松本さんがすごいのは、直ちゃんの発言をフォローするわけでもなく、自分のペースで釣りをして話していく。話題によっては、直ちゃんと組むこともできる。また、全員が分かれても成り立つ。直ちゃんと僕が組んで、松本さんが1人になってもかわいそうに見えない。松本さんのおかげで、直ちゃんが日常の顔を見せてくれる感じが、ほかの番組にはないものになりました。流れとノリが画期的で、まさにドキュメンタリーです。直ちゃんが変わっていく姿もそのまま出ていました。台□□本がない番組で、なるべく編集しないからでしょう。それまでのバラエティは台本があって、稽古を積んで作り込むドリフターズ的なものでした。それを破壊したのが『オレたちひょうきん族』。それよりも台本がないから、もっと新鮮だったのです。この番組が僕の原点です。今田耕司さんとは、お互いのMCに対する考え方の違いがあったそうですが。と二人がMCで、『殿様のフェロモン』が始まりました。お酒飲みながらワイワイとゲームをしたり、『オールナイトフジ』のような楽しい番組の予定でした。今田さんは東京でのピン(一人)のレギュラー一発目だったので、ピリついた空気でした。関西の人は、関西で勝ったかった。やがてレギュラー番組が増えていきました。『DAISUKI!』は人気番組でしたね。現場はどんな感じでしたか?歌手デビューから8年目の25歳のとき、松本明子さんと飯島直子さんと僕で『DAISUKI!』が始まりました。松本さんとは同じ渡辺プロで、寮生活の時代から一緒の、同じ釜の飯を食べたまれ、マネジャーに「これからはバラエティの時代になる」と言われて、藁にもすがる思いで移りました。断ると群馬に帰るしかありませんから。お笑いは考えたこともなかったけど、ABブラザーズとして松野大介さんとコンビを組みます。そして、小堺一機さんが司会の『ライオンのいただきます』でメディアデビューしました。しだいにテレビに出られるようになり、司会の仕事が多くなっていきます。この時期は、テレビに出ていることがうれし「いつか一緒にレギュラー番組をやりたい」と夢を語っていました。飯島さんとは初対面。こうしたらイメージが悪いとか、よく見えるとか、タレントは少なからず考えますが、飯島さんはそのまんまの人でした。収録で釣りに行ったとき、釣りを始めて5分、飯島さんが「つまんないんだけど」と言い出して(笑)。それ言うと終わっちゃうと思ったら、松本明子というスペシャリストが話を展開して、3人の物語ができていったのです。 93年、土曜日深夜に今田耕司さんと僕10年来の親友です。昨年、故郷の藤岡市で開催した「第1回中山秀征書道展」。P3の衣装:ジャケット ¥62,700、パンツ ¥69,300/デンハム(デンハム ジャパン ☎03□3496□1086)、ニット ¥26,400/ハリウッド ランチ マーケット(聖林公司 ☎03□3461□9043)UR PRESS vol.80
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