街に、ルネッサンス UR都市機構

角田光代さんエッセイ 暮らしのカケラ(3) 季節と義務感

URPRESS 2018 vol.52 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


photo・T.Tetsuya

ちょっとしたことでも、一度はじめると、なかなかやめられなくなる季節行事はけっこう多い。たとえば梅干し作りだ。私の亡き母は、どういうわけだか「梅干しは、作りはじめたら毎年作らなければならない」と言っていた。毎年作っているのに、ある年でやめると何か変化が起きるのだ、となんだかおそろしい迷信のようなことを言っていた。私はその、出どころも根拠も不明な迷信を信じてはいない。いないのだが、なんとなく六月が近づくと、「梅干しを作りたい」ではなく「作らなくてはいけない」ような気持ちになる。

東京のある神社には有名なお守りがある。財布に入れるとお金が貯まる、というようなお守りだ。新しい年のお守りは、節分までの時期に売っている。私はその神社もお守りのことも知っていたが、とくに興味を持っていなかった。ところがあるとき、知人が、このお守りをくれた。そう言われているように財布に入れて一年を過ごした。そして翌年、節分が近づくと、なんだかこのお守りを更新しなくてはならないような気分になった。やむなくその神社に赴いてみると、お守りとお札を買う人で大行列。私も列に並びながら、「ああ、みごとにやめられないループにはまってしまった」と実感した。

子どものころに実家で行われていた季節行事を、多くの人がいったんやめるときがあると思う。進学や就職をしてひとり暮らしをはじめたり、実家暮らしでも自分の用事に忙しくなったりして、家族とは季節ごとの行事をしなくなる。それでも、何かのきっかけで、親主催ではなく、今度は自分の意思で、またはじめる。新年のお参り、節分の豆まき、ひな祭りに五月の節句。私の場合は、いくつかは復活し、いくつかは自然に廃止してしまった。たとえばクリスマスは祝うが、節分の豆まきはしない。新年のお参りはもちろんいくが、おせち料理は作らない。

しかしいったん何かはじめると、なぜか、やめるにやめられず、続けてしまう。それは私の個人的な性質なのだろうか。それとも、世間一般的な感覚だろうか。そんな私が、今警戒しているのは、節分の恵方巻きである。このところ、節分が近くなると、関東地方でもあちこちで恵方巻きの宣伝がはじまる。私は最近までまったく知らなかったイベントだが、なんだかたのしそうではある。でも、やりはじめたら、この先ずーっと二月三日には切っていない巻き寿司を食べ「なくては」ならなさそうで、近づかないように注意している。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『私はあなたの記憶のなかに』(小学館)。

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