街に、ルネッサンス UR都市機構

~ドイツの都市計画と日本の街づくり~
アーバンデザインの実務の視点から日本の街づくりを俯瞰する

新潟市中心市街地俯瞰
ミュンヘン中心市街地俯瞰

水島 信氏[建築家]

アーバンデザインが建築家の職能とされているドイツで、アーキテクトとしてのキャリアを積んだからこそ見えてくる都市デザインの課題、街づくりのあるべき姿… 。
今回は、建築家の地位や街づくりの手法、行政や社会との関わりに至るまで、ドイツと日本、その両方で都市計画、建築設計に携わる水島信氏ならではの視点で、お話しいただきました。

  • 水島 信氏 Profile

聞き手 UR都市機構 都市デザインチームリーダー 池邊 このみ

  • 池邊 このみ Profile

(2009年11月 インタビュー実施)


Part1 ドイツの都市と日本の町

ドイツと日本の街並み その印象の違いが生まれた理由

ドイツから日本に戻った時などに双方の街並みを比較すると、日本の都市計画制度の結果としてできあがった街区に、ドイツとの明らかな質の違いを感じます。もちろん、日本には各地に多くの美しい街並みがありますが、その街並みの中にハーモニーを乱すものが何かしら介在しているとか、優れた景観の裏側に、表面に見える風景からは想像もできない環境が同居していることが多いのにがっかりしてしまいます。それは、隙間風が入るとか、水屋が衛生的ではないなど、欧米的な文化的生活に適さないという簡単な理由で、歴史のある建物が取り壊されて、安直な工法で建設された住宅に替わっている街並みや、軒先の揃った町屋の並びに突如として楔を打ち込んだような高層の建物が割り込んでいるといった景観が、素晴らしい街並みの数以上に日本の各地に存在するからです。
地域全体の景観を調整するとか、街区全体の景観のバランスを図るなどの政策意図が、日本にないため、貴重な街並みの価値が大きく下がっているのは残念なことです。 私は、そこには大きく三つの理由があると考えています。その一つは都市を形成する最小単位である建物、特に西洋建築の範疇に入る建物に、日本の街並みや気候風土に適合していないなど、クオリティの面で欠陥のあるものが多いということ。二つめはその街で生活を営んでいる住民が、街に対してアイデンティティを感じていないか、感じていても弱いからなのか、共同体に属して生活するという考え方が常識となっていないため、街を一体的に造形し、景観を整えるという考えがあまりないということ。三つめは、アーバンデザインを考えて都市計画を行う能力が、行政側、特に地方自治体に欠けているということです。
実は、この三つは相関関係を持っていて、これはちょっとデフォルメしたまとめ方ですが、自分の土地なのだから自分の好きなように建てたいという施主に対して、客観的な意見を言えるような職業意識を持たない建築士が、周りの状況をあまり考えず、ただ施主の要望に沿う設計をし、建設業者が工費節減という大義名分で必要最小限のクオリティを確保するための施工を行う。そして、規制や指導で生じる責任をなるべく避けるために必要最小限の指導をして、あとは傍観するだけの行政者がいるという図式ができあがります。こんな建築を取り巻く環境が、日本の都市景観が良質になれない大きな理由なのだと、私は捉えています。

街並みを崩すアパートの建つ柳川の水辺
纏まった街並みを無視した建物の建つ京都白川付近
既存の建物に適合した新築の集合住宅のブレーメンの水辺
ローテンブルグの街並み

実務の視点から注目したい日本とドイツの法制度の乖離

近代的な都市計画に基づいた街づくりという視点から観ると、日本とドイツの法制度には驚くほどの差があることが分かります。条文そのものの概念もずいぶん違いますが、実務的な都市建設手法の違いは驚くほどです。その違いについては、筑波大の大村謙二郎先生※1が1981年に出版された『地区計画』の中で「ドイツの都市計画の理念は秩序だった都市建設的発展および公共の福祉に対応した、社会的に公正な土地利用を保証し、人間的環境を守っていくことに寄与するべきとし、個人や企業の自由よりも都市環境の秩序を優先する都市計画を目指している。これに対して日本の場合は、無秩序な市街化を追認するかたちで、問題をはらんだ危険な市街地が次々と空地を埋めつくして行くという都市の将来の姿や景観についての具体的なイメージがなく、これまで個人や企業の活動の自由を優先し必要に応じて秩序を維持するための都市計画と、両者の概念に大きな隔たりがある。」と述べられた上で、ドイツのBauleitplan、いわゆる建設指針計画を手本とした地区計画制度を導入するべきと提唱されています。その考え方は私の考えとまったく一致します。
都市計画の実務の点では都市問題を局地的な視点で検討した部分的な解決法の集積と捉えているため、おのおのの都市計画施策が一体的で有機的な関連性を持たないこともさることながら、同じような都市建設が規模の大きさによって政策的に分類されるという、その根拠がドイツの目では理解できない日本と、都市政策はその規模の大きさに拘わらず市街地全体を考えた建設指針計画の一部でしかないというドイツとの相違が明らかになります。ドイツからみた日本の政策の不可思議さは、その建設指針計画を規範とした地区計画制度の展開過程です。そのことに関して都立大学の石田頼房先生※2が、著書の『日本近代都市計画の百年』で触れられています。「地区計画は、この計画を作らないと土地の開発や建築的利用が出来ないという、いわば『必須科目』的計画として制度化されずに、良い街づくりをしたい場合に使ってみるという『選択科目』的都市計画にとどまってしまった。この計画を『必須科目』にすることによって『計画無きところ開発なし』の原則を打ちたてようとした都市計画関係者の狙いは実現しなかった。現行の地区計画実現の手段はもっぱら規制的手法に限定されている。」と、的確にその問題点を指摘されています。
確かに、日本の地区計画制度は、ドイツのお手本の制度とは大きく目的が違う規制のための法律に格下げされてしまい、施策そのものも、これは日本に特有といっていいと思いますが、骨抜き状態にされてしまっています。「なぜ、ドイツと日本の都市はこれほどまでに違うのか」という質問を私自身が受けることが、そのような弊害を取り除けない都市事情が展開している証明ではないでしょうか。

国民性と政治、歴史的背景で その成立過程が異なる日独の都市

そんな流れになってしまった原因は、自分たちが血を流すことで勝ち取った民主主義を支えようというドイツ人に対して、与えられた民主主義を利己的な資本主義にすり替えてしまったといえる日本人の国民性の違いや、自分たちの生命を守るために頑強な城壁を備えていったドイツの都市と、どこまでも増殖し、拡散していく村という基本的構造を持つ日本の都市の違いによるものだと思います。城塞都市といわれている中世ヨーロッパの都市にも、日本の都市と同じような過程を経て成立した部分もありますが、西洋の都市の場合は他の国や民族の侵略に備えるために壁を築き、日本の場合は防衛する必要がなかったから村のまま残ったともいえるかもしれません。
侵略者から誰を守るのかという視点から考えてみますと、城下町は城だけを守れば事足ります。ヨーロッパにもそういう集落の形態はありましたが、後になって商業が発達して庶民が権力を持った時に、自分たちも守られるために壁の中に入ります。つまり、ヨーロッパの場合は守るべきものがはっきりしています。だから、やってはいけないこともはっきりします。そうすると社会のルールもできてきます。日本の場合、殿様ではなく住民という集団を守ったのは、大阪の堺ぐらいです。

アーバンデザインという考え方の導入 そこで起きたボタンの掛け違い

以前の日本にはアーバンデザインという考え方はありませんでした。戦後になってアーバンデザインという言葉が輸入されたときに、建築家がユートピアの絵を描いてしまったことも、日本の都市計画の問題を大きくしているのだと思います。
アーサー・コーン氏※3は、その著書『都市形成の歴史』の中で、誤ったアーバンデザインの手法として、全体のコンセプトがないままにそれぞれの部分を計画するアーバンデザイン、とてつもないユートピアを持ってきて行うアーバンデザイン、調査するだけのアーバンデザインの三つをあげています。日本の都市計画を指した言葉ではありませんが、この言葉がぴったりするような決定的に間違った手法のデザインを行っている状況が日本にはあります。ユートピアというのは、もちろん将来こうなりたいという指針とも考えられますが、現実の課題に対応できることはほとんどありません。
ヨーロッパのアーバンデザイン、つまり近代的な都市デザインは、産業革命の結果として生み出されてしまった労働者住宅の劣悪な環境を見直そうという考えから始まっています。だから、生活環境を良くすることが大前提です。これはドイツの伝統でもありますが、ある意味で社会主義的な、低層者の生活環境を良くしようとする考え方です。ドイツで住環境を良くするための条件は何かというと、日照と通風と採光であるとされています。住民の生活に一番密着した問題であって、ユートピアを語ることとはまったく次元の異なるものです。日本では、土木としての道路づくりや区画整理といった都市計画がアーバンデザインという言葉を使った瞬間に、ユートピアを語ることになってしまいました。このようなギャップはドイツにはありません。

ミュンヘンのハイドハウゼン地域の再開発(1980年代)
ミュンヘンのハイドハウゼン地域の再開発(2000年中期)

アーバンデザインに求められる実務家の登用

建設における許容範囲、自由度というのは、解釈する立場で大きく変わります。建築基準法さえ守っていればデザイン的な面での規制はまったくない日本の立場から見れば、ドイツの都市計画規制は自由度がまったくないと解釈できますが、設計する立場からすると、ドイツでは都市計画における基本方針は、ある程度の設計指針を示してくれているものだと解釈することができます。確かに、規制されているということだけを考えると自由度は少ないと思えますが、なぜそのような規制が必要なのかという基本的な事柄をきちんと解釈すれば、ドイツの都市計画規制のほとんどは、設計条件と受け取ることができます。これは制度自体が実務の視点の上に定められているからだと思います。具体的なイメージがないとよくいわれる日本の都市計画ですが、具体的イメージをつくるには視覚的に確認できる図面が必要で、法律や条文といった文章では表現できません。ですから、都市デザイン像を作成できる、アーバンデザインの図面を作成できる実務家が、日本にはいないというのが原因ではないでしょうか。
たとえば日本の場合、区画整理というと、道路をつくり、住宅敷地区画を整備して、きちんと家を建てられるようにはしてありますが、平面的に捉えたもので、街区という立体的イメージではなく、3階建てなのか、6階建てなのか、それとも平屋なのかという計画の具体性がまったくありません。1 階建てと6 階建てでは、街並みとそれに伴って必要になるインフラの整備が違ってくるのにその視点がないのです。それに対してドイツの場合は、区画整理の全体像を示した建設指針計画を読み込むと、行政がどれだけ街に対して責任を持つかという政策意図が見えてきます。容積率を伴った土地利用の指定を見れば、どの程度の都市施設サービス、つまりインフラ整備を行政が準備しているかということが理解できます。こうした土地利用計画の概念が日本にはありません。これは大きな欠点だと思います。ドイツの土地利用計画図に似た用途地域図というものがありますが、これは似て非なるものです。
もう少し具体的に説明します。ドイツの土地利用計画図では、都市全体を考えた道路システムで区分された区画ごとに細かくその用途が定められていて、建物の容積率と合わせて指定されています。したがって、図を読めば将来的な都市像の輪郭が把握できるように、都市を構成する基盤である都市サービス施設の許容量についての自治体の責任範囲も明確に示されています。だからこそ、土地利用の指定以外の建物をつくることは基本的に認められません。ところが、日本の図は動脈道路以外の明示はなく、用途地域が大雑把に示されているだけで、建設自由の考え方に立ってしまえば建物用途も容積率も限定しないものになっています。だから、都市計画の本質的な目的である住環境の改善には、ほとんど意味を持ちません。しかも、ドイツで Aussenbereich といわれる、建設行為を基本的に禁じる市街地外区域に似た日本の市街化調整地域でも建設が可能であることもあって、計画図の目的そのものを疑問に思ってしまいます。

州計画と連動して行われる地区計画を規範としたドイツの建設指針計画

ドイツは、経済性を優先したために都市計画が破綻するといった経験をしています。だから、バイエルン州計画にも、エコノミーとエコロジーが衝突したときには有無をいわずエコロジーをとるべきと条文に書いてあります。これは、私がミュンヘン技術大学の学生だったときに州からもらった都市計画のパンフレットに書いてありましたから、1977年にはすでにあった考え方です。その州計画の一番大きな目的は何かというと、大中核都市から小中核都市までのネットワークをつくることです。このネットワークは、一定の範囲で住民全体に同じようなサービスを提供することを目的にしていますから、たとえば医療機関であれば、ミュンヘンとニュルンベルグとアウグスブルグという大きな核となる都市に大規模な手術などに対応できる大病院をまず置いて、そこからある程度離れた中中核都市に日常的な病気やケガを扱える病院を置く。さらに小中核都市には診療所程度の施設を配置する。その上で、地域診療ネットワークをつくるという考え方ですから、都市間の公共交通機関を利用した場合にどの程度の時間で行き来できるかの整備も重要になります。
ドイツでは、美術館や歌劇場、コンサートホールなどの配置についても、これと同じように検討されます。日本ではコンサートホールが各地にありますが、ドイツは大都市にしかありません。しかしそのホールまで、各地域から公共交通を使って何分以内でアクセスできるかというネットワークをつくります。それは同じような施設を建設することの無駄を省くことと、施設のある都市と無い地域の間の公共サービス提供の格差をできる限り回避するということによります。それは憲法に、国民がそのような公共サービスを享受する権利があって、行政はそれを担保する義務があると謳われているからです。自治体が独自に作成することが出来る建設指針計画とはいえ、このような州計画、さらにその上位の国土空間整備計画の政策の影響を受けます。この建設指針計画は自治体全体のストラクチャーを示すFläachennutzungsplan、F-プランと呼ばれる土地利用計画図と、自治体地区内に起きる、規模の大きさに関らず新たな建設行為を明確に公共に提示する建設計画図であるBebauungsplan、いわゆるB-プランによって成り立っています。自治体との協議の中で国家や州政府が指定する施設の建設用地はF-プランの中に書き込まれますし、実際に建設される段階になれば自治体の権限のもとで建設計画図が作成されます。実際の建設図面は殆どが競技設計で選ばれた建築家の図面で作成されます。
簡単にいえば、この程度の都市には、この程度の公共施設が必要になるということは、F-プランに示され、州に指定された施設の建設が必要なら、B-プランをつくる必要があるということです。その結果、誰もがどこに住んでいても安心して同じような公共サービスが受けられるように、連邦制でありながら中央集権的なネットワークが張り巡らされています。ある地域の住民が他の地域と同じようなサービスが受けられない場合には、「賠償しろ」といった声が上がって大騒ぎになりますので、行政側の責任も明確になります。逆に言えば、行政側がそのような地域格差を起こさない政策を執る責任と義務があるということです。たとえば、人里離れた場所に建設許可を出すことで、居住者が一人でもその場所で生活したら、そのための都市供給施設と公共サービスとを行うために非効率な無駄遣いをしなければならない羽目になります。また、周辺住民への迷惑になるような建設を許可した場合、地区の生活環境劣悪化による資産価値低減の賠償義務が生じてしまいます。
だからプランに従っていない施設をつくることを、行政側は許可しません。そこに、行政側が建設許可を出す義務と責任があります。

ミュンヘンの土地利用計画図 出典:ミュンヘン都市建設局
新潟の用途地域図 出典:新潟市都市計画課
バイエルン州計画構造図 出典:バイエルン州開発環境省 修正図作成:水島
拡大
ドイツ都市計画システム図 出典:ミュンヘン技術大学アルバース教授研究室、和訳:水島

※1 大村謙二郎(筑波大教授)
   地区計画 都市計画の新しい展開 日笠 端 編著 共立出版株式会社
   1981年初版1刷 1985年初版4刷
   2章 西ドイツとの対比におけるわが国の都市計画の課題 大村謙二郎

※2 石田頼房(東京都立大教授) 日本近代都市計画の百年 石田頼房
   自治体研究社 1987年

※3 アーサー・コーン 都市形成の歴史 アーサー・コーン著 星野芳久訳
   鹿島出版会 1968 年初版 1982年第12刷
   「History Builds The Town」 by Arthor Korn


Part2 建築は文化的行為の結果である

S=1/1からS=1/25000まで描くことで アーバンデザインの担い手となる建築家

ミュンヘン技術大学でのアーバンデザインの授業での街づくりの演習は、まず住宅の図面を描くことから始まりました。それをもとにして6軒の家をどう組み合わせるか。その次が25軒の連棟住宅、それを並べたらどういう街ができるか。そこから発展して、街の中の集合住宅とか、郊外の集合住宅へと規模が大きくなっていきます。慣れてくると、住宅の図面を描かなくても、たとえばある区画に12mの幅の建物だったら8.5mぐらいの住居がどんなふうに並んで、どんな街区ができるかがおのずと分かるようになりますから、今度はバリエーションとしてタイプ違う家を組み合わせてみる。そんな演習を通じて、特定の地域のことだけを考えるだけでは、都市設計としては不十分だということを学びます。
先ほど申し上げたように、ドイツでは国土計画に沿ってF-プランをつくり、それに沿ってB-プランができるという流れがあります。従って、街区内の部分的に悪いところを直すだけではなくて、そこを直したらこの地域はどうなるのかということを予測しなくてはいけません。さらに、その地域が変化することが都市全体にどのような影響を与えるのかという配慮も必要です。全体を視野に入れた上で、部分をどのように計画をするのか考えるためにはS=1/25000の図面を描く必要がありますし、次のステップでは、S=1/5000の検討も必要になります。やがて、S=1/2500になると都市のディティールが見えてくることになる。そんなふうに検討し理解しないと、最終的なS=1/1の図面までは描けませんし、具体的なアーバンデザインはできないということです。

ミュンヘン技術大学アルバース教授都市計画研究室設計課題 レーゲンスブルグ中心市街地計画

ミュンヘン中心市街地クスターマンブロック計画

ミュンヘン技術大学アンガラー教授都市設計研究室設計課題 ミュンヘン中心市街地クスターマンブロック計画


社会的職能だからこそドイツの建築家が担う社会的責任

ドイツでは、建築家の報酬はドイツ建築家・技師者報酬令(HOAI)で保障されています。これは、建築は文化の一端を担うという認識に立った上で、建築家はその仕事に一定のクオリティを求められていることを意味します。その良質なクオリティはダンピングされた報酬からは得ることはできないという歴史的事実に基づいた考え方ですが、一律の設計料規定は独占法違反などといった日本の考え方、又は、文化の発展に逆行するような考え方では理解できない条令だと思います。
又、ドイツでは、施主が設計上不都合なことを要求したら、建築家が専門的根拠をもって「それはだめでしょう」と説明をします。建物に関してのことは建築家に任せなさいということですが、施主はお金を出すことで必要な建物を手に入れるのが目的ですし、そのために建築家は施主と同等のレベルでアイディアを出します。そこでフィーが発生します。だから上下の関係がなく、対等な関係の人間として計画にとって何が最良のことであるかを話し合います。これは、お金を出す施主のいう通りにしろといった意識のある日本では、理解されにくいことかもしれません。

コストパフォーマンスから芸術性まで責任を持ってコントロールする

クオリティとコストは分けて考えることはできません。だから建築家は、自分の芸術性を満足させるためには、どれくらいのコストが必要かという基準を持つ必要があります。それが建築家の社会に対しての責任です。コストパフォーマンスから自分の芸術性を完成させるプロセスの管理までのすべてを、建築家、いわゆるアーキテクトが責任を持ってコントロールしなければいけないという広い責任範囲があります。だから、創造性を自分の中でコントロールするファクターを持つ必要があります。建築家が設計する建物はその建築家以外の人が使うものです。ですから、建築家がいくらいいと思っても、施主や住民が使ってみて悪いと思うような事態は避ける必要があります。従って、自分自身に規制をかけなければなりません。
良質な建築物は、建築家の奇抜なアイディアではなくて、施主が表明した社会的な立場と、それを理解した建築家、そしてそれを表現する施工者の技術によって具現化されるものです。ですから建築家は、良質な建築が持つべき芸術性を施工者にきちんと説明し、説得しなくてはいけません。いくら建築家がいいアイディアを持っていて、しっかりした図面を描いたとしても、施工者の手を借りなければ建物を建設できません。では、そうした説明を行う上で何が説得力を持つのかといえば、最終的には造形力です。その造形が施工者を説得できるか、納得させられるかどうか。これは技術的なことではなく、建築家のその空間に対する想い、芸術家としての熱意が、どのくらい技術者を説得できるか、感動を伝えられるか、ということだと思います。このことは施工者に対した場合のみでなく、施主に対しても同様ですが。
クオリティとコストという点を考えた場合、日本の建築家に足りないのは責任の取り方だと思います。先ほども言ったように、建築家は、コストパフォーマンスの責任もとらなくてはいけませんから、ドイツでは建築家が建築見積仕様書を作成します。これは、建設部材を全部並べて記載してある書類で、日本でいう建築仕様書に近いものです。それを業者に渡して、見積りを集めてチェックするのもドイツでは建築家の仕事です。だから建築家は業者との談合に似た交渉の調整もします。談合という方法自体に問題があるのではなく、それを正当にコントロールできない管理者の能力の無さが問題なのです。

「建築」という言葉に足りないのは造形するという概念

こうした建築家のあり方は、日本にはないと実感していますが、それは日本にはヨーロッパでいう「アーキテクト」としてのバックボーンは存在しないということだと解釈しています。そんな状況を鑑みると、いま日本で盛んに討論されている都市計画法の改正の議論のなかで、建物を建設するための行政への申請手続きを「建築確認」から「建築許可」にしようとか、一級建築士の呼称を「建築家」として、ヨーロッパにおけるアーキテクトに近い機能を持たせるようにしようという動きがありますが、一級建築士は技師としての位置付けになっていることもあって、私には、ただ単に名前を変えるだけの話のように感じられてしまいます。
というのも、こうした違いがなぜ生まれてしまったのかの一つの原因、日本でいう建築という言葉には意味の上で足りないものがあるのではないかと思うからです。日本語の建築という言葉は、行為の名詞形であって、造形するという概念が入っていません。だから、もし一級建築士に建築家という言葉を使うのなら、造形するという概念も含めた言葉として使う必要があるように思います。ヨーロッパでいうアーキテクトと同じ意味で建築家という言葉を使うなら、創造するという概念を新たに入れないと意味がありません。これはArchitectureを建築と翻訳したときのボタンの掛け違いがあって、「建物」と「建築」という言葉の違いが明確で無くなってしまったからなのでしょう。
建物という言葉は、建造物や建築物という意味を持っていますから、建設されたものを指します。これはドイツ語でも同じで、Gebäude、つまり建物という言葉は建造物、Bauwerkと同じような意味を持ちます。ところが、日本語の建築という言葉は、家屋や橋などを建設する行為と、建設されたものの両方の意味を持っていますが、ドイツ語では建築、つまりArchitekturという言葉は、芸術としての造形や建造を指すBaukunst、または様式としての建造、造形を指すBaustilとされています。技巧や芸術を意味するのがkunst、様式やスタイルを意味するのがstilですから、日本語の建築とは違い明確に芸術的行為の結果を指しています。
これが、日本語とドイツ語の明らかに違う部分なのではないでしょうか。日本語の建築は、半分は物理的なものを表し、もう半分は行為を表す言葉ですが、ここでいう行為も単純に物理的な作業を表すだけで、作家の芸術性といった感性の要素が入り込む余地はありません。ドイツ語の場合は、建築は造形芸術の一つの分野だという考え方が明確です。建物とは二次元的な要素を組み立てて構成したものをいい、空間はデザインされた三次元的なボリュームを指し、建築は空間を建物で覆ったものだと定義できる。つまり、実務の面から考えるなら、建物と建築の概念を明確にしないかぎり建築家の社会的な職能は確立されませんし、その職能が確立されるのであれば、ドイツでいうアーキテクトと同じように、建築家にはその職能に見合った責任が生じることになります。
もう一つ、建築確認を建築許可にという動きがありますが、ここで考えなくてはいけないのは、建築確認には、責任が伴わないということです。シニカルにいえば、行政側も責任をとらない、一級建築士も責任をとらない。しかし、建築許可の場合は、許可した建設が都市計画的に問題を発生した時に、許可を出した行政側に責任があることが明確になります。たとえば、周りの住人に反対されるような色や制限を超える高さとか都市計画的な点で問題があった時に、責任を問われるのは許可を出した行政側になるのですから。

ドイツで高く評価されたミュンヘン・イザービュローパーク 設計:槇文彦
ドイツで高く評価されたミュンヘン・イザービュローパーク 設計:槇文彦

Part3 日本に本当のアーバンデザインとしての地区計画を根付かせるために

一体的に共有すべき将来的な都市像

日本とドイツは何が違うのか?何で違うのか?それは一言でいうと日本特有の縦割りの行政制度からきていると、私は思っています。同じようなスキームなのに、実施する面積が違うだけで別の事業区分になる。時には開発事業になったり、地区計画事業になったりと、どういう基準でそうなるのか分からないし、行政側のいろいろな部署が縄張り争いをしているように見えてしまいます。
F-プランは自治体が都市をどうするかというビジョンを表していて、そのF-プランに則るかたちで、それぞれの部分のB-プランを計画する。部分の計画を集めて構成するのではなく、背景として全体のネットワークがある中で部分の計画が造られることになります。ですからドイツの都市計画は、国の計画があって、州の計画があって、地方の計画があることで流れていきます。そして、国土計画や州計画から影響を受けている自治体の責任を明確にして、ビジョンを表明したF-プランというがあって、その枠内での新たな建設の詳細を示すB-プランがある。このシステムが、必ずしも将来の都市の状況を示すプランを意味しない日本の都市計画との大きな違いです。部分的な解決法しか行われず、しかもそれぞれの施策が有機的に関連しない日本と、市街地全体を考えて都市計画を構想するドイツの違いとその弊害は明瞭です。

ガスタンクの危険と隣り合わせの横浜の市街地
土地利用の明快なミュンヘンの市街地

日本は街づくりの手法の模索をしているようですが、その原因はこのように、それぞれの地域が独立した上で連携をとっていないからではないかと思います。簡単な言い方をすると、ドイツの建設指針計画、つまり本来の形の地区計画システムを導入すれば、全体的な視点で検討されたデザインをそれぞれの地区で行うことになり、結果として非常にきれいな街になると考えています。そんなに簡単ではないという反論されそうですが、日本のように縦割りで、道路も住宅地もそれぞれが関連なく造るのではなく、都市全体のイメージの中でつくれば良いというのは確信をもって言うことが出来ます。もちろん、ドイツでも、都市計画はパッチワークになってしまう面がありますが、そのパッチワークもF-プランという全体の枠の中でやっていますから、たとえ全体像から少しはずれても、大きな枠の中には納められることになります。全体像があれば、ある部分で増えたら、別の部分で調整するということができます。全体像がないから、一部分でやってしまったら、別の部分ができなくなる日本のやり方を考え直さなくてはいけないことだと思います。

求められるのは住民の意識改革

日本で街づくりというと主に観光になってしまいます。観光を推進することは、経済的には必要なことかもしれませんが、私は、まず自分たちが住んで気持ちよくなければ街づくりにならないのではないかと思っています。人が見てきれいかどうかという前に、自分たちが住んで気持ちいいかどうかが街づくりの基本であるのに、日本では、街づくりとしての観光の推進が、自分たちの生活を圧迫するものになってしまっているのは方向違いだと思います。
私自身が関わった街づくりで、レトロな路面電車を走らせれば観光になるじゃないかという提案がありました。そのためにはどれだけの税金が使われるのかといったことや、設置することによる都市空間の分断などの弊害などを考えたものではなく、単に路面電車が欲しいという意見でした。自分たちがいつも使えるような交通機関であれば問題はありませんが、観光のための路面電車であれば、住民の利便さに何の役にも立たないような、その街の人は年に数度しか使わないようなものを毎日走らせるために、単に税金を使ってしまうことにしかなりません。結果として自分たちの街はよくならないのです。また、大きな施設をつくって施工者は利益を得たけれど、できあがってしまった後は年間何億もの維持費かかるといった話など日本の各地にありますが、それは、それが街づくりだと思っている人が多いからです。税金を使う行政側も、自分のお金じゃないから無責任なことをやってもそんなに堪えていないようですが、ドイツでそんなことをやったら、市長は即落選です。

周辺地域の住民に活用されている1972年開催のオリンピック競技場跡地の公園
1983年開催の国際庭園展跡地の公園

開発の考え方も日本とドイツは違います。新規の開発というのは、基本的には人間の手が入っていないところを開墾(Culture が意味する言葉です) することであって、いま開発という名前でやっていることは、実はすべて再開発です。この再開発の大きな目的は、最初の開発の間違いを直すことです。ところが日本の再開発は、最初の間違いの上にまた間違いを重ねているように見受けられます。日本の再開発はスラムクリーニングですから、劣悪な環境を一見きれいにしただけで、本当の意味で居住環境がよくなっているとはいえません。インフラも整っていないのに高層の建物などをつくれば、住環境は悪くなるのは一目瞭然です。これに対して、ドイツの場合は社会主義的な背景もあって、再開発の目的は住民にとっての居住環境の改善だという考え方が徹底しています。経済性より生態環境性という考え方の背景にもなっているように、一番に問題を発生させるのは経済優先の都市計画なのです。産業革命の後に経済を優先したことによって、人間性を無視した都市開発が行われてしまったように、ヨーロッパはそのことを既に経験しています。 だから、ドイツでは都市計画の結果損害を被った人への保障まで考えられています。改善したことによって利益を得た人たちから負担金を徴収し、損失を受ける人を保障するソシアルプランがあります。確かにドイツの場合はやり過ぎだという声もありますけど、そのくらいしないと、誰にでも平等な居住環境が提供できないということだと思います。

自分たちが住みたい街にする そんな視点からの街づくりを

観光での街づくりに話を戻しますが、ドイツでも、ロマンチック街道では、戦後の一時期、街のなかを観光施設にしてしまった時期があります。普通の店をお土産屋にすると儲かる。そうすると、いままで地域の人が、ちょっとミルクを買いに行ったりしていたのが、買えなくなってしまう。つまり、自分たちの生活が不便になる。それに気づいて彼らは観光化を止めました。造ってしまった施設はそのままにしておいて、これ以上増やさないようにしました。ローテンブルクの建設局で聞いた話ですが、「自分たちが住めなくなったら、自分たちの街じゃなくなってしまうということ。街づくりの基本はそれだよ」と。この話を聞いた時に、まったく当たり前のことと納得しました。我が街は、我々が住んでこそ我が街であるということで、ローテンブルクの住民は観光ではなくて自分たちが住みやすいかどうかという視点から街づくりを始めました。ところが、70年代の半ばに自分たちが暮らしやすい街づくりに切り替え、城壁の外に駐車場をつくって街の中に車を入れないようにしたら、逆に観光客が増えました。車が通らないので街の中を自由に散策できるようになり、観光客にとっても魅力が増えました。つまり、自分たちが歩きやすい街は、観光客も歩きやすいということです。ロマンチック街道は観光を売り物にしなかったが故に、今こうして昔風に残っているのかもしれません。もちろん観光で潤っている街ですけれど。日本では、観光、つまり人を呼ぶことが街づくりだと思っておられる方が多いのですが、自分たちが住んで不便な部分を直すことが先決だという事例です。

第二次世界大戦の戦災で壊滅状態になった街を復興させたローテンブルグ
第二次世界大戦の戦災で壊滅状態になった街を復興させたローテンブルグ

日本は、街づくりに民衆が関わった歴史がほとんどありません。権利をきちんと主張したことがないから、自分たちの暮らしを脅かす相手に対して喧嘩もできないし、時には喧嘩もしなければいけないという認識もありません。自分たちの生活を守るという経験がないから、自分たちの生活の場である街づくりに何が重要かということに気付かないのです。たとえば、体育館のない街の住民が森を壊してでも体育館が欲しいと主張することはあっても、体育館ができたらどれだけ自分たちの生活が豊かになるかという議論はしない。余暇を利用して健康になるための体育館こそが自分たちの生活のクオリティを上げるんだという話だけになってしまう。誰も、どうして森のままでは健康づくりができないのかも聞かないし、聞いたとしても多数賛成派の意見に消されてしまいます。体育館の目的は住民の健康のためだから、森を残してジョギングコースにした方が健康的ではないか、ちょっと森を荒らすことになるけど、トレーニングができる設備をつくればいいでしょうと確信を持って語れる人と場が日本には少ないと思います。

長いスパンで考えるべき経済効率性

ドイツでも、もちろん経済効率性を考えます。ただちょっと語弊があるかもしれませんが、スパンが違います。何年たって儲かるかという考え方、それが日本は短いのだと思います。たとえば、一戸当たり180m2、60坪ぐらいの土地であったとしたら、ドイツでは長屋で計画します。そうすると土地の半分は庭で残ることになるからです。仮に180m2の土地で奥行きが30m、間口が6mだと、境界線からの引きが5m、建物が12mなら、残りは13mになります。この13mと引きの5mも、一軒の家だと狭い庭でも、2軒、3軒、10軒と並んだのを合わせれば、成長してグリーンベルトになる。50年、100年といった長いスパンで考えるとこういう発想ができる。ところが、日本のデベロッパーと話しても、そんな話にはなりません。慣習的な正方形が良いという日本のやり方なら、グリーンベルトとして残るはずがありませんし、将来的に環境が良くなることで資産価値が上がるということもありません。これも、経済効率を短いスパンで考えていることの一例です。

某集合住宅地計画:敷地の大きさ、住居面積、住居数を
同じ条件で計画した場合のドイツと日本の比較

日本従来の敷地割集合住宅地
フランクフルト、レーマーシュタット集合住宅地
設計: エルンスト・マイ
ドイツ式シードルング集合住宅地
レーマーシュタット集合住宅地

日本の都市を美しくするために育てたい 真の意味での建築家

考えなければいけないのは、クオリティの悪い環境に住んでいて、人間としての尊厳を守れるかということだと思います。良くない環境に住んでいて、それが当たり前になってしまうことで生じる文化の落差みたいなものがある。日本人は、戦前にはすごくいい環境に住んでいたのに戦後にバラックを建てたことで、それが当たり前になってしまった。家の中にモノがいっぱいで、ちょっと歩くと何かに当たってしまうのが当たり前の住環境になっている。一度慣れてしまうと、なかなかそこから抜け出すことはできません。だから今の日本では、街の中でも景観とかそういう視点がなくなってしまっているのではないでしょうか。
池邊陽先生※4が50年も前にその著書『すまい』で、「日本の古い街の美しさ、故郷の自然の美しさについては誰もが大きな親しみを持っている。ところが、今後の都市の基調を作るはずのアパートについてめったにこの面からの批判はない」とアーバンデザインが顧みられない不可思議さを指摘され、日本の住宅はなぜ美しくならないか、住宅が美しくならないと都市は美しくならないのに、という疑問を提示していらっしゃいます。
決して高価という意味ではありませんが、質の高い住宅に住む人が、美しい風景、都市美を感じるようになれば、都市が美しくなるのは必然のことです。ですから、日本の都市を美しくするためには、都市建設の基本的実務を行える専門家、つまり真の意味での建築家を育てて、行政や住民意識も含めてそうした職能を持つ人材が活躍する場をつくっていかなければなりません。実は今、ドイツでの実務の経験を持つ私が、そうしたメッセージを真剣に発信していかなければいけないのではないかと考えています。


※4 池邊陽(東京大学教授)すまい 池邊陽 岩波婦人叢書(岩波書店) 1954年初版 1955年第2刷

水島氏 池邊氏

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