UR PRESS VOL.82
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青木登、菅野健児=撮影 背景には戦後の住宅不足があり、日本住宅公団は、大規模な宅地開発を行い、不燃住宅を供給することを目的としていた。 今では住戸内に当たり前にある水洗トイレや浴室も、当時は画期的。団地にはダイニングキッチンも備えられた。食事のときは和室にちゃぶ台を出して、それを片付けて布団を敷いて寝るという、それ以前の日本の家のスタイルから一変。食事する部屋と寝る部屋が別という欧米スタイルの「寝食分離」を団地は実現した。 日当たりや風通しに配慮した住棟の配置、豊かな植栽環境などもあり、当時、多くの人にとって団地は憧れの住まいであり、入居者募集の際には希望者が殺到、高倍率での抽選が行われた。 その後も時代や人々のニーズに応えるかたちで団地は進化しながら数を増やしてきた。61(昭和36)年には、サービス・質の向上のために、関係法人である㈱団地サービス(現・日本総合住生活㈱:JS)が設立され、集合住宅の設備管理の研究を重ねている。 日本住宅公団はその後、宅地開発公団と統合するなどの組織改編を経て、2004(平成16)年にUR(都市再生機構)として新たに歩み始めた。年月を経て建て替えが行われた団地もあるが、50年以上の長きにわたり、人々の暮らしを支え続けている団地が今も各地にたくさんある。 URの前身である日本住宅公団が設立されたのは、今から70年前の1955(昭和30)年。翌56年に日本で初めての公団住宅(団地)である金岡団地(大阪府堺市)が誕生した。以降、多摩平団地(東京都日野市)や香里団地(大阪府枚方市)など都市近郊に次々と団地が造られていった。憧れの集合住宅住宅不足解消のための先進的な住まいが誕生1960年9月、完成したばかりのひばりが丘団地(現・西東京市、東久留米市)を訪れた皇太子殿下と美智子妃殿下(当時)。訪米前に国内事情を視察する目的で、団地の室内を見学された。写真/朝日新聞社暮らしとともにする団地変化・進化1右/テーブルでの食事を提案した金岡団地のダイニングキッチン(1956年)。上/日本で最初に建てられた日本住宅公団の金岡団地(大阪府堺市)。間取りは2K、2DKで、全900戸。1990年代後半にサンヴァリエ金岡として建て替えられた。17UR PRESS vol.82

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