熊本県や大分県で最初に最大震度7の地震が起きたのは2016(平成28)年4月14日の夜。16日の未明にも再び最大震度7の揺れが襲い、その後も余震が続いた。 URは発災直後の15日から、阪神・淡路大震災や東日本大震災の復興支援に関わった機動力のある職員を派遣して、熊本市内の賃貸住宅の状況を確認して復旧対応。合わせて各自治体から派遣された判定士の調査範囲の決定や現場の情報のとりまとめなど、被災宅地や被災建築物の応急危険度判定支援、応急仮設住宅建設支援などの応急・復旧支援を行った。また、被災した方たちの一時避難場所として福岡県内などの団地の提供をいち早く開始した。 18年には熊本市内に熊本震災復興支援室を開設し、宇う城き市、御み船ふね町、嘉か島しま町、益まし城き町と協定を結んで、災害公営住宅を整備。前震、本震ともに最大震度7を記録し、被害が甚大だった益城町では復興土地区画整理事業の技術支援のため、県への職員派遣を行った。20年には、URが建設支援した12地区453戸すべてが完成、無事に引き渡しを終えた。 復興支援に携わったUR九州支社の3名に当時のことを振り返ってもらった。妹尾和子=文、菅野健児=撮影(人物)復旧支援の経験を生かして災害公営住宅を迅速に建設地震から3カ月後の益城町の様子。熊本県内でも被害が大きかった益城町では、あちこちで住戸が倒壊していた。熊本のシンボルでもある熊本城も地震で甚大な被害を受けた。復興の過程に携わり見続けた4年間 4月に九州支社に配属になった年の2週間後に地震が起きました。すぐに被災建築物応急危険度判定支援のために現地へ。その後、住宅が倒れた状況のなか、災害公営住宅建設のための国の調査も始まりました。 宇城市、御船町、嘉島町、益城町の4市町から災害公営住宅整備の要請を受け、被災された自治体さんと、どこに、どれくらいの規模のものを建設すべきかの検討を重ねました。建設候補地が居住者さんにとって住みやすい場所なのか、アドバイスをすることもありました。 2年後、熊本市内にURの熊本震災復興支援室が開設されたタイミングでそちらに移り、20数名の職員とともに復興支援を続けました。地元業者だけでは手が回らないなか、全国から人材や資材を確保するのもURの仕事でした。復興の過程を見ることができた貴重な経験です。非常に短い期間で自治体さんに災害公営住宅を引き渡せたのは、東日本大震災などの復興支援経験者が多く、押さえるポイントがわかっていたのが大きかったと思います。飯塚浩一郎九州支社都市再生業務部(当時、災害公営住宅の計画担当)「平成28年熊本地震」から10年19UR PRESS vol.85
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