2年後にはじめての東京オリンピックの開催を控えた
1962年、「赤羽台団地」は誕生しました。
建設を手掛けたのは、現UR都市機構の前身である日本住宅公団です。総戸数3,373戸は、当時の東京23区内の公団住宅では最大規模でした。
国鉄(現JR)「赤羽」駅からすぐの場所にあり、高台で見晴らしが良く、多くの緑に囲まれたすばらしいロケーション。新しい技術やアイデアがふんだんに盛り込まれた赤羽台団地は、当時の人々のあこがれの的となり、入居者が殺到。高度経済成長期の暮らしを支える象徴的な存在になっていきました。
赤羽台団地は、昭和のトレンドが集結している「名作団地」と呼ばれています。当時は同じ形の住棟を規則正しく並べるのが一般的な住棟配置でしたが、赤羽台団地では中央の公園を囲むように住棟を配置したり、スターハウスなどのポイント型住宅を組み合わせたりと、変化のある景観がつくられました。
当時は珍しい2DKや3Kといったさまざまなタイプの間取りが採用されており、ステンレスの流し台やガスコンロ、お風呂など、当時の人々の理想の暮らしが実現できる部屋でした。特に、すべての部屋に光と風が取り込まれるよう南向きに配置された「板状階段型住宅」と、住戸がY字型に配置されている「スターハウス」には、当時の建築技術が詰め込まれていました。
これらの住棟は、2006年の建替時に取り壊される予定でしたが、歴史的価値が高いということで保存が決定。中でもスターハウスは数が少なく、赤羽台団地のように3棟まとまって残存している団地は希少です。赤羽台団地の「板状階段室型住棟」と「スターハウス」は、 2019年に団地として初の国の登録有形文化財に登録されました。
高度経済成長期に生きる人々のあこがれだった赤羽台団地も、徐々に老朽化が進み、2000年から建替事業がスタート。「ヌーヴェル赤羽台」として、新たな一歩を踏み出すことになりました。
現代のライフスタイルに合わせた住宅設備や、敷地を贅沢に使った心地のよい屋外環境はグッドデザイン賞を受賞したこともあります。
また、樹木や遊具の保存や、赤羽台団地で盛んであったコミュニティ活動も継承すべく、様々な特徴を備えた複数のコミュニティスペースの設置も試みています。