UR PRESS VOL.78
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私も夫も運転免許を持っていないので、そういう「気軽」な余暇の使いかたができない。出かけるとなったら、かなり綿密に交通手段や時刻表、温泉や宿へ徒歩でいけるかどうかを調べてからでないと、出発できない。そして私たちは二人そろってそういうことが苦手である。だから、ふらりと温泉、なんて私たちは未体験だ、と友人夫妻に話すと、「じゃあ、散歩は? の 散 私友1夫は言葉に詰まった。散歩かあ……。「家から仕事場まで川沿いを歩くんだけど、それが散歩といえば散歩かな……」というようなことを夫が言い、彼が言わんとしていることは非常によくわかったが、「いやいやそれは散歩ではなく、通勤だ……」と私は思わず心のなかでつぶやいた。ガモ、ハクセキレイやサギがいる。カルガモが子どもたちを連れて泳いでいることもあるし、運がよければカワセミを見かける。春には川沿いの桜が満開になり、夏は蝉の声が降りしきる。この自然ゆたかな通勤路がいちばん歩いていてたのしい。だから夫が「散歩」と言いたくなる気持ちはよくわかる。でも、やっぱりそれは散歩ではない。歩というのは、私のなかでは「目的もなくぶらぶら歩く」という定義だ。たことがあった。周囲には公園も飲食店もない。川も遠いし図書館の類いもない。住宅しかない。「こんなところで何してるんですか」と思わず訊くと、二人は「え、何って、散歩……」と恥ずかしそうに答えた。そう、どこも目指さない、自分たちでもどこを歩いてるのかわからない、それこそが散歩だ、と私は定義している。だから散歩には、気持ちと時間、双方に余裕が必要である。散歩とは優雅なものなのだ。友人カップルが恥ずかしそうだったのは、その優雅さの自覚があって、それに照れたのだと思う。人夫妻が、ある温泉場の湯が気に入って、週末、二人でよくいくようになったと話す。東京から車で二時間ほどだから、気軽にふらりと出かけられるのだという。と夫の仕事場は同じ場所の階違いにある。家から仕事場にいくのに、商店街を通るか、バスも通る幹線道路沿いをいくか、住宅街をじぐざぐに進むか、川沿いを歩くか、と幾通りかある。川は細いが、カルガモやコ以前、この仕事場からの帰路、住宅街じぐざぐコースを歩いていたら、民家と民家のあいだの細い路地から、友人カップルがひょっこり出てき二人で散歩はする?」と訊かれ、私と29photo・T.TetsuyaUR PRESS vol.78角田光代暮らしカケラ余暇とは優雅

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