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ディスカバー千里

Web編集者・塩谷舞さんと千里歩き

通った道と楽園の町

先頃、クリエイターや作家を紹介するメディア「milieu」を立ち上げたWEB編集者・塩谷舞さん。また、ライターとしてWEBに登場し、話題になることもしばしばな彼女なのですが、出身地は千里とのこと。小・中・高・大、千里で育った根っからの千里ッ子なのです。今回は、そんな彼女の思い出の道を歩きつつ、「文章表現が好きになったきっかけ」だという青山台文庫の話、そして、団地、千里、さらには、自身の仕事について聞いてみました。

通った道と楽園の町

現在は、東京に住まれていますが、千里に帰ってくるのは久しぶりですか?

大阪には毎月帰ってきています。結構、関西の仕事も多いんです。実家は今も変わらず千里にあるので、仕事に余裕があれば実家にも帰っていますね。

ただ、この取材の話をもらったとき、「千里の思い出」と聞かれて、私の頭のなかに出てきたのが、高校時代に北千里のスターバックスで何時間もしゃべったこと、イオンの上にあるゲーセンで当時の彼とプリクラを撮ったこと、同じく北千里のファミリーマートでざるそばを買って部活に行ったこと......とか。思い返すとチェーン店ばっかりで、全然ローカルな感じがない! どうしようって思ってて(笑)。

三姉妹の末っ子として千里で生まれたしおたんこと塩谷舞さん。

それもひっくるめてお伺いできればと思っています。ちなみに、小学生の頃など団地に住んでいる友だちはたくさんいましたか?

はい。私は古江台小学校というところの出身なのですが......古江台含む千里ニュータウンは、1つの学区の中に、マンションと、団地と、一戸建てのエリアを計画的に組み合わせて、町が作られているらしいんですよ。だから、団地住まいの同級生もたくさんいました。

その友達とは、今でも会ったりしますか?

そうですね。私と同じように東京に住んでたり、大阪の中でも茨木や、淀川のあたりに住んでいる人も多いですが。年末年始はみんな実家に帰ってくるから、北千里の飲み屋さんで集合して、昔みたいに公園で遊んだりしていますよ。古江台小学校時代の友人は、今でも仲良しです。

そうそう! この「古江路」っていう道路名。昔、公募しますっておしらせがあって、いろんな道の名前を市民が決めたんですよ。すると、ほとんどがなんとかストリートみたいな、英語名が多いんですけどね。ここは「古江路」って。なんかそのシブい感じが良いね、古江台らしいね、っていってました。

1998年から3年間にわたって、吹田市と公募した市民による「吹田市道路愛称づくり市民会議」が開かれて決定。古江路のほかにも千里ぎんなん通り、九十九坂、竹の子通りなどがあります。

青山台団地の入り口の道路に書かれていた三角形のマーク。「可愛い」という反応と共に激写するしおたん。

これは公募で決まった名前だったんですね。知りませんでした。で、この古江路の先に行くと青山台団地ですね。

青山台というと、私、青山台団地の中にある「青山台文庫」の熱心なユーザーだったんです。そこで開かれる絵本の読み聞かせや、様々なものづくりをする環境が本当に大好きで、皆勤賞レベルで通っていました(笑)。

へぇ。そうなんですね。ローカルな思い出ありましたね!

ロンドンで絵本の研究をされていた正置友子さんという方が開いた場所で。図書館みたいにずらーっと絵本が並んでいるのですが、でも図書館よりもアットホームで、楽しくって。母が正置さんのファンで、塩谷家の三姉妹はずっと青山台文庫にお世話になっていました。

※ 編注:青山台文庫、及び正置さんについては、こちらをご覧ください。

三姉妹揃って青山台文庫をつかっていたそう。

中の様子を伺うしおたん。ちなみに、取材当日は休みの日。「本の数は私の来ていた当時より増えているんじゃないかなぁ」とのこと。

たくさんの子どもたちが集まっていたんですか?

めっちゃ多かったですよ。私は仲が良かった古江台の子たち5人くらいと自転車に乗って、隣町である青山台まで通っていました。多いときは集会所に50人とか60人くらいいたと思います......たぶん。

それは凄いですね。

絵本作家さんも来てくださるし、絵本に載っているものを実際に作ってみたりもするし。「びゅんびゅん駒」が出てくる絵本を読んだら、みんなでタコ糸と牛乳パックでびゅんびゅん駒を作って、ひたすら回す大会みたいなこともしました。他にも、紙飛行機の世界コンテストで優勝している石井芳治さんという方を招いて、外で紙飛行機を飛ばしたり。絵本の世界を肌で体験するような、立体的な遊びをやらせてくれるのが楽しかったですね。

どのくらいの期間来ていたのか覚えていますか?

ほぼ赤ちゃんくらいの時から、小学校高学年の頃まで。たぶん毎週来てたんじゃないかなぁ。

すごい常連ですね。

そう! 青山台文庫のクリスマス会の前には、私の実家に近所の子たちが集まって、楽器の練習をしたりとか......。

ただ集まるだけじゃないんですね。ちゃんと広がってる! 青山台文庫以外でも集会所に来ていたことは?

古江台にある集会所で、バレエを習ってました。

えっ? あの踊るバレエですか?

そう。他は近所の先生のご自宅でされているピアノ教室と、吹田のほうでミュージカルのレッスンにも通っていました。

関西的に言うと、まさに"エエとこの子"ですね(笑)。ちなみに、景色はどうですか、変わりないですか?

当時はなかった、URと建築家の伊東豊雄氏とのプロジェクトによる「みんなの庭」。「団地に住んでる子たちは、ご近所づきあいの距離感が近くて、お母さんがベランダから『ご飯できたよー』なんて声がかけられたりする様子を見て、うらやましかったです』と。

塩谷家の宝物。絵本作家のかこさとしさんが青山台文庫に来たときに描いてもらった三姉妹の絵とサイン。

私が青山台文庫に通ってたときは、こういうのはなかったですよ。

これは「伊東豊雄×UR みんなの庭プロジェクト」で集会所前に作られたBBQコーナーです。ちかくの丸い花壇、「みんなの庭」では住人の方がハーブを植えられたりしているんですよ。

へぇ! そんなのができているんですね。

古江台にあるマーケット。当時はここに駄菓子屋さんや本屋さんがあり、よく通っていたそう。

中学時代、クラスの窓からよくモノレールを眺めていたそう。「中学生の頃は早く卒業したいって一心でした」

ここで少し、現在の仕事の話を聞かせてもらいたいんですが、メディアを作られましたが、その理由は?

「milieu」

そもそも、私がメディア「milieu」を作った理由は、「良い!」と思ったものをストレートに伝える場所が欲しかったからです。

その話は、高校生の頃に遡るんですが......。当時、同級生の男の子にすごく絵の上手い子がいたんです。私も絵は得意で、、そのうえ営業力もあったので修学旅行のパンフレットみたいな目立つ機会は、全部私に回って来てたんです。でも、私からしたら彼の画力のほうが圧倒的に上。彼が描いたほうが何倍も魅力的になるのに......と思ってたんです。

でも、目立つためには、社交性だったり、営業力だったり、「絵を描く才能」以外の能力も必要。ただ、人並み外れた才能がある人に限って、営業は苦手だったりします。だから「自分より優れた才能を、もっと広められないものか」ってもんもんと悩んでいたら、美術の先生に「学芸員」や「キュレーター」という仕事があることと、そんな仕事に就くための学部が芸大にあることを教えてもらって。高校3年生の11月のことでした。

それから、デッサンやセンター試験なんかの猛特訓をして、京都市立芸術大学・美術学部の総合芸術学科というところに入りました。

自分がというよりも、サポートする側に回りたいと。

そうですね。一番やりたいのは、何かしらボタンの掛け違いでうまく循環していないところを、適切に循環させていくような仕事。お金がなかったり、有名人がいなかったりして、既存のメディアが取り上げないようなところでも、素晴らしいモノがあったりします。そんなところにも、私個人であれば取材に行けるし、今はSNSがあるから、工夫次第で情報はどんどん拡散します。

長年、思ってきたことがようやく形になりつつある感じですね。

はい。ちなみに、先日代官山を歩いていたら、高校時代に猛烈に影響を受けた例の同級生に再会したんですよ。高校卒業以来会ってないから、ほぼ10年ぶり。「なにしてるん?!」って言ったら、2015年の写真新世紀でグランプリをとって、その授賞式に来てたっていう! 迫鉄平くんというアーティストです。

私にきっかけをくれた迫くんは、やっぱりただものではなかった!って、なんだか嬉しくなりましたね。

笑 それは良いエピソードですね。そんな話を聞いていたら、いよいよ今日のゴールの万博が見えてきましたね。では最後に、そんな思い出がある千里ですが、改めて今どんな町だと思いますか?

千里に住んでいた頃は、基本的に町を歩く人は知り合い、というのが当たり前。そんな認識で過ごしていたんですが、東京は他人ばかりが暮らしている。寂しいな、というギャップは感じました。

千里の場合、歩いたら知り合いに会うし、住宅地ばかりで外から人が観光に来るような場所じゃないから、暮らすためだけに人がいるので、とても空気が柔らかいんです。繁華街ではありえない柔らかさが、子どもにとっても優しい。

繁華街にあるようなギラギラした看板は一切ないから、千里には「毒」のような要素がないんです。大阪らしい、ギラギラした街も味わい深くて好きなのですが。でも、子どもの頃はこの柔らかい環境がよかったと思うんです。

近所にレストランがもっとあればいいのにとか、商業施設が多ければもっと賑わうのにとか思うんですけど、子どもにとってそれはいらないから。大きな公園があって、青山台文庫があって、友達がたくさんいて...子ども時代の私には、ここが楽園だったと思います。もちろん今も、一番落ち着く場所です。


通った道と楽園の町
塩谷舞さん
プロフィール
ライター / Web編集者。大学時代に関西の美大生をつなぐネットワーク「SHAKE ART!」を立ち上げ、展覧会のキュレーションや雑誌編集などを行う。その後、東京にある株式会社CINRAにて勤務。2015年からフリーランスに。才能を伝え、あたらしいシーンを作ることを使命に活動中。
http://milieu.ink
https://twitter.com/ciotan
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