じています。どうもありがとうございました。

メニューを閉じる

メニューを閉じる

ページの先頭へ