街に、ルネッサンス UR都市機構

中川と桜づつみ

中川と桜づつみ  ~青戸七丁目地区の自然資源~

荒川と江戸川の間だから中川

現在の中川下流の川筋には、江戸時代初めまで利根川と荒川が流入していました。その後、江戸時代初めに、荒川と利根川が改修され、概ね現在のような川筋になりました。
「中川」とは、これ以降に荒川と江戸川の間にあるために付いた名前です。 中川は、この改修以後、江戸川と荒川に囲まれた地域の農業用水路として整備・活用が進められ、ほぼ現在のような姿になりました。

中川(青戸6丁目側から北を望む)
中川(中川大橋から現地方向を望む)

生活を支えてきた中川

河川が改修されたあとの中川沿岸の地域は、江戸・東京への野菜などの供給地を行う、江戸・東京近郊の農業地域として市民の台所を支えてきました。
また、明治以降には中川の水運を背景とした工場が立地するなど、市街化も進んできました。

機構取得当時の堤防(平成17年4月撮影)
機構取得当時の堤防(平成17年4月撮影)
整備が進む現在の堤防(平成19年4月撮影)
整備が進む現在の堤防(平成19年4月撮影)

桜づつみの復活にむけて

昭和30年代まで、このあたりの川岸には桜並木があり、人々が多く集う空間となっていました。
しかし、治水上の理由などから、昭和30年代末頃にすべて伐採されてしました。
現在、葛飾区では、この桜並木の復活を目指す「桜づつみ事業」を進めています。当地区C街区東側から慈恵医大青戸病院東側にいたる約500mも桜づつみとしての整備が進んでいます。

青戸6丁目桜づつみ
青戸6丁目桜づつみ(広場部分)
青戸6丁目の桜(堤防部)
青戸6丁目の桜(広場部分)

このように、中川は地域における生活の中心にあり続けました。青戸七丁目地区でも、中川は地区の中心的な空間資源となっています。


本ページは、国土交通省資料など各種資料を参考にUR都市機構で構成したものです。
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