街に、ルネッサンス UR都市機構

~都市の景観について考える~歴史家からみた景観づくり

銀座大通り: 明治6年の竣工直後、ガス灯は歩道側に、松、桜、楓の並木はなぜか車道にある
1等煉瓦家屋立面図: 図面、写真、銅版画などから平均的な姿を復元したもの
出典:明治の東京計画(岩波書店)

藤森 照信氏[建築史家、建築家、東京大学生産技術研究所教授]

景観づくりの効果や評価は、時間が経ってみないとわからない。
初回のインタビューは、歴史家として明治の東京計画などに詳しい藤森照信氏にお願いし、歴史家からみた景観づくりについてお話を伺いました。

  • 藤森 照信氏 Profile

聞き⼿ UR都市機構 都市デザインチーム チームリーダー ⽊下 庸⼦

  • 木下 庸子 Profile


銀座煉瓦街計画が残したもの

木下 庸子

木下:藤森先生はこれまで歴史家として、地理的にも時間的にも広い視点で建築をご覧になってこられたかと思います。ですから、今日は都市デザインや都市景観という視点から先生にお話しを伺いたいと考えています。まずは、先生の著書『明治の東京計画』(岩波書店)で取り上げられている「銀座煉瓦街計画」や「官庁集中計画」あたりのお話からお聞きしたいのですが。

藤森:銀座煉瓦街計画と官庁集中計画は景観計画と言ってもいいものです。実用性から見たら無茶苦茶で、銀座にいた伝統的な商人たちをヨーロッパ風商人のあり方に変えようとしたわけですし、官庁集中計画では、江戸の街が続いているようなところにパリのような街をつくろうとしたわけです。それらの計画はヨーロッパ的な景観が欲しいという、銀座煉瓦街ですと文明開化でヨーロッパのようにつくりたいとうことであり、官庁集中計画は政策的で、不平等条約改正時に文明の度合いが対等でなければならないと難癖を付けられたことが理由です。当時外務大臣だった井上馨は、日本の文明度合いを示そうと鹿鳴館をつくり、一生懸命ダンスを教えるわけです。そんなことは効果があるわけないのに。(笑)鹿鳴館が成功したと思って、それで東京中をパリのようにつくりかえようとしたわけです。でも、鹿鳴館が実は効果がなく、不平等条約の改正が決裂します。その責任をとって井上馨が失脚したために官庁集中計画もそこで中断してしまいました。

木下:先ほど銀座煉瓦街計画は景観計画だったと言われましたが、私は耐火や防火という大義名分のもとに、景観的な効果をも果たすことができた計画だと理解していたんですが、そうじゃなかったのですね。

官庁集中計画ベックマン案(明治19年6月立案):中心軸は、築地本願寺の大屋根より霞ヶ関の丘を望みみて決めたと思われる

藤森:ええ。そうじゃないんですよ。この2つの計画は景観計画と言えます。デザインはウォートルスのデザインで統一しますから。ヨーロッパから見ると遅れたデザインですけど、当時の日本人から見たらえらく進んだものでした。ギリシアの列柱みたいなのを通したり、アーケードは僕が調べただけでも7キロありましたから。銀座で。7キロもやっていいのかと問題はありますけど、それはすごかったですよ。それに歩道をつけるとか美しい街路樹も日本で最初ですからね。ただ植えた木が間違ってて、マツとモミジとサクラ。ほとんど花札みたいな(笑)。どれも街路樹としては弱い、すぐ枯れちゃう。今は植えるやつはいないよ(笑)。

木下:そのような計画を歴史家としてご覧になって、現在に残したもの、あるいは今後の景観づくりにヒントになりそうなものはどんなことでしょうか。

藤森:ヒントになるとしたら、経験則的に言うと、道幅や歩道をつくるというのは大事。銀座の今の道幅はウォートルスが決めたものから1センチも動いていないように、道幅や歩道をつくる土木的な土地に関わる規制が変わらないということ。でも、道添いの家がね、できた後どんどん壊されますから。勝手に増築したり、手を加えたり。だから、どこか日本の人は建築を信じていないところがある。土地は信じても。僕が歴史的な教訓として思うのは、不法は無法よりいいということ。あの計画はヨーロッパから見ると時代遅れ、当時の日本から見ると先進的だった。欧州から見て時代遅れと見えても、銀座は地価で日本橋を抜きますから。銀座は今でもほかの都市よりはきれいでしょう。変な言い方になりますが、自分たちがどうやって儲けたかというと、良いストリートを作って儲けた。街を歩道と車道にきちんと分ける、並木道をつくる、それで街を統一することで、人がそういうところに喜んで来るということなんです。歩きやすいし美しい。やはり渋谷新宿に比べると全然美しい。法的なコントロールというよりも銀座で変なことはしてはいけないというのがなんとなくあるんでしょう。

木下:それはそこにいる人たちの意識が高いんでしょうね。意識を高めるほど煉瓦街計画はインパクトがあったと。

藤森:もうひとつは日本橋には居場所がなかった時計商、パンや、資生堂、真珠製造とか、新しい商人が出てきたということです。それは大きい要因ですよ。それは政策ではないけど。それと銀座は米軍に焼かれるまで大火は一度もないんです。だから政策はあたったと言える。銀座の商店の人たちは今でも街を美しくしなければいけないと思っている。それが大事だと。

プロジェクト型で景観をつくる

木下:先生のコメントで興味があったのは、明治の計画は、封建都市江戸を越えるといった、具体的な都市像を掲げたプロジェクト型であったのに対し、大正以降は法規制によるコントロール型に移行していったということ。

藤森:僕はプロジェクト型の方が好きなんです。日本は法によるコントロールが中心になっている。法ってすごいもので、例えば金沢の駅前の整備をいろいろやってますけど、あれは戦前の計画ですよ。それを数十年後に区画整理してつくっているんです。プロジェクト型は打ち上げ花火的だけど、法のコントロールは平気で数十年かけている。そしていずれ実現しちゃう。

木下:でも、時代は変わっちゃいますよね。

藤森:そう。その問題がある。数十年前の計画をやっていると、全然条件がかわっちゃうわけです。その辺が難しいですよね。プロジェクト型の短期決戦は効率もいいけど全面的にはできない。のんびりゆっくりやっていくコントロールはいつできるかわからないけど、できたときには現実に合わない。例えば横浜市では、道路を通すときに地下に埋めるとか、プロジェクトの積み重ねで横浜は整備をやっていますよね。だからプロジェクト型は方法としてあると思いますね。

仕上げ材の統一による景観づくり

木下:時代は変わってしまっても、道路が法によるコントロール型でできていくというのはひとつの都市に対する貢献であると思うんです。ところで、今後建築はどのようにコントロールしたらよいのでしょうか。何かアドバイスはおありですか。

藤森:僕が今思っているのは、使う仕上げ材のコントロールをどこかでやってみたらいい。形はどこまでコントロールすればいいのか難しいけど、仕上げ材のコントロールはそんなに難しくない。例えば、陶器会社のお膝元の街は景観条例でタイルにしろとかね(笑)。僕は議会を通ると思いますよ。だって、皆タイルで食っているんだから。富山市は全部アルミのパネルとか(笑)。

木下:都市の特徴が出ますね(笑)。

藤森:その地域の人の勤め先であるとしたらね。そういうことを大規模にやるのは問題だけど、どこかがやってみれば建築家もじゃあアルミでできることは何かと考えますよね。木材の産地だったら街全部仕上げは木にしなさいとかね。瓦の産地ならとにかく瓦を使えと。そういう材料のコントロールは形のコントロールよりもずっとしやすいし、同意もえやすい。モダニズムにしなさい、屋根は必ず妻入にしてとか形のコントロールは難しい。ちょっとやってみれば全然違うと思いますよ。見えてるものが全部木だとしたら素晴らしい。

木下:こだわりのある方でしたら材料を指定してもそれなりにセンスよくやってくれると思いますね。

藤森:例えばイタリアに行くと都市が整っていると思いますよね。でも歴史家が見るとルネッサンスやゴシックやバロックがあったりと、実はいろいろ混在している。だから違って見えるんだけど、材料が同じなんです。だいたいその地方の材料でまかなうよね。重くて運べないから。

木下:材料のコントロールはなんとなくガイドラインに有効そうですけど。

藤森:歴史的街並みなどは特にそうですね。プラスチックや工業製品がどこにも見えないだけでもけっこういいもんですよ。逆に高松みたいに木や瓦がどこにも見えないのもそれはそれでいい。材料の統一を見てみたいという気はしますね。

東京の景観をどうするか

藤森氏 木下氏

木下:今後、東京の景観はどのようにしたらよいのでしょうか。

藤森:東京はどうしようかね。区長の好みとか(笑)。表参道は打ち放しというわけにはいかないしな(笑)。ただ、僕が昔思ったのは、高松で丹下さんが香川県庁舎をつくって以降、割合モダニズムが並んだんです。理由は知らないですけどわりと県民の同意を得られたというか。いろいろな材料を使ってますけどモダニズムで統一されていて、いい通りですよ。金子知事が美しい街をつくらなければという使命感をもっていましたから。金子知事と丹下さんと、当時県にいた人たちがいろいろいて、あの人たちなら、モダニズムでも美しい都市ができると僕はそのとき思った。とにかく、景観は無法より悪法の法がいいんです。無法とはアナーキズムです。それよりか悪い法律の方がいい。それは思います。もちろんホントは良法の方がいいんですけどね。

木下:法律がないとやはりダメなのでしょうか。高松は建築家の意識が高かったんでしょうね。行政の方の意識ももちろん高かったから、それぞれが個別にやっていてもバランスのいい街並みができたのだと思います。でも、そこに関わる建築家や住人たちの意識に頼るというのはやはりリスキーな気がしますね。

藤森:建築家は法律の裏をかこうとしますからね(笑)。基本的にはいい建物ができれば満足なんですけどね。高松のようにあるレベル以上のものが建っていれば形はバラバラでも美しい。でもそれは難しい。そうすると材料の統一を試してみたらどうなるか。昔の京都の町は相当違う。一般の町屋と商業的な建物があります。それから劇場やお寺もあります。レベル的には違うけど、なんとか見れたのは土と木と瓦の3種類だけだったからです。京都の町で使いえたのは。日本のまちは木を組んで間に土を塗って屋根に瓦と。それしかないですから。統一をやぶることは不可能ですよね。

木下:建築探偵団をやられて東京をどうご覧になりますか。東京は、いくつかのキャラクターに分けられるでしょうか。

藤森:分けられますがそれと建築の表現とうまく結びつけることが難しいですね。

木下:バロックの都市パリは革命から80年かかって形成されたこと、また、イギリスの田園都市は産業革命から100年以上かかっており、都市が熟成するには時間がかかることを先生も強調されています。景観についても、何か旗を揚げてから、50年、100年のオーダーでないと結果が見えないものですよね。その旗揚げを誰かがやらないといけないんですよね。

藤森:日本橋を復元しようというのはいいことですけど、あのくらいの力があればね。各地も動き始めてますよ。地域の伝統を大事にしようというのは建築関係者でない女性を中心に出てますよ。このままではとんでもないことが始まるという危機を何かしら感じているんだと思います。それはうれしいことですよね。いままでは自治体がたくさん景観条例をもっていたわけですが、それで違反する建物を取り締まりますよね、それで裁判になる。すると負ける。国法のバックアップがないまま地方が景観をコントロールしていたからですね。ヨーロッパは国がもっと前から厳しく当たり前のようにコントロールしてましたからね。景観法への期待と併せて、これから良くなっていくと思います

都市機構への期待

木下:最後になりますが、都市機構に対して何かご意見がございましたら、是非この機会にお聞かせ頂きたいのですが。

藤森:あまり名前を変えないでほしい(笑)。同じ地域で公団が開発したところと民間が開発したところで並んでいるところがありますよね。圧倒的に公団のほうがいいですね。民間はギチギチしている。民間のディベロッパーとは違ったゆとりやパブリックの魅力は公団のほうがいい。貧相なところは街全体が貧相になりますから。パブリックな部分でいい環境をつくっていますから、是非そういうところを守っていただきたいと思います。

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