1995(平成7)年1月17日、淡路島北部を震源に発生したマグニチュード7・3の大地震。影響は淡路島、神戸市を中心とした阪神地域に及び、住宅被害は63万9686棟、そのうち10万4906棟が全壊。火災により7574棟が被害を受け、6434人が亡くなった。住宅・都市整備公団(現UR)は、この未曾有の大震災への復旧・復興のために長年尽力してきた。国や地方公共団体と連携をとりながら2万戸を超える住宅を建設。また、阪急西宮北口駅北東や六甲駅南などの市街地再開発事業、芦屋中央・西部や神戸市東部新都心の土地区画整理事業など、安全で快適な未来につながるまちづくりにも取り組んできた。いずれも通常であれば数年かけて立てる計画を、十数日で作成する異例で過酷なスケジュールだったが、職員は、住む人たちの暮らしの豊かさの追求を諦めなかった。阪神・淡路大震災での経験やノウハウは、東日本大震災や熊本地震の復興に生かされている。復興事業に携わったURの職員に、当時を振り返ってもらった。過酷な状況でも追求し続けて阪神・淡路大震災で橋げたが崩落した阪神高速道路。写真/朝日新聞社西日本支社 京奈エリア経営部長妹尾和子=文、菅野健児=撮影災が起きたのは、入社4年目、兵庫の賃貸住宅を管理している事務所に在籍中でした。被災していたり、交通手段がなくて職場にたどり着けない職員がほとんどのなか、京都からなんとか駆け付けた職員を含む5名ほどが、関係会社の協力を得て急ぎ兵庫県内の賃貸住宅の安全確認にあたりました。建物の被害はあったものの、住民で亡くなった方がいなかったことは幸いでした。私が出社できたのは4日後。すぐに住むところがない方へ公団住宅の空き部屋の提供が始まりました。被害状況が生々しい混乱のなかでしたが、一刻も早くとの判断でした。その後、復興事業本部に異動してからは、県の「ひょうご住宅復興3カ年計画」(平成7〜9年)に基づいて、18,000戸の復興住宅を建設すべく、職員は奔走。私は、土地のオーナーさんに30〜40戸ほどの賃貸住宅を建ててもらう「民営賃貸用特定分譲住宅」を中心に、「従前居住者用の賃貸住宅」などの執行管理に携わり、最盛期は年間100棟くらいを建設。大規模なものから木造長屋8軒の共同再建の集合住宅まで、環境やニーズに応じたさまざまな方式の住宅建設が進行していました。契約から引き渡しまでの執行管理は大変でしたが、「とにかく早く住宅をつくって、住むところがなくて困っている人をなんとかしなければ」との思いで、みんな必死でした。震災直後の対応(地方公共団体への人的支援は延べ約7,300人)建物応急危険度判定要員の派遣、宅地被害対策調査要員の派遣、被害者用暫定住宅入居手続き要員の派遣、応急仮設住宅の建設(10,369戸)、暫定入居のための公団賃貸住宅の提供(3,206戸)、応急仮設住宅用地(約40ha)の提供復興住宅の建設 20,208戸従前居住者用賃貸住宅、一般賃貸住宅、民営賃貸用特定分譲住宅(多様な展開)、公団による公営住宅、共同再建・マンション再建の推進市街地の整備・再生①市街地再開発事業JR住吉駅東、尼崎駅北第二、阪急西宮北口駅北東、六甲駅南、新長田駅南②土地区画整理事業芦屋中央、芦屋西部、神戸市東部新都心、富島(淡路島)宮内智秀「住むところがない人のために一刻も早く」とみんな必死でしたUR(住宅・都市整備公団)の主な復興支援活動UR PRESS vol.80阪神・淡路大震災から30年「暮らしの豊かさ」を
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