UR PRESS VOL.80
2/34

録魔と呼ばれる人たちがいる。なんでもかんでも記録する。メモ魔には偉人が多いと聞いたことがあるが、記録魔とメモ魔は違うんじゃないか。そう思うのは、何を隠そう私が記録魔だからだ。味で記録しているのではなくて、それぞれに理由がある。ランニングは一か月百キロを目標としているから書き記すのだし、体重は大きな変化があったらすぐ気づくように、映画と本は片っ端かのメモは日記とも記録とも違うので、だれに聞いた情報なのか、なぜ書き留めたのか、言葉の意味自体がわからないものも多い。それでもネットで調べれば、これは映画のタイトルか、これは飲自分では、自分が記録魔だなんて認めたくない。なんだかせせこましい感じがする。しかしながら、毎日の夕食(献立あるいは店名、いっしょに食べた人)、週末のランニングのキロ数、体重、見た映画、読んだ本、これらは手書きで記し、歩数、睡眠時間、移動距離、ランニングのタイムは、スマートフォンのアプリが、勝手に測定して記録してくれている。ら忘れるので、二度見、二度買いを避けるために書いている。その上、毎日ではないが、日記も書いている。認めたくないが、私が記録魔でなかったらだれを記録魔と呼ぶのか。それでも私はメモはしなかった。小説やエッセイになりそうなことが思い浮かんでも、書いたり、スマホに打ちこんだり、しなかった。忘れてしまうなら、その程度のものだと思っていたのだ。ところがこの数年で、その程度のことではなくてもどんどん忘れるようになり、やむなくメモを取り入れた。スマホのメモ機能に、小説やエッセイにかんすることばかりでなく、いっしょに飲んでいるだれかが勧めてくれた本、映画、観光地、飲食店、なんでもメモする。食店か、料理名か、というようなことはわかる。「厨子がめ」は沖縄の骨壺であるとか、「しらぬいのり」が有明の海苔であるとか、「フォリーズ」がミュージカルだということがわかる。それがわかると、メモした自分のことをまず思い出す。それ見たい、それ覚えておきたい、と思った気持ちが、それから、いっしょにいた人がだんだん思い浮かぶ。話をしていた場所が浮かび上がることがある。そうすると、角田光代31photo・T.TetsuyaUR PRESS vol.80暮らしカケラのこ趣記1    メモという日記

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る