街に、ルネッサンス UR都市機構

2018年1月UP

石川県金沢市街地まちづくり
「地域の力で歴史・金沢らしさを守りながら進める再開発」

金沢市街地

写真提供:株式会社RIA

金沢市の市街地区再開発事業について

RIA金沢支社 浅井 健治氏 木島 一宣氏 登根 哲生氏

近江町いちば館[武蔵ヶ辻第四地区]について

青草辻開発(株)(権利者法人)松岡 暢也社長

片町きらら[片町A地区]について

(株)プロパティマネジメント片町 小間井 隆幸社長

聞き手

UR都市機構 技術・コスト管理部ストック設計課 課長 渡邊 美樹

(2017年9月 インタビュー実施)

金沢市の市街地再開発事業は、中心市街地の整備・開発の骨格として金沢駅前地区~金沢駅武蔵地区~武蔵ヶ辻地区~香林坊地区~片町地区へ至る「都心軸」と定義された軸線上に限定され、効果的に実施されています。
都心軸上では、1970年以降、16地区のプロジェクトが行われており、社会の変化と要請に対応しながら、各地区の事業成立要件を克服し、金沢らしい近代的都市景観の創出をめざし、長い年月をかけてその全体像を徐々に実現させています。
今回のインタビューは、全国の地方都市と同様に様々な課題を抱えている金沢市において、どのように持続・継続的に再開発が行われてきたのか、その推進に必要なことは何か、のヒントを探るべく、金沢市の市街地再開発事業に携わった3社にお話を伺いました。

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武蔵ヶ辻エリアと香林坊・片町エリアMAP

1. 金沢市内で多くの再開発プロジェクトをマネジメント:RIA金沢支社
16地区で開発プロジェクトを完遂し、現在も新規事業に取り組んでいます。

2. 近江町いちば館[武蔵ヶ辻第四地区]:青草辻開発(株)
近江町市場の原風景の継承、建物内に街路の路地性を再現し、既存市場と同様のアーケード状空間によって周辺と連続する市場空間を創出した再開発事業です。歴史的建造物(北國銀行)の保存再生にも繋がりました。

3. 片町きらら[片町A地区]:(株)プロパティマネジメント片町
ダウンサイジング型の(容積が従前の1/2)再開発を行い、防⽕建築帯造成事業等(都市再開発法の前進)により不燃化・⾼度利⽤を終えた中⼼商店街の再生、良好な都市環境の創出を行いました。


金沢市の市街地区再開発事業について
RIA金沢支社 浅井 健治氏 木島 一宣氏 登根 哲生氏

Q1 市街地再開発事業と都心軸の経緯について

(株)アール・アイ・エー金沢支社
(左)登根氏 (右)浅井氏

金沢のまちづくりにおいてキーワードとして欠かせないのが、戦災、災害を受けていない「非戦災都市」という点です。400年前の町割、都市骨格、道路網が残っています。「開発」ではなく、そういった昔ながらのまちの持つ歴史文化を保全、保存しながら、どう都市化と調和させていくかということに、先人の皆様が取り組んでいました。残すものをしっかり残す、しかし全部残していたのではまちは成長できない、経済の受け皿にもなりません。それならば、開発に必要なところを集中して行い、そうではない歴史的な建造物、兼六園やお屋敷、その周辺は保存するという方針を昭和40年代に整理したようです。
その結果、金沢港~金沢駅~旧市街地を結ぶ「都心軸」が定義され、市民の皆様から線状のエリアを集中的に再開発することの合意を得て進めて行くことができました。

Q2 各再開発エリアの特徴について

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武蔵ヶ辻エリアと香林坊・片町エリアMAP

武蔵ヶ辻エリアと香林坊・片町エリア(左図参照)は古くから「城下町の辻」として、交通の要所、人の往来の拠点でした、この2核がまちなかの商業核の中心として、それぞれの核がせめぎ合いながら拠点整備を再開発事業で行ってきたエリアです。一方、金沢駅武蔵北地区と金沢駅前地区は金沢駅とまちなかとを結ぶ交通の要で、公共施設整備を中心とした再開発事業であり、金沢の新しいシンボルロード整備を沿道の景観と、土地の高度利用を図りながらまちづくりを進めてきたエリアで、事業の意味合いが大きく異なります。

Q3 再開発事業の特徴について

片町も近江町市場も、地元や地権者の皆さんは、不動産事業を行うというより「我が街は自ら守り育てる」という気概が非常に強いです。再開発という手法を使えども、高容積化を求めてはいません。近江町市場では、孫子の世代まで今後もずっと近江町市場であり続けることを最優先し、必要以上の高度利用をしませんでした。高層化して床を新しく作るというよりは、今現在の商環境や形態を、何とかそのまま活性化して残していくための再開発事業といえるのではないでしょうか。

Q4 再開発事業での金沢の特性について

インタビューの様子

金沢の中心市街地では、様々なイベントの開催を行っていますが、片町商店街には商業施設と一体的なイベント広場がありませんでした。そこで、「片町きらら」の建設に合わせてイベント広場を設けることとなり、建物の壁面後退を十分に設けてなるべく解放感と明るさを確保した広場を考えました。しかし、まちづくり条例で8mという高さ規定のある庇を建物側から出してアーケード機能を補完することが求められておりました。そこで、地元の方々の強い熱意により、9割以上の関係者同意を得て「まちづくりとしての意義や公共空地があれば」といった文面を加える条例変更により、軒高12mを確保し、まちの皆さんと明るく開放感のある広場を実現できました。

Q5 金沢の事業を通して意識されている点について

土地の所有者や、そこで長年営業されていた方というのは、街を守ってきている、自分たちでつくっているという意識が非常に強いです。こういった開発の話に対しても、その意識を最後まで持ちながら進めていこうという強い意向、たぶん脈々と受け継がれてきた町衆の気概に対し、コーディネーターとして応えられるように事業を組み立ててきていることじゃないかなと思いますね。どうやったら事業が成立するかではなく、どうあるべきですかというところで、まず納得・共有頂かないといけません。 

【 略 歴 】

  • 浅井 健治氏 Profile

  • 木島 一宜氏 Profile

  • 登根 哲生氏 Profile


近江町いちば館[武蔵ヶ辻第四地区]の再開発について
 青草辻開発(株)(権利者法人)松岡社長

近江町いちば館

Q1 市場の再開発を行った動機について

建物の老朽化がひどいものでした。たとえば障子や襖が開かなくなるくらい湾曲していたし、雨漏りもひどく、大雪が降れば屋根の崩落の心配もありました。また、市道が市場の通路も兼ねていたので下水の敷設もできなかった。そして、国道の拡幅と国有地の整備が契機になりました。

Q2 既存市場のデザインや景観の工夫など

青草辻開発株式会社
代表取締役社長 松岡氏

市場の再開発区域の若手地権者や営業者のメンバーが集まり、自分たちでデザインイメージを出し合うことにしました。私が描いたもの(右図)ですが、かつて私が住み暮らしていた頃を思い出しつつ東南アジアの市場を参考に無い知恵を絞ってみました。今改めてみると、本当にこれに近い形で実現しました。

高層ビルにするという話もあったのですが、自動ドアで入っていくとか、そういうのは嫌だなと。やはり市場の雰囲気を壊さず、対面販売を重視して、市場の中のすべての通りがカーブを描きながら繋がっていくなどの工夫をしました。24時間、1年中、ビルの中に勝手に入って行けるんです。反面、真冬の風がつらいと言われるときもありますが。外観を見ると、どこからどこまでが既存の市場なのか建て替えした再開発ビルの中なのかわからないといった景観の工夫もしました。ビルに入ってもあまり違和感が無いので、いちば館の真ん中で「いちば館はどこですか」と聞かれます。

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イメージ図

Q3 再開発における市場の特殊性について

松岡氏

対面販売をやはり重視しているので、間口の幅が重要です。ですから、家賃は坪単価ではなく間口で料金が決まります。そこで新たに通りをつくったことによって、店舗間口を増やすことができました。しかし、お客さんは店の名前ではなく、場所で覚えているので、工事中の仮店舗もなるべく場所を動かさないことが求められるなど、従後の店舗配置には大変苦労させられました。

Q4 既存保存建物(北國銀行武蔵ヶ辻支店)の再生の経緯、想いなど

北國銀行

われわれの思いとすれば、「スクラップ&ビルド」の対極にある「今現在の存続・承継」という観点で、昭和初期に建設された北國銀行の建物を取り込み新しい市場と融合させるという事は意義がありました。一方で、日本建築学会から村野藤吾先生が設計された建物の保存要請が頭取と市長宛に来ていました。武蔵ヶ辻のランドマークにもなりうる建物をどのように残すか銀行の方々とも協議しましたし、当然、歴史的建築物を存続するにあたって反対意見も噴出しましたが、説得を重ね続けました。結果として、道路も拡幅にあわせて13メートル曳家して今の場所へ移動させ、免震基礎や梁の補強をして3階部分も利用できるようにしました。また、以前は正面入り口が開かずの扉で左右からしか入れなかったんですが、回遊動線が交差点で分断されないように、正面から入れるような設えにして頂きました。

Q5 オープン8年が経過する中で開発当時の思い描いた点と現在の状態の相違など

新規誘致店舗も10件以上あります。本音は、なるべく低賃料で横丁的な飲食街をつくりたかったのですが、やはり設備投資やコスト面でそれは叶わなかった。もう1点は、ナショナルブランドは絶対入れず、地産地消の延長線上で地元のオーナーシェフや板前さんがやっている店の誘致に邁進しました。が、リーマンショックの余波でオープン直前に決まっていたはずの店舗が抜けたり、資金手当てが整わず本人がしたくても金融機関からNGが出たりしました。実現したお店の何件かは、腕は良くても経営手腕が伴わずで続かなかったりし、現在も多少の店舗の入れ替わりはあります。

Q6 これからの抱負について

松岡氏

観光客がものすごく増えていますが、観光市場となって市民のお客さんが減るというのは避けたい。やはり一般市民が来て楽しめると、観光客も楽しいんだと思うのです。いちば館ということではなくて、市場として、地元の人に知ってもらおうと、昨年から年に4回ほどフリーペーパーを発刊しています。
近江町のプロの料理人や歴史などを紹介しています。やはり新しいことを取り入れて変えてはいけないところは必ずあると思います。ですが、新しいことを取り入れて、市場とは別物になってしまわないように、見極めないといけないのです。市場であり続けることが大切だと思います。

【 略 歴 】

  • 松岡 暢也氏 Profile


片町きらら[片町A地区]について
 (株)プロパティマネジメント片町 小間井 社長

片町きらら

Q1 片町A地区の再開発の経緯について

株式会社プロパティマネジメント片町
小間井氏

片町商店街というのは実は明治27、28年ごろに結成され、いわゆる組織化した商店街としては日本で一番歴史があると言われています。金沢は空襲に遭わず、建物は木造ばかりで道路幅も狭かった為、片町地区では、昭和31年から約10年かけて耐火構造体を備える近代化事業を行ってきました。しかしそれも経年により建物の老朽化や施設の陳腐化が徐々に目立つようになってきました。 平成10年に中心市街地活性化法が施行されたとき、香林坊エリアの香林坊、片町、竪町、柿木畠、広坂という5つの商店街が金沢中心商店街まちづくり協議会(通称5TОWN'S)を立上げました。その後平成21年に「5TOWN'Sのマスタープラン構想」を策定し、将来ビジョンの骨組みをつくりました。このとき、昭和61年大和百貨店移転にあわせて立ち上げたファッションビル「ラブロ片町」がバブル前は絶好調だったんですが、御多分に漏れずテナントさんが郊外店や金沢駅に引き抜かれて衰退しかけていたことが街中にとってマイナスだと思いました。将来のことを見据えて、エリア全体でこの建物界隈を何とかしようと研究会が発足したのが、A地区の再開発事業の発端でした。

片町きらり歴史

Q2 なぜ、ダウンサイジングの決断(容積が従前の約1/2)をしたのか

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ダウンサイジング図

新幹線開業が正式に決定する前に具体的な計画を立てていましたので、当時はリーマンショックの尾を引いている時期でしたから、保留床を事業化するだけの企業が手を上げてくれなかった。なので、身の丈にあった再開発をすることとなり、結果としてダウンサイジングとなりました。これが今、日本全国の地方都市の実態だと思います。本来なら保留床で賄えるはずの建設事業費を、地主が自己負担でやらなきゃいけないんじゃないか、やらざるを得ない、やりましょう、という風に決まったような気がします。
リーマンショックの後、ずっと景気が低迷している中の地方都市は、どんどん東京一極集中で、商店街がシャッター通りになるという中での再開発。しかも、自分たちでやるという話ですから、ここで何か大きなものを作ってもっとみじめなことになったらどうする、という思いは当然ありました。ですから、絶対ここは身の丈にあった再開発にしようと。
と同時に、それだけでは事業負担が地権者の皆さんに重くのしかかるので、「身の丈再開発」という、地方都市を再生する一つのモデルとして、それなりのアドバンテージを頂けるよう国にも積極的にお願いをして、若干補助率のかさ上げを認めて頂きました。

Q3 最上階にあるブライダルテナントの誘致をするに当たってコンセプトが先行か

ブライダルテナント

コンセプトが先ではありませんでした。ホテルブライダルが流行らなくなり、最近は郊外ブライダルが主流なんですが招待客のための結婚式感が強い。「晴れの日の花嫁」が主人公をコンセプトとしたブライダルを展開している企業がいると聞いたときから、これはぜひ誘致したいと思いました。この地でしたら二次会には事欠かないですし、公共交通の便も良い。で、「アルカンシェル金沢」に出店してもらいました。
実は、ここができる前からブライダルジュエリーショップがかなり多く、再開発区域内のテナントさんでもジュエリーショップがありましたが、「アルカンシェル金沢」が進出したことでさらに何件かのブライダルジュエリーショップが増えました。今は片町きらら周辺が超激戦区と言われていますが、周辺への波及効果もあり、内部競合による切磋琢磨の刺激も生まれて非常に我々にとってはありがたかったですね

Q4 「片町きらら」の空間構成、建物デザインについて

小間井氏

経済条件のみで言うなら敷地目一杯に店舗を広げるのが本筋かと思いますが、全体のデザインコンセプトの中で重要だったのが、広場でした。屋根がありなおかつ自由に使える、色々な用途にフレキシブルに対応できる広場というのが、地域の活性化の役に立つと思いました。片町は、アーケードはあるんですが、イベントをする空間が無く狭苦しい商店街でした。街全体が賑わわないと、商業施設の集客力も落ちるという懸念もありましたから、皆さん賛同して頂けました。

Q5 広場の利用方法について

イベント

テナントさんがワゴンを出してセールをしたり、それから、金沢市さんが何かやられたり、土日はほぼイベントがありますが、平日と冬場の1月、2月、3月は厳しいですね。

Q6 「片町きらら」ができて人の流れはどう変わったか

近年、あまり見かけなかった小さなお子様連れの若いお母さんたちが非常に多く来街するようになりました。また、片町は、夜の歓楽街を抱えています。週末ともなれば、夜遅くまでにぎわうんですけれども、片町きららができるまでは、香林坊からスクランブルまでの間が真っ暗でした。今は商店街としてもアーケードを明るくして、全部LED化を事業化しました。夜12時近くまで照らすということは、若い女性も安心して片町で夜遅くまで遊べますから、まちの中に非常に大きな街灯ができたという効果は間違いなくあると思います。

Q7 今後の抱負について

今はネットで何でも買える時代。何か理由が無いと街に来ないわけですから、その理由と、そこで売って享受されるものが魅力的であることが必要。それが何か追い求めるのが、これからの街づくりです。
やっぱりみんながエリア全体で力を合わせていくこと。イベントにしても何でもそうだと思うんですけど、まちの中で感じる爽快感みたいなものをどうやってより多く提供していくことができるかということが、地方都市の中心街が生き残る唯一の道なのだろうと思います。

【 略 歴 】

  • 小間井 隆幸氏 Profile

インタビューを終えて

UR都市機構 技術・コスト管理部
ストック設計課 課長 渡邊 美樹

URでは、地方都市等のコンパクトシティの実現のために、地方公共団体や民間事業者との役割分担のもと、地方都市の再生に取り組んできたが、今回の金沢市街地再開発事業に携わった方々のお話を聞いて、地方都市ならではの再開発に対する目的、進め方、モチベーションに衝撃を受けました。 土地・建物所有者を説得するには、街の活性化のみならず、建物の高度利用により保留床を造り、最低持ち出しはなく、やはり利益を生む。という中身が必須だと思っていたからです。その方向性とは異なるスキームで実現させた皆様は、“金沢”というこの歴史的・伝統的な都市環境、景観に誇りと愛着が溢れ出ていました。
“身の丈再開発”という言葉を口々におっしゃっていましたが、こう振り返るまでには言葉では言い表せない努力・根気・忍耐のもと、目指す形が“あの時の賑わいを復活させる、させ続けて次世代にも繋げていくんだ。” という強い気持ちがあっての実現だと強く感じました。こんな金沢の街を応援し続けたいと思います。

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