Profile

栗城 英雄

東北震災復興支援本部 復興支援部
大熊復興支援事務所 まちづくり整備課

2005年入社。埼玉県内やつくばエクスプレス沿線のまちづくりに従事した後、2013年より震災復興支援に従事。福島県いわき市での津波被災地の復興まちづくり、岩手・宮城・福島の復興支援に携わったのち、2020年〜2022年に従事。原子力災害が特に大きかった大熊町の復興支援を担当。

住民が、ゼロとなったまち

URは、東日本大震災の発生直後から被災地へ職員を派遣し、復旧・復興に取り組んできた。26の被災自治体と協定などを結び、2021年8月までに、復興市街地1,513haの整備と災害公営住宅5,932戸の建設を実施。多くの地域で新たな生活が始まっている。一方で、復興への道になかなか踏み出せない自治体もあった。原子力災害が特に大きかった大熊町と、隣接する双葉町と浪江町。これらの3町は、放射線量のレベルが非常に高いことから、長らく「居住不可」とされてきた。中でも大熊町は人口1万人の町だったが、震災から8年間、町内人口は特殊な例を除きゼロに。震災から4年後の2015年にようやく「居住制限区域」避難指示解除を目指すことが国レベルでも示され、このころから大熊町において、自治体との二人三脚で、住民ゼロからのまちづくりが始まった。その非常に難しいまちづくりを2019年から担っているのが栗城である。

復興への着実な足取り

入社後は、埼玉県内を中心にまちづくりを行ってきた栗城。しかし、東日本大震災を機に、そのキャリアは大きく変わった。身近に福島県出身者がいたこともあり、「福島の復興に力を注ぎたい」という強い想いを抱いたのだ。最初に赴任した被災地は、いわき復興支援事務所。5年間、津波被災地の復興に奔走した後、本社に異動して岩手・宮城・福島の震災復興支援に従事。そして、再び赴任した復興の現場が大熊町だった。「URの取り組みには大きく3つの形があります。『基盤整備※を中心とした復興拠点整備』、『建物の建築工事に係る発注者支援』、そして『ひとを地域に呼び込む地域再生支援』。私はURが得意とする基盤整備を基本のミッションとしながら、整備された土地にどのような建物の立地を計画・誘導していったらよいか、その建物がどう使われたら魅力的な復興につながるかなど、多方面と議論を重ね、まちづくり全体の調整を行っています。」2019年に避難指示が解除された大熊町・大川原地区では、まちのビジョンや計画の大枠を策定、URが整備した土地を段階的に引渡しし、施設等の建築工事と施工調整を行いながら、早期の住宅・施設の立地を図り最初に役場新庁舎が業務を開始。続いて、公営住宅や福島再生賃貸住宅が整備され、順次入居が進み、現在は大川原地区に約300人が居住。さらに、交流施設、商業施設、温浴施設、福祉施設なども整備された。特に福祉施設の再開にあたっては、災害により地域内に事業の担い手がいなくなってしまっている状況の中、ノウハウを持った民間企業と連携し運営事業者が再開できる環境を整えるとともに、福祉施設の運営ビジョンをともに作成するなど奔走した。
原子力災害被災地域では、住宅地や公共施設を整備するだけで人が戻ってくるわけではない。住民がゼロになった地域の復興には、地域固有の価値や可能性を探り、サービスや生業の担い手を発掘し、地域に関わる人たちを巻き込んで増やしていく、地道な取り組みも必要なのである。

※新しいまちをつくる際の道路や上下水道のインフラと宅地の造成を一体的に行うもの

「まちびらき」がスタートライン

大川原地区に続き、栗城が現在取り組んでいるのが下野上(しものがみ)地区だ。下野上地区では、JR常磐線の大野駅を中心とした約860haで集中的に除染作業が行われており、2022年春には、避難指示の解除によって住民が帰還し居住できるようになる予定である。そこから約2年後に予定するまちびらきに向けて、大熊町のまちづくりを一体的に支援し、インフラ整備等を進めている。
特に、駅の西側エリアは復興再生の中心地に位置づけられ、まちの将来を見据えたシナリオづくりを進めている。市街地形成のための住宅施設整備、産業交流施設の整備、地域とさまざまに関わる関係人口の創出、その活動の場の構築など、産業や商業、福祉、文化教育をはじめ様々なものと関わりを持ちながら一つの方向性を出していくことが求められる。
「来たるべき『まちびらき』に向け、ハードとソフトの両輪を急ピッチで進めています。大野駅西側エリアは、もともと大熊町の中心街。復興再生の一丁目一番地です。この『まちびらき』こそが、復興のスタートラインだと思っています。」

やるしかない。新しい価値を生み出すために。

原子力災害に遭ったまちでは、復興後にどのくらいの人が帰還するのか、あるいは新たに移住してくるのかが想定しにくい。
「もともとここにいた多くの人が、もうすでに新たな土地で生活の基盤を築いている。病院通いや介護の関係で帰還できない方もいると聞く。」
下野上地区では2027年までの居住人口を約2,600人と見込むが、その道は極めて険しい。それでも栗城は「やるしかない」と力強く言い切る。
「住民がいない環境でまちづくりをする。これは前例のないことです。原子力災害で人が住めなくなってしまったマイナスの状況をゼロに戻すのではなく、プラスに変えていきたい。世界に応援されて復興してきたこの場所を、今度は世界へ恩返しできるほどにしたいのです。働く場や生活の賑わいを再生することはもちろん、さらに新しいものを生み出す仕組みをどうつくっていくか。URの持つ力を活かしながら、小さくても新しい価値を一つひとつ生み出していきたいと思っています。」栗城が常に思うのは、この土地を離れた一人ひとりの避難者たちが背負うものの重さだ。その人たちにいかに寄り添えるか。正解がない中で、最適解を求める栗城の奮闘は続く。


※取材時の情報となります。