妹尾和子=文、菅野健児=撮影災教育や避難訓練などのソフト事業と、避難路や津波避難タワーなどハード事業を組み合わせた対策の立案に着手。「避難放棄者ゼロ・犠牲者ゼロ」を目指し、行政、地域、住民それぞれがすべきことをひとつずつ実行に移してきた。 強力な推進力となったのが、黒潮町の職員。全職員が防災を兼務する「防災地域担当制」が立ち上げられ、職員が担当地域の住民の話を聞き、危険な場所や避難路、避難場所を確認していった。あわせて浸水想定区域の約3800世帯では「戸別津波避難カルテ」を作成。世帯状況や避難場所へのアクセス、家の耐震などについて記入してもらって把握し、避難路・避難場所整備の参考にした。また、避難に要する時間と距離、津波が到達するまでの予測時間を計算し、高台の避難場所まで避難が間に合わないエリアに、必要に応じた高さと収容人数の避難タワーを建設していった。黒潮町は「地震・津波と日本一うまく付き合っていく」ことを計画にうたい、「避難すれば助かる」状況を整えた。 小中学校を通じての防災教育や学校と地域での避難訓練の徹底。 高知県の西南地域にあり、美しい海岸線を有する黒潮町。南にはクジラやイルカ、ウミガメが棲む土佐湾が広がり、入いり野のの浜(砂浜美術館)では、毎年5月にTシャツアート展が開催され、多くの人が訪れる。 約9800人が暮らす、この風光明媚で穏やかなまちに激震が走ったのは、東日本大震災の翌年、2012(平成24)年3月31日。国が公表した南海トラフ巨大地震の被害想定で黒潮町の最大震度は7、津波の高さは34・4メートルだった。翌朝の新聞一面には「津波で町がなくなる」といった見出しが躍った。過去に何度も大地震に襲われてきた地域で、住民には心づもりもあった。「それでも東日本大震災の津波の映像をテレビで何度も見ていた時期でしたし、34・4メートルの津波が来たら逃げようがないし、逃げ場もない。思考停止して、諦めている状態でした。数値は可能性であり、今すぐ津波が来るわけではないと思えるまでに時間がかかりました」 黒潮町情報防災課課長の村越 淳さんは当時の思いをそのように語る。そして週が明けて4月2日の月曜日。新年度スタートの日に町長が全職員を集めて語ったのは、「今後、後ろ向きな発言はしないこと、この課題については職員全員で対応する」という内容だったと村越さんは振り返る。 黒潮町は南海トラフ巨大地震についての考え方をとりまとめ、防被害想定は最大震度7津波の高さ34・4メートル町の全職員が防災を兼務「防災×産業」の発案も1次避難のための津波避難タワー。想定される最大浸水値と周辺の住民の数に合わせて造られたものが町内に6基ある。右は佐賀地区のタワーで居室空間を備えている。下は早咲地区のタワー。南海トラフ巨大地震の津波想定で、国内で最も高い数値が発表された黒潮町。人口流出・風評被害が懸念されたまちは、いま防災の先端をゆくまちとして注目を集めている。「日本一危険なまち」から「防災の先進地」へ高知県黒潮町黒潮町高知県高知市9UR PRESS vol.82
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