UR PRESS VOL.82
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日和佐地区の海側から望む高台(写真奥)。集落には築100年ほどの古民家が残っている。ってきた大規模造成技術を生かしています」 URの山口正人はそう説明する。 美波町とURは連携強化のため、2021(令和3)年に「美波町における津波防災まちづくり・地方都市再生の推進に向けた協定」を締結。そして同年、URは日和佐地区の古民家をリノベーションして、URで初となるサテライトオフィス「うみがめラボ」を開設した。ここはまちづくり支援の拠点でもある。 防災まちづくりでは、「平時と有事」「ハードとソフト」のバラいと思っていました」と影治町長。 URは美波町でこの高台造成の計画や工事手法などを支援してきた。防災公園の配置や道路の線形などを整え、山から削った土で谷を埋めるなど効率的な造成計画の策定支援に努めた。「地形的制約があり、予算も限られたなかで、美波町の方たちにできるだけ広い高台をいかに効率よく整備するか。そこにニュータウン開発や東日本大震災の復興で培ンスが大切だと語る影治町長。「100年に一度の災害に備えることも大切ですが、防災公園はふだん使いできることも必要です。URさんには技術的な支援だけでなく、イベントの企画などまちづくりを含めたソフト支援もしていただき、大変助かっています」 うみがめラボでの「子ども防災食堂」やワークショップの開催、「高台整備見学ツアー」の企画・運営など、現在URはハード・ソフトの両面から美波町を支援している。 影治町長は、防災は山登りに似ているともいう。「急勾配の道を歩き続け、あるとき後ろを振り返ると、ああこれだけ登ってきたんだと実感する。歩き出さなければ何も進みません。踏み出してみれば課題も見えてきます。命を救うための造成地の整備は、目に見える変化があり、町民にとっての道しるべでもあります」 今後、高台に防災公園やこども園が整備されれば、まちの人にとって希望となるだろう。 ここまでやれば終わり、という区切りのない防災。影治町長から発せられた「次の100年後も見据えて、いまURさんから学んでいる技術をつないでいきたい」という言葉に心が震えた。 美波町は200年後の大地震・津波も視野に入れながら、着実に備えと歩みを進めている。左/地元の人を対象に行った「高台整備見学ツアー」。下/夜の楽しみ提案のための社会実験「美波夜市(ミナミナイトマーケット)」。露店や抽選会などを楽しみに大勢の人が集まった。上/うみがめラボで行われた子ども向けの防災クッキング教室。「平時」と「有事」「ハード」と「ソフト」200年後も見据えて備え続けるMINAMI12UR PRESS vol.82

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