URは東日本大震災や熊本地震での経験を生かし、令和6年能登半島地震の支援にも継続的に取り組んでいる。昨年12月には、URによる地震被災者向けの応急仮設住宅の建設支援が完了した。蓄積した経験とノウハウを生かして仮設住宅の建設を支援能登能登半島半島石川県NOTO HANTOU東日本大震災での支援経験があり、落ち着いて作業できたと話す田中。6月末と12月末の2回現地へ。東日本大震災、熊本地震の復興支援に長く携わっていた岡本。能登町や七尾市、志賀町など複数の市町を担当した。URの安野。所属する災害対応支援部連携構築課では、国や県との派遣調整や派遣者への事前説明、後方支援調整など、関係部署と協力して派遣者をバックアップした。写真は珠洲市に建設されたまちづくり型(木造長屋)の仮設住宅。恒久使用も考慮した造りになっている。 能登半島地震に関連してURが応急対応として職員を派遣した支援は、主に3つある。1つめは、罹災証明書交付のための「住家の被害認定業務支援」、2つめは、液状化被害区域の2次被害防止のための「被災宅地危険度判定広域支援」。そして3つめが、昨年1年を通して行った「建設型応急仮設住宅建設支援」だ。 いずれも国からの要請を受けて実施したもので、3つめの仮設住宅の建設については、金沢市の石川県庁の会議室をベースに、全国の自治体から派遣された応援職員とともに、業務が進められた。 URは、月曜日から翌月曜日までを1クールとし、3人1班を基本として、トータル48班を派遣した。昨年1月から12月までに派遣された職員は138人、延べ人数は1135人にのぼる。建設候補地の確認段階から携わり、配置計画の確認・調整、工事の進捗管理、建設した建物の検査などの支援を行ってきた。「東日本大震災や熊本地震などこれまでの対応経験を生かし、URの前後の班で引き継ぎをする日を設け、業務が滞りなく進む体制にしました」 UR災害対応支援部連携構築課の安野未祐はそのように説明する。 全国の自治体からの応援職員は、引き継ぎ期間を設けることができなかったため、URの職員が全体の引き継ぎを担い、作業の効率化にも貢献した。 URの田中克典が電気職として最初に支援に向かったのは昨年の6月末。「その頃は道路状況も悪く、金沢から珠洲市まで車で4時間以上。現地はまだ地震直後のような状況でした」と振り返る。地震で道路の陥没や崩壊が起き、海岸の隆起もあり、現地に辿り着くのに困難を要した。ホテルなどの利用可能な宿泊施設が被災地にないことも、能登半島地震の支援を難しくしていた。妹尾和子=文、菅野健児(人物)=撮影1年間継続して専門職員を派遣通常とは違う状況のなかで15UR PRESS vol.81
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