TALKING

3月の記者発表後、さまざまなメディア等で取り上げていただき話題を呼んでいる本プロジェクトでは、ディレクターアーキテクトの隈研吾さんとプロジェクトディレクターの佐藤可士和さんを中心に、中長期の視点に基づいた各種の施策アイデアを議論し、今後の計画を練っています。本サイト「TALKING」で、各界の方々と意見を交換し、多角的な視点でアイデアをふくらませていくことも、そのひとつ。最初のお相手は、ジャーナリストの清野由美さんです。「人々の新しい生き方や価値観を探訪する」というテーマを通じて、建築にも大変お詳しい清野さんに、隈さん・可士和さんと、「団地の未来」プロジェクト発足から今後への意気込みに至る「裏話」を楽しく語っていただきました。その様子を5回シリーズでお伝えしていきます。

vol.3団地の未来は面白い~清野由美さんをお迎えして

隈と可士和が本気になった

打ち合わせ風景

清野 「団地の再生」というトライアルを隈さんと可士和さんが引き受けられた。その理由からうかがっていきたいと思います。

 僕は歌舞伎座や日本郵政本社ビル内の商業施設「KITTE」のリニューアルを手がけてきましたが、団地はそういった、いわゆる建築史的な価値の文脈とは、ちょっと違うところに位置する。そのポジショニングに、すごく面白さを感じました。

清野 団地は今、住んでいる人たちがいて、そこに暮らしがあって……と、アクティブですよね。

 そこには、暮らしや生き方の価値転換という可能性がある。そう思うと、単なる技術的な解決ではなく、クリエイティブな歴史の継承と再生という方向に広がっていきますよね。

佐藤 隈さんは最初からピンと来たんですか。

打ち合わせ風景

 はい、ものすごく(笑)。僕は大船にある中学・高校に通っていたのですが、ちょうどそのころに洋光台団地が作られていて、山がどんどん造成されて、団地になっていく様子を、電車の中から毎日見ていた。あれはワクワクする眺めでしたよ。

清野 引き受けられたのは、第5代歌舞伎座(2013年落成)を終えた後ですか。

 歌舞伎座を手がけている最中でした。歌舞伎座という「ザ・歴史」と、団地という「ザ・生活」という両極の再生に取り組める。なんてラッキーなんだろう、と思いました。

清野 可士和さんは、どのようなきっかけで?

佐藤 僕は隈さんから声をかけていただいたんです。隈さんとはいろいろな場所でお目にかかっていましたが、仕事をご一緒する機会はなかなかありませんでした。で、ある時、デザインアソシエーションの理事会の帰り際に、「可士和さん、団地やらない?」と、唐突に声をかけられて。

 立ち話でね(笑)。

佐藤 最初は「えっ?」と(笑)。

 建築家が建築をリノベーションする時って、「わりとイケてるデザインでしょ!?」みたいに自己満足で終わるパターンが多い。でも、イケてるだけじゃだめで、それを社会に届けないと意味がないんですよ。それには、デザインと社会とを結ぶ才能が絶対に必要で、だとしたら佐藤可士和という天才的な才能以外にないな、と。

佐藤 恐縮です(笑)。たとえば「カッコいいホテルを作りたいんだけど……」という話は、わりと想像しやすいじゃないですか。でも「団地」は予想外。ただ、隈さんからパパパッと説明を受けたら、すぐイメージが湧いてきた。「あ、そうくるか!」と感じるようなプロジェクトは、いいかたちで展開できる可能性が高いですね。

ボトムアップ×グローバルという最先端

清野 可士和さんが「団地」と聞いてパッと思い浮かぶイメージは、どんなものですか。

佐藤 子どものころに、友達が住んでいた団地の新しさやカッコよさ、そこで遊んだ記憶は鮮明です。団地の再生という、社会的に意味のあることのお手伝いができるならうれしいな、と素直に思いました。

清野 「社会性」「公共性」は、まさしく今の建築界のキーワードですね。

佐藤 デザインで社会の役に立ちたいという思いは僕もずっと持っていて、「今治タオル」も“地方創生”の気持ちを込めたプロジェクトでした。

清野 若い世代の建築家たちは、建物を作る以上に、「地域のコミュニティ」を作ることに価値を置いて、新しい発信を行っています。

打ち合わせ風景

佐藤 隈さんがおっしゃったように、いろいろなスキルを持った人たちがシームレスに融合して、みんなで作り上げていく形が“今的”ですよね。僕自身は広告から出発していますが、違う分野のクリエイターと組めるプロジェクトは、すごく面白いですし、課題が複雑化している今の時代は、一つのスキルだけでは解決できなくなっています。クリエイティブも総合格闘技みたいになっているでしょう?

清野 ハーバード・ビジネス・スクールの先生の研究によると、たとえば「建築」を作るとしたら、建築家同士ではなく、建築家と心理学者とか、建築家と編集者とか、違う領域を結びつける。その方がイノベーションの幅が広がるそうです。その代わり、失敗した時は通常以上にひどくなるそうですが(笑)。

佐藤 今回のTALKINGも、隈さんと僕だけで話すよりも、清野さんという違う視点が入ったほうが面白いと思いました。清野さんから見て、「団地の未来プロジェクト」はどういう感じがしますか。

清野 このプロジェクトの概要を最初に聞いた時は、一言、「すばらしい」と思いました。なぜかというと、洋光台団地のように駅前で、大規模な敷地があるところは、通常、スクラップ&ビルド型の再開発になりがちですから。

 超高層タワーを建てたりしてね。

清野 でも、洋光台では敷地に「暮らしのヘリテージ(資産)」があることを認めて、そこから新たな時代の価値を掘り起こそうと発想した。先進国の都市計画では、そういったボトムアップ型が先端ですが、日本はその点では発展途上で、スクラップ&ビルドからなかなか抜け出せない。

佐藤 実は日本は、世界に発信できるヘリテージをたくさん持っていますよね。

清野 それで、ボトムアップ型というと、小さくローカルにまとまりがちでもあるのですが、そこにグローバルレベルの隈研吾、佐藤可士和というビッグネームが関わっている。それもお飾りではなく、主体的に手足を動かし、頭を働かせて。それが二番目に大きな意味だと思いました。

(vol.4に続きます。)

vol.4 団地の未来は面白い~清野由美さんをお迎えして

都市再生の概念に対する報酬とは?

清野 お二人におたずねしたいのですが……団地の再生のような社会性、公共性の高いプロジェクトに対する報酬は、たぶん民間企業のプロジェクトよりパーセンテージが低いんじゃないかな? と(笑)。

佐藤 最初に隈さんから「可士和さん、団地やらない?」と声をかけていただいた時、「お金にならないと思うんだけど……」という言葉が次にありましたね(笑)。

 ははは。

佐藤 洋光台のプロジェクトは、「ルネッサンスin洋光台」のアドバイザー会議のメンバーを務めることから始まって、その会議だけで1年をかけました。プロジェクトの意義と、URの姿勢に共感できたので、報酬云々は大きな問題ではありませんでしたが、あくまでも「アドバイザー」という立場だったので、ビジョンをはっきり持って真摯な提案をしても、通常の仕事のように物事が動いていかないというもどかしさがありました。

清野 都市再生プロジェクトには、上位となる「概念」が必要です。その概念に対して、日本は対価を支払う意識がまだ確立されていないと思うんです。概念を担う建築家、デザイナーへの対価は、どのように考えればいいと思いますか。

 報酬には、参加する意義と、金銭的なものとの両方があります。そのバランスを突き詰めることが大事です。
 たとえば僕にとって、今回のプロジェクトは参加する意味がすごく大きかった。なぜかというと、現在、日本でもアメリカでも中国でも、世界中で集合住宅というものが「商品」になっていて、その状況を批判したかったから。

清野 「人の暮らしの場」としてよりも、「商品」としての値段が先に語られてしまっている状況ですよね。

 マンションという商品に建築家のブランドが入ると、1億円のところが1億2000万円で売れる。その2000万のうちの何割かが、あなたたち建築家の対価ですよ、みたいな計算式ができていて、そういう仕事を依頼される。でも、建築家がその計算式だけで満足しちゃうと、建物も仕事もすごくつまらないものになってしまうんですよ。

佐藤 昔の団地には「生活をデザインする」という心意気がありましたよね。

 そうなんです。僕はそれこそが集合住宅の意義であり、面白さだと思っています。だから、今の商業最優先の状況に疑問やストレスを感じる。どんなに高い報酬をもらっても、式にあてはめられるだけの仕事はつまらないという思いがあります。

清野 団地は「人間」というものにかなり近いプロジェクトだと思いますが。

 その通りです。ギャラは高くないだろうな……とは思いましたが(笑)、これは人間の生活をデザインする貴重なチャンスだぞ、そのチャンスにふさわしいメンバーで臨めるなら最高だぞ、と。

昭和の暮らしの哲学が込められた51C型

清野 可士和さんも、商業社会の中で仕事をするストレスを感じていますか。

佐藤 そうですね。目先の利益だけを追求するのではなく、長期的な視点を持って、その仕事の意義を考えながら取り組んでいきたいと思っています。

清野 団地の再生なら、ストレスは感じない?

佐藤 そこは、そうだなあ……また違うストレスがあるだろうな、と(笑)。

清野 なるほど。実際に洋光台に足を運ばれた時は、どう思われましたか?

佐藤 敷地がゆったりと取ってあって、建物がきちきちに並んでいないところに余裕があって、いい意味の「ゆるさ」を感じましたね。

清野 効率よりも生活の充実を優先した、ぜいたくな配置ですよね。

佐藤 そういう雰囲気って、短い年月では醸し出せないものだから、それを大事にしたいと思いました。「ゆるさ」というキーワードを隈さんと何度も話しましたよね。

間取り
「お茶の間」と「寝る場所」を分離した画期的なプロトタイプが51C型だった

 僕が大学の時に習った鈴木成文先生が、1950年代に51C型という公営住宅の初期プロトタイプを開発した中心人物だったんですよ。鈴木先生は、そのプロトタイプで「食寝分離」という全く新しいライフスタイルを日本の住宅に初めて持ち込んだ。

佐藤 あのプロトタイプは画期的でカッコいいですよね。

 でも、鈴木先生と僕はしょっちゅう対立していてね。

清野 え、そうだったんですか?

 「おまえの建築の中で、生活はどうなっているんだ」って、僕みたいなデザイン先行の学生のことを、徹底的にいじめるわけ(笑)。その時は「こんちくしょう」と思うんだけど、だんだんと鈴木先生の哲学の凄みがわかってきて、最後はとても仲よしになりました。亡くなる前に長岡の花火を見た日のことは忘れません。そういう個人的な経験も含めて、初期の団地を作った人たちの熱意とか構想力を、僕はナマなものとして記憶しているんです。

清野 1950年代の日本は高度経済成長のとば口で、人口がどんどん増えていった時代ですよね。

 世の中にすごい変化が起きる。でも人々の暮らしがどうなるか、まだわからない。そんな時代に、鈴木先生たちは手探りで「これからの日本人の生活はこうあるべきだ」という夢を描いた。可士和さんと洋光台団地を一緒に見に行った時、随所に51C型の香りが残っていて、二人で「カッコいい」と言い合ったよね。

佐藤 木造のディテールとか、3DKに長押(なげし)が付いているところとか、あと10年たっていたら、なくなってしまっていたかもしれない初期の団地の特徴。そういうものに立ち会えてラッキーだと感じています。

洋光台北団地 供給時の風情が残された住戸

(vol.5に続きます。)

vol.5 団地の未来は面白い~清野由美さんをお迎えして

ラフだからこそ伝わる、ラフだからこそ手抜きしない

打ち合わせ風景

清野 前世紀の団地黄金時代は、人口拡大の時代に重なります。しかし今は一転して、人口縮小の局面に突入しました。その中で、洋光台団地のような大規模な集合住宅のあり方が、日本の社会全体に通じるテーマになっています。

 その課題は、「暮らしのヘリテージ(資産)をどう生かすか」ということに置き換えられます。

清野 つまり「スクラップ&ビルド」じゃないやり方ですよね。

 たとえば建築のアイディアを人に伝える時、僕はぐしゃぐしゃっと描いた絵を見せることが多いんです。ラフだからこそ伝わる何かがあると意図していて、同時に「このぐしゃぐしゃのよさがわかるか」って、相手のセンスを試しているところもある(笑)。

佐藤 たとえば古着は“古い服”なんですけど、それを着るのがカッコいい、というカルチャーがあるじゃないですか。僕は美大生時代に、検品ではじかれた900円ぐらいのリーバイスを見つけて、それを自分で古着みたいに加工して着ていたんです。

清野 900円のジーンズを掘り出すということに、まずストーリーがありますね。

佐藤 学生だからお金がなかったのですが、でも、そういうことではないところに、わくわくするような意味が生まれる。そんなカルチャーから、新品のデニムをいかにカッコよくボロボロにするか、という技術が日本で進みましたよね。わざと破いたり、洗いざらしにしたり。

 あれは日本の技術なの?

佐藤 岡山にそういう加工工場があって、ジーンズの一流ブランドがみんなそこに発注しているんです。おばちゃんのハンドウォッシュの技術とか、すごいですよ。おばちゃんの手を経ると、レプリカのはずが、本物のヴィンテージよりヴィンテージみたいに見える(笑)。

 じゃあ、僕はマンションをヴィンテージ加工するおじさん(笑)。

清野 恐るべし、ジャパニーズ・テクノロジー。

佐藤 要は、古着好きは「古いもの」がそのまま好きなのではなくて、「新鮮に感じるもの」が好き、ということなんですよね。

清野 団地の再生で「新鮮さ」は、どのように表現できるものなのでしょうか。

 洋光台では無機的な団地の建物に、木の温もりを与えたかったんです。そこで、ベランダ設置のエアコンの室外機カバーを使って、木の葉のイメージを出してみた。ただカバーに本当の木材を使うと、何年かに一度、張り替えが必要になります。そこでアルミに直接、木目を印刷するという日本の最新技術を採用しました。

木の葉パネルで覆われた室外機置場

清野 あのカバーは、アルミ製なんですか?遠目だと木にしか見えなかった。

 そう。あれも日本ならではの、すごい技術なんですよ。今までも、アルミに木目のシートを張る手法はあったのですが、それだとやはり短期間でボロボロになってしまう。でも直接印刷すると、長くもつんですね。

佐藤 それって、加工して作ったヴィンテージジーンズみたいなものですよね。テクノロジーが進化しているなら、それを取り入れることは、すごく合理的だと思います。ジーンズだって、新しいものを古着みたいにできれば、新品の清潔感がありながら、時を経た風合いを楽しめるわけじゃないですか。

原理主義に陥らず、「だましだまし」でやっていく

 原理主義的な人は「本当の木じゃないなんて、けしからん」と言うのですが、それは頭だけで考えている人。元来、生物は「気持ちいい」と思えるモノやことを、だましだましで身の回りに集めて、そこから生きていける環境を築き上げていくものなんです。非原理主義的にゆるく考えれば、団地にも古着的ないい味つけが、いっぱいできると思っています。

佐藤 デジタルカメラが登場した時、カメラマンの中では「デジタルはだめだ」と言っている人もたくさんいました。でも僕は、テクノロジーが変化しているのなら、思い切り積極的に取り入れたほうがいい、と逆に主張したんです。実際、今ではフィルムで撮るよりもフィルムらしく見える技術が出てきて、表現の幅が広がっています。それがさらに進化すると、もっと面白いことがいっぱい起きると思うんですね。その感じがまた日本っぽくていいじゃないですか。

清野 古いもの×最新テクノロジーで、新鮮さが生まれる。団地でもマンションでも、外側がちょっと古くなったからって、新しいところに引っ越すのはもったいない。

佐藤 そうそう、環境への順応性も、今の時代の大きなキーワードですね。

 その意味から言っても「だましだまし」は大切ですよ。屋外機という、それまでは負のアイテムだったものが、だましだましの工夫でプラスに転じる。

清野 いわゆるカッコいい建築家の発想だと、屋外機みたいなものは隠そう、というふうになると思いますが。

 僕はそれを逆にして、デザインの一番大きな要素にしちゃった。

佐藤 木目のカバーで、団地全体の雰囲気がかわいくなりました。

 と言っても、見えない工夫はすごく重ねているんです。たとえば木目カバーを取り付ける角度は、下から見上げた時に一番アピールするように、と現地で何度もシミュレーションしましたし。

佐藤 ラフな感じをデザインとして成り立たせるためには、細かいところこそが勝負なんですよね。

(vol.6に続きます。)

vol.6 団地の未来は面白い~清野由美さんをお迎えして

高齢者が独りでも充足し、楽しく思えることこそ「未来形」

清野 団地再生におけるマスターアーキテクトと、マスターデザイナーという役割について、あらためてうかがいたいのですが。

 洋光台団地のプロジェクトではマスターアーキテクトじゃなくて、「ディレクターアーキテクト」と呼んでいるんですよ。マスターアーキテクトというのは、自分でマスタープランを作るイメージがあるから、もっと、こう、何というか……。

清野 偉そうな感じ?

 そう、偉そうでしょう(笑)。でも、ディレクターアーキテクトというのは、なんか、ちょっとサボっているイメージがある(笑)。

清野 ゆるくていいですね。可士和さんは、どんな呼び名になるんですか?

佐藤 あれっ、僕の呼び名は何でしたっけ?
――URの担当者 「プロジェクトディレクター」です。

佐藤 そうでした(笑)。要するに「団地の未来」というプロジェクトのディレクターという意味ですね。このプロジェクトでは「商業空間の活性化」「カーシェアリング」「フィルムコミッション」など、集住のパワーを活かしながら、地域を未来につなげるアイディアを具体的に出そうと、関係者の方たちとブレストを重ねています。先日、北集会所の建築アイデアコンペの公募も始まりました。隈さんと僕も審査委員を務めますが、「おお、そう来るか!」というアイディアで、いろいろ驚きたいです。

清野 「団地の未来プロジェクト」では、「防災」もキーワードになっていますよね。

佐藤 「防災」というテーマは、自然災害の多い日本が避けて通れない問題です。洋光台団地では、防災についても新しい視点を提示できないか、と考えています。防災の新しいカタチを発信できて、さらにそのモデルケースとして洋光台団地にもスポットが当たり……みたいに一石二鳥の展開ができたらいいな、と。

清野 高齢化社会の中では、いかにお年寄りや弱者を孤立させないか、というテーマもあります。

 それは、すごい重要。孤独な老人が行き場所を失っているニュースに接すると、僕なんかも人ごとでなくて、胸が痛んでね。今、日本の政府は、そういうものに対する施策をほとんど発信していないじゃないですか。

清野 それは、単にハコモノ福祉施設を充実させる、ということじゃないですよね。

 高齢者が独りでも充足して、楽しいと思える住まいはどういうものか。それにはハードとソフトの両輪が必要です。

清野 隈さんが設計された長岡市庁舎「アオーレ長岡」(2012年落成、新潟県)には「ナカドマ(中土間)」と呼ばれる広場があります。

 図らずも、というか、図った以上にナカドマは高齢者の方々が毎日、集まる場所になりました。そのかたわらで、放課後に中学生が立ち寄って宿題をしていたり、ピンポンもしたりしています。

アオーレ長岡の「ナカドマ」
アオーレ長岡「ナカドマ」

アオーレ長岡の「ナカドマ」

人は「広場」を目指して、集まってくる

佐藤 洋光台団地には、初期に設計された特徴的な広場があります。あの広場に新しいコミュニケーションの形を乗せていくことができるのでは、と僕は考えているんです。

清野 あの、円形の劇場っぽい広場ですね。

 あれ、不思議な広場なんです。面積が悠々と取ってあり、敷地がゆるいスロープになっている。イタリアのトスカーナ地方にある中世に作られた広場とか、ヨーロッパの近代以前の旧いまちづくりの、思想のエッセンスが反映されている感じなんです。今、世界中の都市開発で、広場はコマーシャル広場になっていますが、洋光台団地の広場には、住宅公団の志の高さを感じます。

佐藤 暮らしの中に、ああいう広場があると、人は集まりやすいですよね。

 単に「何平米のこういう間取りを用意しました」というだけでは、高齢者問題などは解決できません。おじいちゃん、おばあちゃん、若い人が何となく集まって、がやがやしている中で、それぞれが好きなように過ごしている。そんなシーンを考えて、全体からデザインすることが大事ですね。

佐藤 そこは、数字では見えないし、計れないところですよね。

 おまけに、法律でもなかなか定められにくい要素なんです。ということは、具体的なプロジェクトでやるしかない。洋光台プロジェクトに関わる中で、そういうものの解を実空間の中で実現していくことは、社会的にも意味が大きいと思いますね。

清野 広場の改修は、いつ完成ですか。

 現在、実施設計の真っ最中です。来年から改修工事が始まって、来年度中を目途に完成の予定です。


改修後の広場のイメージ

清野 昭和30年代から40年代というのは、まちのそこかしこに商店街があって、広場のようにみんなが行き交っていました。

佐藤 あと、昔は子どもたちが路上で遊んでいましたよね。社会全体が変わったことで、そういう風景が減ってしまいましたが、もう一度、みんなが外にいられる雰囲気になると、風景も変わっていくはずだ、と、僕もすごく期待しています。

(vol.7に続きます。)

vol.7 団地の未来は面白い~清野由美さんをお迎えして

「住む」というテーマには、すべての人が関われる

佐藤さん

佐藤 「団地の未来プロジェクト」は、「オープンイノベーション型」のプロジェクトにして、いいアイディアを持ったいろいろな人に、どんどん参加してもらいたいと考えています。WEBサイトに「TALKING」という場所を設けたのも、その一環です。スタートは隈さん、清野さんとの鼎談にしましたが、今後は隈さんと僕がそれぞれ別の人としゃべったり、清野さんに新しいライフスタイルを紹介してもらったりと、間口を広げて展開していきたいですね。

清野 だったら、IT、デジタルの先端にいる人からも話をうかがいたいですね。

 清野さんがずっと取材している、葉山、鎌倉のショップオーナーたちの話も聞いてみたい。

佐藤 「オープンイノベーション」は、言葉としては流行していますが、普通の企業の仕事だと、ちょっとやりにくかったりするという実情もあります。

清野 あれ言っちゃだめ、これ言われちゃ困る、とクローズドになりがちで……。

佐藤 でも「団地の未来」では、チームの組み方も、仕事の方法も、新しいチャレンジができて、すごくいいなと思っています。

清野 URは「公共性」という柱があることで、本来の目的に行きやすいのでは。

佐藤 「住む」というテーマ自体が持つ意味も大きいんですよ。たとえば広告のマーケティングですと、商品によって「ターゲットは若い女性」と限定して、おじさんなどは関係ないということにするでしょう。でも「住む」というテーマがあると、すべての人が関わることができる。この世の中に「住んでいない人」は、いないわけですから。

清野 可士和さんの役割は、オープンイノベーションで集まってくる人たちに、「プラットフォーム」を提供することですか。

佐藤 プラットフォームづくりもそうですが、もっと言えば司会ですね。「朝まで生テレビ」の田原総一朗さんの、楽しいバージョン(笑)。

清野 けんかをしない田原総一朗(笑)。

 可士和さんが考えた「団地の未来」というネーミングとロゴマークを見た時に、二人でいろいろ話し合ったメッセージが瞬時にマークから伝わってきて、びっくりしました。

清野 「何やっているの?」と聞かれた時に、「団地の未来を考えています」と、端的に言えるネーミングとロゴですね。

団地の未来

佐藤 「住む」というテーマについて、先ほどお話しましたが、ネーミングとロゴを作る時は、あまりにも対象が広範囲なので、難しかったですね。ただ、大きなプロジェクトは、その内容がひと目でわかるように可視化しないと、みんなで共有できない。このロゴは「団地」の「団」を分解して「、」を良いアイディアを象徴する「〇」に見立て、それを一つずつプラスしていくという意味で「+」を組み合わせた。そうすると、団地の未来を考えていくコミュニケーションのアイコンにできるな、と考えました。隈さんにお見せした時「あ、いいね」と、すぐに反応してくださって、僕はすごくうれしかったです。

清野 シンプルでやさしい形に見えるけれど、背後には論理的なアプローチがあるんですね。

 優れたデザインとはそういうものです。

「理念」と「ビジョン」がすべての出発点

隈さん

 僕、可士和さんの作ったロゴを、中国の建築関係者に見せて自慢してるんだよ(笑)。今、中国でも人口の急減と、集合住宅のあり方が社会的な課題になっているんです。

清野 それは、なぜですか。

 集合住宅バブルがはじけることを、みんなこわがっているんです。「日本は団地の再生というプロジェクトをやって、ゼロから集合住宅のあり方を考え直しているんだぜ」って彼らに見せたら、すごく感心していましたよ。

清野 課題の解決に向けては、事業主もさることながら、メンバーの選定も大事ですね。

 ヨーロッパの集合住宅は1920年、30年代に、社会主義的な理念のもとで最高の建築家、デザイナーが参加して、最盛期を迎えました。そんな理想的な時代とプロジェクトが実際にあったわけだから、日本でもあり得る。洋光台はその一例になるんじゃないかと思っています。

清野 そこには「理念」というものが必要になりますね。

 「理念」がないところに、最高の人材は集まりません。

清野 人口減少の時代に都市、集合住宅に「選択と集中」の波が来ている。エコシティ、スマートシティという新しい技術の波も来ています。日本は技術面では世界のトップに位置していますが、「理念」を打ち出すところでは遅れている感があります。

佐藤 僕も、仕事をしながらつくづく感じるのは、「理念」と「ビジョン」の大切さです。そこを見失うと、予算をかける意味がないとさえ思います。

 その「理念」をここでもう一度、具体化したいですね。

佐藤 「団地の未来プロジェクト」は、ゼロから集合住宅を建てて、それが完成したらおしまい、というものではない。もちろんプロジェクトの節目、節目は決めて実行していきますが、「人が住むこと」はずっと続きます。今後、隈さん設計の広場ができて、北集会所がコンペで生まれ変わって……と、一歩ずつ団地の価値と地域のあり方を再構築していくことで、僕がビジュアライズしたロゴが、現実とつながっていく。「理念」を伝えることを、これからも大事に考えていきたいです。

隈さん×佐藤さん×清野さん

隈さん×佐藤さん×清野さんによる、シリーズ「団地の未来は面白い」はこれで終わりです。引き続き、TALKINGにぜひご注目ください。

清野 由美   Yumi Kiyono ジャーナリスト

清野 由美

清野 由美   Yumi Kiyono ジャーナリスト

1960年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部卒業後、出版社、英国留学を経て91年にフリーランスに転じる。「世界を股にかけた、地を這う取材」で、国内外のトレンド、ライフスタイル、先端人物のインタビューを手がけ、そこから時代を牽引するキーワードを探る。著書に『セーラが町にやってきた』(プレジデント社/日経ビジネス人文庫)、『住む場所を選べば、生き方が変わる』(講談社)ほか。隈研吾とは『新・都市論 TOKYO』『新・ムラ論 TOKYO』(集英社新書)の共著で都市論に取り組む。現在、「次の価値観」をテーマに「朝日新聞デジタル &w」で『鎌倉から、ものがたり。」を連載中。慶應義塾大学SDM(システムデザイン・マネジメント)研究科修士課程在学中。

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