青木登、菅野健児=撮影 昭和40年代に入ると、ファミリー層の入居が増え、団地内や近隣に幼稚園や小学校ができ、商店街や商業施設などがオープン。活気にあふれる大規模な団地は、ひとつのまちのように。そして、団地内の緑豊かでゆとりのある屋外空間は、子どもたちの遊び場はもとより、お祭りやイベントの会場となり、地域の人々の大切な交流の場として活用されてきた。 月日が流れ、子どもが独立したり、家族構成が変わったり、それぞれ変化はあるものの、長く住み続けている方が多いのも団地の特徴だ。「ここがふるさとだから」「自分が親になって、団地で子育てしたいと思って戻ってきた」。最近はそんな声が聞こえてくる。 1955(昭和30)年に日本住宅公団が設立され、翌56年に日本初の公団住宅(団地)が誕生して以降、都市近郊に次々に造られていった団地。当時の最先端技術・設備を導入し、新たなライフスタイルを提案した団地は、憧れの住まいとして人気を集め、一大ブームを巻き起こした。団地はひとつのまち団地が地域の人々の交流の場に暮らしとともにする団地変化・進化21983年に開かれた上和田団地(神奈川県大和市)の団地まつりの様子。大勢の子どもたちが山車を引いて団地内を練り歩いた。現在、163棟(5,740戸)の住棟で構成される巨大な花見川団地(千葉市花見川区)。写真は1981年に開かれたマラソン大会。団地周辺もコースに。1970年代の赤羽台団地(東京都北区)の夏祭り風景。名入りの提灯や山車が華やかに団地を彩る。現在は建て替えられ「ヌーヴェル赤羽台」に生まれ変わっている。17UR PRESS vol.83
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